ドラマ『透明なゆりかご』に出演する、左から水川あさみ、清原果那、瀬戸康史

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 テレビを見ていて「ん? 今、なんかモヤモヤした……」と思うことはないだろうか。“ながら見”してたら流せてしまうが、ふとその部分だけを引っ張り出してみると、女に対してものすごく無神経な言動だったり、「これはいかがなものか!」と思うことだったり。あるいは「気にするべきはそこじゃないよね〜」とツッコミを入れたくなるような案件も。これを、Jアラートならぬ「オンナアラート」と呼ぶことにする。(コラムニスト・吉田潮)

オンナアラート #18 ドラマ『透明なゆりかご』

 恋愛しなくても、結婚しなくても、子どもを産まなくても、男同士が好き合っても、女同士が好き合っても、生殖しなくても、それぞれの幸せを享受する。それじゃダメですか?

 女性たちは「産め!育てろ!良妻賢母であれ!そして文句言わずに働け!」と脅され続けている。

 一生懸命勉強して、大学入試で優秀な点数をとっても、「女はすぐにやめるから、男を多めに合格させよう」と操作されて落とされる。子をもたない人は「生産性がない」と暴言を吐かれる。世界中が驚くほど前近代的な国に住んでいます、私たちは。

 そんな国で作られるドラマは、基本的に「出産礼賛」が多い。

 登場する妊婦は若かろうが、年いってようが、紆余曲折を経て、産んで育てる決意をし、母になる。母性が芽生えてハッピーエンド、それが「正しい」と言わんばかりに。みんなきれいごとが大好きだ。

 でも現実は違う。

 産まない決意をして中絶手術を受ける人、産んではみたけれど育てられないと諦める人、産んだことを後悔する人、産まなかった自分を責め続ける人もいる。

 そこ、あんまり描かれないんだよね、テレビドラマでは。人それぞれの価値観があるはずなのに、常に「大多数の正義」を展開していかなければいけない。

 そこにずーっとモヤモヤしてきたのだが、この夏、ちょっとスッキリしたので、触れておく。「オンナアラート解除」という逆パターンだ。NHKドラマ10『透明なゆりかご』(毎週金曜よる10時)である。

 産科医療モノは基本、医師が主役のドラマが多いのだが、これは主役が看護助手で、しかも高校生。主演は、若手女優の中でも透明感が高い清原果耶。アルバイト先の産科クリニックで、さまざまな妊婦の現実を知るという難役でもある。

 清原は、バイト初日から中絶手術で掻爬(そうは)した胎児のかけらを集める仕事を任される。子どもを欲しいと思ったこともまだないし、母性とはいったいなんなのか、答えも見つかっていない。

 つまり、大多数の正義で物事を決めつけて判断するほど世間体に毒されてもいないし、心も汚れていない。だからいいのだ。母性という言葉で女性たちが罪悪感や息苦しさを感じている今、このドラマの意義はとても大きいと思う。

想像力を身につける

 毎回、さまざまな妊婦が登場するのだが、産む前の葛藤と苦悩、産んでからの大きな壁、正論をふりかざさない構成が秀逸である。

 初回は、中絶手術を泣きながら受ける女性と、不倫の末に妊娠した未受診妊婦(演じるのは安藤玉恵)の話だった。祝福されない妊娠・出産の厳しい現実である。産んだ子がきゅっと握る「把握反射」で育てていく決意をする安藤。

 しかしその後の検診にくることはなく、新聞で赤ちゃんが亡くなったことが報じられる。世間は赤子が亡くなると「虐待疑惑」の一辺倒になるのだが、清原は違う捉え方をした。

 慣れない子育てで疲労困ぱいした安藤が、授乳中に寝てしまい、赤ちゃんを窒息させてしまったのではないか、赤ちゃんは母の愛情に包まれて亡くなったのではないか、と想像する。ただただ母親を責めて苦しめるだけではなく、慮(おもんぱか)る想像力が大事なのだと教えてくれる。

 2話では、1型糖尿病で出産が命の危険に及ぶと診断された妊婦(平岩紙)と、自宅風呂場でひとりで産んで、捨てに来た女子高生妊婦(蒔田彩珠)の話だった。

 それでも産みたいと願う平岩に、クリニック院長の瀬戸康史は「出産はあなたの存在意義を確かめるものではない」とあえて厳しい言葉を伝える。

 平岩は「子どもを産めば自信がもてるんじゃないかと思う、自分のエゴだった」と反省するも、やはり産むことを決意する。瀬戸は大きな病院で万全の体制を築けるよう動き、平岩の出産をサポートする。出産は皆が思うほど安全なことではなく、命がけであることを暗に示しているのだ。

 女子高生妊婦の蒔田は赤ちゃんを捨てたものの、あえてクリニック前に置いたというところが肝だった。ここでまた清原は思いを馳せる。誰にも相談できず、ひとりで産んでどれだけ苦しかったか、泣きながら自転車に乗って捨てに来たときの思いは、赤ちゃんを助けたい一心だったのではないか、と。

 産むに至った事象だけを見ると、どうしても女性が責められて苦しむ方向に流れてしまう。そこを清原がすくいとる。産む人・産まない人にはそれぞれの事情や理由、背景、感情があるのだ。清原とともに、視聴者は「配慮する想像力」を身につけていくのではないだろうか。

この世に生まれるって案外大変だよ

 清原が看護助手として成長していく物語ではあるが、医療に「絶対」はないという現場の声もきちんと反映されている。

 3話では、虫垂炎の手術後に急変し、脳に深刻なダメージを負った夫をもつ妊婦(田畑智子)の物語が描かれた。医療事故を疑う田畑は常に怒りに満ちている。「許さない」感情、医療不信のエネルギーが不機嫌な妊婦の正体だ。

 清原はその怒りの源を知り、ときほぐすために田畑に寄り添う。出産した田畑は、赤ちゃんを危篤状態の夫に逢わせることができた。怒りは悲しみに、そして子どもを育てていくエネルギーに変わったと信じたい。

「この世に生まれるって案外大変だよ」と清原はつぶやく。

 生まれる命と消える命に真剣に向き合っていく清原の姿に、私はオンナアラートがすーっと引いていく思いがした。

吉田潮(よしだ・うしお)◎コラムニスト 1972年生まれ、千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆。テレビ『新・フジテレビ批評』(フジテレビ)のコメンテーターも務める。また、雑誌や新聞など連載を担当し、著書に『幸せな離婚』(生活文化出版)、『TV大人の視聴』(講談社)ほか多数。新刊『産まないことは「逃げ」ですか?』に登場する姉は、イラストレーターの地獄カレー。公式サイト『吉田潮.com』http://yoshida-ushio.com/