辻仁成さん、新刊は無戸籍児が主人公「子どもたちの未来を支えられるような小説を」
日本屈指の歓楽街・博多中洲で生きる無戸籍の少年、蓮司。蓮司に戸籍を持たせようと奔走する警察官の響、よき理解者であるテント暮らしの源太、蓮司を気にかける客引きの井島、食事を与えてくれるスナックのママ・康子、中洲に暮らす同い年の緋真――。辻仁成さんの最新刊『真夜中の子供』は、土地に根づいた人々の温かさによってたくましく成長していく蓮司の姿を描いた群像劇だ。
日本の子どもたちの未来を支える小説
「僕はフランスに住んでいるのですが、小学校を卒業するまでは親に登下校の送り迎えが義務づけられていたりなど子どもがしっかりと守られているんです。それだけに日本の児童虐待のニュースが信じられない。子どもは日本の未来ですから、僕はその子どもたちの未来を支えられるような小説を書きたいと思いました」
『真夜中の子供』の初出は、河出書房新社の文芸誌『文藝』。実は、辻さんは20代のころ、『文藝』に小説が掲載されることを夢見ていたそうだ。
「そのころの僕は、まだ作家ではありませんでした。でも、ひょんなことから知り合った当時の『文藝』の編集者に誘われて、編集部に遊びに行ったことがあったんです。“ここで小説を書きたいなぁ”と思っているうちに集英社の新人賞を受賞し、いろいろな出版社から本を出せるようになりました。でも、河出書房新社とは縁がなかったんです。いつか『文藝』で渾身(こんしん)の作品を書いてみたいという思いはずっとありました」
今回、『文藝』への掲載にあたり、芥川賞受賞作でもある『海峡の光』のような作品を書きたいと思ったという。
「『海峡の光』は函館の刑務所が舞台の物語で、刑務所という箱庭世界を描くことで日本の風潮を形にしようと思って書きました。今回は中洲という小さな島を日本に見立て、そこに生きる少年を描くことで虐待や移民、無戸籍といった日本が抱える社会問題を投影させたいと考えました」
蓮司には日本人の親がいるものの、戸籍はなく育児放棄されているような状態だ。それでも辻さんから見た蓮司は、“愛(いと)おしい子”なのだという。
「蓮司は恵まれない環境のなかにいても、自殺もせず、人を殺すこともしない。彼はとても強い子で、ただ、たまたまこういう親のもとに生まれ、生きなければならなかった。この作品では、たとえ親が親として機能していなくとも、周りの人たちがその子どもを支える世界を描きたかったんです」
山笠が強い形で中洲や福岡を守っている
本作には多くの魅力的な人物が登場する。例えば、客引きの井島は、すでに製作が決まっている映画においてキーパーソンとなりうる人物なのだそうだ。
「福岡には、韓国や中国からの移民の人たちがたくさん住んでいるんです。物語のなかでは井島の国籍を明かしていませんが、僕はインドネシア人を想定して書きました。蓮司との関わりはもちろん、井島の存在は移民問題ともつながっていくんです」
物語の中では、折に触れてユネスコ無形文化遺産にも登録されている『博多祇園山笠』の場面が登場する。老舗料亭の経営者でもあり、山笠振興会の重鎮である高橋カエルも大きな存在感を放つ人物のひとりだろう。
「例えば、昔から中洲にお店を構えている花屋の大将とか、中洲に行くとカエルさんみたいな人がたくさんいます。見た目はちょっと怖いかもしれないけど、話すとそんなことはない。あれだけの風俗店があって、ヤクザもいてドンパチもあるけれど、でも、中洲に行くと人情に包まれるんです」
子どものころ福岡で暮らしていた時期があるという辻さんは、山笠によって中洲の治安が維持できているのだと分析する。
「山笠は祭りではなく神事なんです。特に福岡の男性は気が荒いのですが、それでも節度が保たれているのは、法律よりも強い意識が彼らの中にあるからだと思います。山笠が強い形で中洲や福岡を守っているんです」
本作には、辻さんの経験や感情が随所にしみ込んでいるという。
「この15年ほどはフランスで息子とふたりで生活しています。子どもを育てていると周りの人が応援してくれますし、特に息子の学校の親御さんたちにすごく支えられているんです。自分の子どもはもちろん他人の子どもにもやさしくすることの大切さやありがたさを身にしみて感じています」
辻さんは来年、小説家デビュー30周年を迎える。『真夜中の子供』は、小説家としての技術をすべて注ぎ込んで書き上げたのだそうだ。
「文体にしてもトリックにしても視点にしても、今まで培ってきた技を全部、使い切ったような感覚で、小説家としての集大成ともいえる作品です。純文学の要素が強いもののエンターテイメント色も濃く、ジェットコースターのような小説です。根底に流れているのは、“子どもがいたらみんなで助け合っていきましょうよ。だって、同じ日本人じゃないですか”という思いです。世界中の子どもは地球の子ども、そんなふうにとらえることができれば、もっとみんなが仲よく幸せになれると思うんです」
ライターは見た!著者の素顔
辻さんは、日本に来ると必ず行く場所があるそうです。「フランスにはコンビニのようなお店はないので、息子とふたりでコンビニ巡りを楽しんでいます。最近、必ず買うのが豆腐そうめんのごまだれ味。あと納豆ですね。コンビニのキムチはおいしいし、カツサンドやから揚げとかも大好きです。ウイスキーなんかも小瓶で売ってて、安くてうまいですよね。ちなみに昨日は298円のニッカのウイスキーを買いました。僕、かなりの庶民派なんです(笑)」
<プロフィール>
つじ・ひとなり◎東京都生まれ。1989年『ピアニシモ』で第13回すばる文学賞を受賞。作家・詩人・ミュージシャン・映画監督と幅広いジャンルで活躍している。1997年『海峡の光』で第116回芥川賞、1999年『白仏』のフランス語版Le Bouddha blanc でフランスの代表的な文学賞であるフェミナ賞の外国小説賞を受賞。『日付変更線』『エッグマン』『立ち直る力』など著書多数。
(取材・文/熊谷あづさ)