2016年12月31日、さいたまスーパーアリーナで行われた川尻達也vs.クロン・グレイシー戦(写真:(C)RIZIN FF)

2017年12月30日、さいたまスーパーアリーナでは人数を限定した出版記念サイン会が行われることになっている。ペンを走らせるのは3人。高田延彦(RIZIN統括本部長)と榊原信行(RIZIN実行委員長)、そして20年前に2人が出会い、ヒクソン・グレイシーとの一戦の実現に向けて動いていく様を描いた単行本『プライド』の著者、金子達仁だ。金子氏が今年の「RIZIN」開催の舞台裏を関係者の証言をもとに描き出す。

12月29日、31日の両日にわたって行われる総合格闘技のイベント「RIZIN」は、1997年10月11日に実現した高田延彦対ヒクソン・グレイシーの「PRIDE.1」の流れを汲む大会である。この大会の模様は12月31日(日)フジテレビ系列全国ネットで18時30分〜23時45分まで放送される。

その合間にあたる12月30日に4人で『プライド』刊行記念のサイン会が行われる予定だった。高田延彦、榊原信行、筆者である私とヒクソン・グレイシーである。だが、かつて400戦無敗と呼ばれ、『プライド』の中でもキーパーソンとして描かれた男は、来日しないことになった。

する理由が失われてしまった、というべきかもしれない。

1年前の年末も、2年前の年末も、ヒクソンは日本にやってきていた。息子であるクロン・グレイシーのセコンド役だったからだ。にもかかわらず、今年の年末、ヒクソン・グレイシーの息子はRIZINへの出場を拒んだ。父は、日本にやってくる最大の理由を失い、サイン会は日本にいる3人だけで行われることになったのである。

ヒクソンは日本に来るつもりだった

テラスに差し込む初夏の陽光が、柔らかさを帯びてきていた。

『プライド』を執筆するために飛んだロサンゼルスでの2日間、合計7時間以上にも及んだインタビューが、ようやく終わろうとしていた。

「ありがとうございました。年末、日本で会いましょう」

私がそう言って手を差し出すと、ヒクソンは笑いながら言った。

「行くことがあれば、な」

もちろん来るはずだ、と私は思っていた。すでにRIZINの榊原信行はクロン・グレイシーに年末の大会へのオファーを出している。ならば、クロンはやってくる。当然、ヒクソンもやってくる。

「年末、ぜひ日本で高田さんと一緒にお酒を飲みましょう。きっと、お酒の勝負だったら高田さん、負けないと思いますよ」

答えはなかった。代わりに、満面の笑顔とウインクが返ってきた。

改めて思う。

あの時のヒクソンは、私と同じだった。つまり、クロン・グレイシーは年末のRIZINに出場するものだと考えていた。その証拠に、握手を終えたヒクソンは、同席していた通訳にこう言ったのだ。

「年末の試合相手が決まったら、私に直接教えてくれ。クロンの口からは聞きたくないからな」

年も押し迫ってきた12月上旬、柏木信吾は途方に暮れていた。

RIZINに出場する選手をブッキングする立場にある彼は、半年前、私がヒクソンにインタビューをした際に通訳を務めてくれた男でもある。

彼のような仕事をしている人間にとって、年末は修羅場の季節である。大会に出場する海外の選手とのやりとりが増えるということは、様々な時差とオンタイムで付き合っていかなければならないからである。アメリカ、ブラジル、ロシア、クロアチア──寝る間など、あるはずがない。

だから、慢性の睡眠不足は柏木にとってお馴染みのストレスだった。彼が途方に暮れていたのは、年末の目玉となる選手から出場の了解を取り付けられずにいたから、だった。

クロン・グレイシーである。

「2月からずっと交渉を進めてきたんですが、歩み寄れる気配がまったくありませんでした」。交渉が難航した原因ははっきりしていた。

カネ、である。

「彼が要求してきた額は、現時点の総合格闘技界でトップクラスとされる選手をも大きく上回るものでした。正直、どうやったって呑めるものじゃなかった」と柏木は言う。


昨年末、クロン・グレイシーはベテランの川尻達也との好勝負を制し、デビューから無敗の4連勝を飾った。(写真:(C)RIZIN FF)

クロンは必ずしも「カネの亡者」ではない

やっかいなのは、クロン・グレイシーが必ずしも“カネの亡者”というわけではない、ということだった。というより、もし彼がドルや円に飢えただけの男であれば、百戦錬磨の柏木はあっさりと交渉をまとめていただろう。

クロンがカネにこだわったのは、かつて父であるヒクソンがこだわったのと、まったく同じ理由だった。7時間以上もヒクソンのインタビューに同席し、その真意を深く理解するようになっていた柏木は、ゆえに、途方に暮れたのである。

「ぶらさげるニンジンがない。率直にいえば、そんな感じでした」

ヒクソンにとって、戦いは文字通り命を懸ける場だった。エベレストを前にした登山家が死を覚悟するように、凶悪犯と立ち向かうリオ・デ・ジャネイロの警察官が常に殉職の危機と向き合っているように、彼は、いつ死んでもいい覚悟で戦いに臨んでいた。一銭にもならない危険なストリート・ファイトも、軟らかいマットやグローブで保護されたリングでの戦いも、彼にとっては等しく死を賭して上がる舞台だった。

だから、それがビジネスになる場合のヒクソンは、とことんルールとカネにこだわった。自分が負ける可能性を極力減らすルールを主催者側に求め、己の命の対価として値する額を要求した。

負ければ、自分は死ぬ。ならば──。

父ヒクソンの考えは、そのまま息子であるクロンにも受け継がれていた。
しかも、彼には忘れられない原体験があった。柏木はヒクソンから面と向かって言われたことがある。

「日本人はいつもニコニコしている。人当たりもいい。でも、結局お前たちが見たいのは、俺たちグレイシーの人間が倒されるところなんだろ? 俺の首が取られるところなんだろ?」

武士道に傾倒していた若かりし日のヒクソンにとって、日本は憧れの国だった。初めて日本からのオファーが届いたとき、彼は少年のように胸を躍らせたという。

だが、クロンにとっての日本は違った。敬愛する父を、可愛がってくれた叔父を、血祭りにあげようと目論む者たちの国だった。幼いころから一族の戦いに同行し、その一部始終を目の当たりにしてきたクロンにとって、日本は、敵だった。不信の対象だった。

「日本人にとって、俺たちはグラディエーターみたいなものだろう。見せ物として戦い、観衆を満足させるために時には命も落とす。だが、ローマ時代の彼らと俺が違うのは、彼らは奴隷だったが、俺はそうじゃないってことだ。もし俺の戦いを見て興奮したいのであれば、それに見合った対価を支払う必要がある」

クロンが要求してくる額は、柏木の裁量として任されていた額を大きく超えていた。それでも、彼がカネに困っているならば、あるいは戦いの舞台に立つことを欲しているならば、まだ交渉の余地はあった。クロンは、そのどちらでもなかった。


2015年末に産声を上げた世界最強を決める格闘技イベントは3年目を迎えることになる。(写真:(C)RIZIN FF、2016年)

「カネが原因でRIZINのリングに上がらない、なんていうと、すごく感じの悪い守銭奴みたいに思われる人がいるかもしれません。でも、交渉で手こずらされてる自分がこんなことを言うのもなんですけど、彼、ホントにいいやつなんです。生活はすごく質素で、いわゆるスローライフを実践している。スケボーが好き。サーフィンが好き。トレッキングが好き。仲間が好き。経営しているジムやプライベートレッスンで生活費は十分稼げてますから、戦わなくても生きていける。はっきり言えば、彼、戦うことに興味がないんです」

もしあなたがクロンから柔術の手ほどきを受けようと思えば、2時間で1500ドルほどが必要になる。そして、彼が住むロサンゼルスでは、セレブたちが彼のレッスンを受けるために列を成している状態だという。

日本に不信感を抱いているクロン。戦うことに興味がないクロン。
カネを要求しながら、カネに困っているわけではないクロン。

そして──。

2000年、ホクソン・グレイシーが突然死


「兄が死んでからの俺は、家族のため、父のためにもう十分やってきた。これからはもう、父の指図は受けない。自分のやりたいようにやっていく」とクロンは話したという。

自分が幸せでない人間が、どうして他人を幸せにすることができようか。インタビューの時、ヒクソンはそう言っていた。同じことを、息子が言っている。父親の介入を拒む理由として、口にしている。柏木は、運命の皮肉を感じずにはいられなかった。

父が息子の現在や未来を案ずる一方で、父の信念を忠実に受け継いだ息子は、信念を受け継いだがために、父に対して拒絶反応を示すようになっていた。ヒクソンが別れ際に言った「クロンの口からは聞きたくないからな」という言葉が、柏木の脳裏に甦った。

もはや、父親の言葉にも耳を貸さなくなったクロン。そんな男を、どうやって口説き落とせばいいのか。

柏木信吾には、道を見つけることができなかった。

(文中敬称略)