オカダ・カズチカ、「嫌だった」王座を失い「気が楽に」 出発点メキシコで見つけた次の道
21日放送、日本テレビ「another sky-アナザースカイ-」に、プロレスラーのオカダ・カズチカが出演。若かりし頃に修業したメキシコを11年ぶりに訪れた。
プロレスのイロハを学ぶため、15歳から19歳の3年半にわたってメキシコで武者修行したオカダは、当時の思い出に浸り、師匠のウルティモ・ドラゴン(元闘龍門校長)やデビュー戦の対戦相手らと再会した。
年間100試合をこなしたオカダは、メキシコでの生活を経て、新日本プロレスに入団。アメリカのプロレスも経験してから、「レインメーカー」として凱旋した。当時をオカダは「オレがいるから新日本プロレス良くなるでしょ」と思っていたと振り返る。
王座に挑戦したときはブーイングもあった。「まぁまぁ待て待てと。もう黙って見ときなさいよ」と、自信があったというオカダだが、緊張で食事できないこともあったという。それでも「食べなければ」と口にしたのが牛丼。以降、「大事な試合の日は牛丼を食べる」ようになったそうだ。
棚橋弘至を下してベルトを奪い、異例の早さで王者となったオカダは「プロレス界のために僕がしっかりしなきゃ、先頭に立って僕が魅せていかなきゃいけない」「つねにカッコよくなきゃいけない。夢を見せていかなきゃいけない存在」と、王者としての使命を感じるようになる。
「リングを降りてもスーツをビシッと着て、フェラーリ乗って会場入りするんだみたいな。それを子供が見ただけで、かっこいいなって思ってくれていると思う」と述べたオカダ。実際、彼が王者になった2012年を機に、興業売り上げはV字回復した。
だが、2年で史上最多となる12回の防衛に成功したオカダは、王座にとどまり続けることが「結構なプレッシャー」で「嫌でした」という。「本当にチャンピオンになってゴールだったら一番楽だなと。でもやっぱりそこからが始まりなんで」と明かした。
今年6月、防衛に失敗。2年ぶりにタイトルを失った。「良いのか悪いのか分からないですけど、だいぶ気が楽にはなりました」というオカダは、「正直、いろいろ変えなきゃいけないなって思っていた」そうだ。その中でのメキシコ訪問だっただけに、良いタイミングだったと話す。
メキシコでは、メキシカンプロレスの最高峰「アレナ・メヒコ」にも立った。「初めてここで試合したいなと思った会場」、夢に見てきた憧れの舞台だ。「いろいろな経験して、ここに上がれるレスラーになった」と感慨深げに語ったオカダは、「自然体のままで試合できた」という。
11年ぶりに変わらない街並みや会場を見たオカダは、「オカダ・カズチカっていうのをつくったのもメキシコですし、ここがなかったら今のオカダ・カズチカってない」と、メキシコは出発点だとし、「また楽しみながら試合していこう」と思ったと明かした。
「自然体のままで試合ができたら、自分の中で何も変わっていないですけど、お客さんの見方でまた何か変わったように見えるんじゃないかなと思います。新たなリスタートとしてはいいんじゃないかなと思いました」
プロレスのイロハを学ぶため、15歳から19歳の3年半にわたってメキシコで武者修行したオカダは、当時の思い出に浸り、師匠のウルティモ・ドラゴン(元闘龍門校長)やデビュー戦の対戦相手らと再会した。
年間100試合をこなしたオカダは、メキシコでの生活を経て、新日本プロレスに入団。アメリカのプロレスも経験してから、「レインメーカー」として凱旋した。当時をオカダは「オレがいるから新日本プロレス良くなるでしょ」と思っていたと振り返る。
棚橋弘至を下してベルトを奪い、異例の早さで王者となったオカダは「プロレス界のために僕がしっかりしなきゃ、先頭に立って僕が魅せていかなきゃいけない」「つねにカッコよくなきゃいけない。夢を見せていかなきゃいけない存在」と、王者としての使命を感じるようになる。
「リングを降りてもスーツをビシッと着て、フェラーリ乗って会場入りするんだみたいな。それを子供が見ただけで、かっこいいなって思ってくれていると思う」と述べたオカダ。実際、彼が王者になった2012年を機に、興業売り上げはV字回復した。
だが、2年で史上最多となる12回の防衛に成功したオカダは、王座にとどまり続けることが「結構なプレッシャー」で「嫌でした」という。「本当にチャンピオンになってゴールだったら一番楽だなと。でもやっぱりそこからが始まりなんで」と明かした。
今年6月、防衛に失敗。2年ぶりにタイトルを失った。「良いのか悪いのか分からないですけど、だいぶ気が楽にはなりました」というオカダは、「正直、いろいろ変えなきゃいけないなって思っていた」そうだ。その中でのメキシコ訪問だっただけに、良いタイミングだったと話す。
メキシコでは、メキシカンプロレスの最高峰「アレナ・メヒコ」にも立った。「初めてここで試合したいなと思った会場」、夢に見てきた憧れの舞台だ。「いろいろな経験して、ここに上がれるレスラーになった」と感慨深げに語ったオカダは、「自然体のままで試合できた」という。
11年ぶりに変わらない街並みや会場を見たオカダは、「オカダ・カズチカっていうのをつくったのもメキシコですし、ここがなかったら今のオカダ・カズチカってない」と、メキシコは出発点だとし、「また楽しみながら試合していこう」と思ったと明かした。
「自然体のままで試合ができたら、自分の中で何も変わっていないですけど、お客さんの見方でまた何か変わったように見えるんじゃないかなと思います。新たなリスタートとしてはいいんじゃないかなと思いました」