本田はどうなる?代表監督と現役選手を兼任した珍しい3名

サッカーの歴史上、選手としてプレーすると同時に監督や指導者を務めていた者は数多い。
しかし国家の代表監督となるとなかなかおらず、名目上の監督を置いての実質的指揮官という形でも数少ない。
そんな茨の道に挑んだ3名の選手を特集しよう。
本田圭佑
I’m in Cambodia. Cambodia is one of a great country in Asia. I will visit local places. pic.twitter.com/ZR8FILyjxn
— KeisukeHonda(本田圭佑) (@kskgroup2017) 2018年8月12日
・カンボジア代表ジェネラルマネージャー(2018〜)
日本代表選手としてロシア・ワールドカップに出場した後、またも驚きの決断を下してみせた本田圭佑。
オーストラリア・Aリーグのメルボルン・ヴィクトリーに加入されたことが発表された後、なんとカンボジア代表のジェネラルマネージャーに就任することが決まった。
名目上は他の人物が監督を務めるが、実質的に本田圭佑が選手選考などを担当し、代表監督の役割を果たすという。
選手の視察はどうなるのか、クラブとの関係づくりはどうする…いろいろな懸念点はあるが、それをどう乗り越えていくのか。新たな彼の冒険に注目したいところだ。
ケン・アームストロング
Ken Armstrong of Chelsea pic.twitter.com/fKtU3Auiu8
— The League Magazine (@Theleaguemag) 2015年2月14日
・ニュージーランド代表監督(1958〜1964年)
イングランドのブラッドフォード生まれで、チェルシーで362試合に出場した伝説的ウイングハーフであるアームストロング氏。
イングランド代表として1試合プレーした経験を持っているが、1957年にニュージーランドへ移住し、当地のクラブに所属した。
そして1958年にニュージーランドの代表に選ばれるとともに、同時に代表監督に就任した。
代表選手としては4年間プレーし、監督としては6年間指揮して11勝2分け19敗。1980年には女子代表監督も務めた。
1984年に死去したあと、その遺灰はチェルシーの本拠地スタンフォード・ブリッジに撒かれている。
ジョージ・ウェア

・リベリア代表監督(2000〜2002年)
アフリカ出身の選手として初めてバロンドールを受賞し、今もなお伝説的なストライカーとして崇められるジョージ・ウェア。
リベリア代表での活動には彼自身が資金を提供していたと言われており、2000年からは実質的な監督(名目上は別人が指揮)としてチームを指導した。
しかし2002年ワールドカップの出場を逃し、その後は選手としても国際舞台から離れ、アル・ジャジーラで2003年に現役を引退している。
それからの動きは有名だ。政治家に転身した彼は昨年リベリア大統領選挙に当選し、元サッカー選手として初めて国家元首の役割を果たすこととなった。
息子のティモシー・ウェアは父と離れてアメリカで選手として大成し、現在はパリ・サンジェルマンに所属している。
また、福島県社会人リーグに所属していたバリエンテ郡山の総監督を務めたという経歴でも有名だ。