会長に就任した創業者の矢野博丈氏

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 100円ショップの「ダイソー」を展開する大創産業(広島県東広島市)が、創業以来初めてトップ交代した。創業者の矢野博丈社長(74)が代表権のない会長となり、社長に博丈氏の次男の靖二副社長(46)が就いた。

 今では国内3,150店舗と海外26の国・地域に1,800店舗を展開し、年間4200億円を売り上げる(いずれも2017年3月現在)ダイソーだが、スタートは広島でのトラック1台の移動販売だった。

 ダイソーの他にもキャンドゥ、セリアなどの大手チェーンがあり、すっかり街の風景として定着した感のある100円ショップ。大成功した画期的なビジネスモデルだけに、採算が合うかなどを綿密に計算して生み出されたと思うかもしれない。だが、矢野会長によれば、「100円均一」で全商品を売るようになったのは、まったくの偶然なのだ。

 1972年に矢野商店を創業したばかりの矢野氏は、ある日の朝、いつものように露店での移動販売に出かけようとしていた。ところが雲ゆきがあやしく、雨が降ってきそうだった。雨ならば露店での商売はできない。「今日は、やめだ」と思っていたが、予想に反して晴れてきた。矢野さんは今からでも間に合うと思い、トラックに商品を積んで出かけることにした。

 午前10時ごろに現地に到着すると、何人ものお客さんが待ち構えていた。チラシをまいて宣伝していたためだった。「早くして!」と急かされ、あわてて荷物を降ろし、開店準備を始めた。すると待ちきれないお客さんが勝手に段ボールを開け、商品を手にして聞いてくる。「これ、なんぼ?」

 矢野氏は急いで伝票を探すが、商品数があまりにも多く、なかなか見つからない。その時、思わず口をついて出たのが、その後の矢野さんの運命を決定づける一言になった。「100円でええ」

 それを聞いたほかの客も、次々に「これ、なんぼ?」と聞いてくる。「それも、100円でええ」。本来の値段を確認する間もなく商品が売れていった。その後、商品はすべて100円になったのだ。

 矢野会長は出店プランなど、長期的な経営計画は作ったことがない。口ぐせは「ダイソーは、いつか潰れる」。そんなネガティブ思考の「行き当たりばったり」経営で、ダイソーは巨大チェーンに発展していった。靖二新社長はその路線を踏襲するのだろうか。