今夜4話「カルテット」視聴率は下がる、だけどますます面白い…とっつきにくい話じゃないよ!
坂元裕二脚本、松たか子、満島ひかり、松田龍平、高橋一生の共演が話題のTBS火10枠ドラマ『カルテット』。軽井沢の別荘で共同生活を送る人生“下り坂”の弦楽奏者4人の“まさか”の嘘と秘密と恋を描く。
第3話の視聴率はガクンと落ちて7.8%。ちょっと残念だけど、きっとタイムシフト視聴で楽しんでいる人も多いのだろう。だって、セリフから表情まで、じっくり楽しみたいからね。リアルタイムでスマホ片手にツイッターで騒ぎながら見るドラマが増えたけど、週末にゆっくり落ち着いてドラマを見るぜいたくを味あわせてくれるのが『カルテット』だと思う。
さて、世の男性たちに聞きたい。夜中、ふと目が覚ましたとき、目の前ペットボトル1本分の距離にパッチリと目を開いたままの満島ひかりがいたらどうする? あまりのことに恐れをなして、そそくさと立ち上がってしまう男が半分ほどではないだろうか。筆者も絶対にそうだ。司、キミの気持ちはよくわかる。
第3話は世吹すずめ(満島ひかり)の家族をめぐるエピソード。今まで仲間たちに家族のことを明かしてこなかったすずめだが、実は20年以上会っていない父・欧太郎(高橋源一郎)がいた。見知らぬ少年・純(前田旺志郎)から父が死の間際にあると知らされるが、すずめは取り合わない。
すずめは幼い少女の頃、父によって「超能力少女」として売り出されたが、嘘が露見して日本中からバッシングされたという過去があった。父は逮捕され、早くに母を亡くしていたすずめは親戚じゅうを転々とすることになる。そして、すずめは卑しい父の言動を心から軽蔑していた。
「親子でしょ?」と純に問われたときの、満島ひかりの「はい」という声のイントネーションが何とも言えない。「親子」は事実として肯定しながら、「でしょ?」という同調圧力を否定(というより拒絶)している。
すずめは病院に行こうとするがどうしても足が動かない。病院から知らせを受けた真紀(松たか子)は、一人で死の際の欧太郎と会い、純からすずめの過去を知らされる。“魔法少女”の正体がバレて“嘘つきの魔女”になってしまったことを。
すずめと会った真紀は「病院へ行こう」と促すが、すずめの話を黙って聞き、「怒られるかな……。ダメかな……。家族だから行かなきゃダメかな……」と苦しむすずめの手を取る。
真紀「すずめちゃん、軽井沢帰ろう。病院行かなくていいよ。カツ丼食べたら、軽井沢帰ろう。いいよいいよ。みんなのところに帰ろう」
別荘に集う4人は、家族からはぐれた人たちだ。司(松田龍平)は“世界の別府ファミリー”からはぐれている。真紀は夫からはぐれている。すずめも家族からはぐれている。諭高(高橋一生)は……たぶん、もうすぐわかるだろう。
許せない親は、許さなくていい。「血は水よりも濃い」ということもない。自分を殺す古臭い家族観に従うこともない。真紀の「いいよいいよ」「帰ろう」という言葉の意味はとても重い。
真紀「私たち、同じシャンプー使ってるじゃないですか。家族じゃないけど、あそこはすずめちゃんの居場所だと思うんです。髪の毛から同じ匂いして、同じお皿使って、同じコップ使って、パンツだってなんだって、シャツだってまとめて一緒に洗濯機に放り込んでいるじゃないですか。そういうのでも、いいじゃないですか」
このセリフは坂元裕二の過去作『問題のあるレストラン』(15年)の8話に登場する静子(藤田弓子)の「なんであんなにいろんな種類のシャンプーがあるの? 頭から同じ匂いを出しているのを家族っていうのよ」というセリフと対応している。『問題のあるレストラン』は、それぞれ問題を抱えた「ポンコツ女」たちが集まって家族のような共同体を築く物語だった。
「古き良き家族像の崩壊」と「新しい居場所の確保」というテーマは、ドラマや映画においてけっして新しいものではない。古くは山田太一脚本の『岸辺のアルバム』(77年)が前者を描き、この『カルテット』第3話を演出した金子文紀が脚本・宮藤官九郎とコンビを組んだ『木更津キャッツアイ』(02年)、『タイガー&ドラゴン』(05年)などの作品も、血縁を持たない共同体を描いた物語だった。すずめが出まかせで家族について語った「きび団子」が出てくる『桃太郎』も血縁が一切登場しない物語である。
真紀「泣きながらごはんを食べたことがある人は、生きていけます」
共同体に受け入れられると安心したすずめは、涙を浮かべながらカツ丼を頬張る。きっと、真紀も一人で泣きながらごはんを食べたことがあるのだろう。嘘つきだらけのドラマだが、この言葉には嘘がない。『プロレススーパースター列伝』の「涙のしょっぱいつけでパンを食った人間でなければ本当の人生に対するファイトはわかない!」というセリフを思い出した人はどれだけいるだろう?
「告白とか苦手で」と言うすずめは、どんなときも本心を言わず、笑ってやり過ごしてきた。諭高のパンツを燃やしてしまっても告白しないし、嫌がらせのメモもデスクの引き出しの中にしまいこんでいた。すずめを支配しているのは“隠蔽”の二文字だ。いちいち他人を笑うのも防御本能のようなもの。過去のことも現在のことも、すずめはけっして告白しない。隠していることを告白したら、居心地の良い場所から追い出されてしまうと思っているからだ。
いつも眠気の限界までリビングから離れようとしないすずめは、まるで幼子のようでもある。それだけこの場所が心地良いのだろう。すずめが司に急激にアプローチしたのは、偶然の出会いに支えられた関係を、より強固なものにしたかったからのかもしれない。
ただし、このまま「居場所を見つけられてよかったね」で終わりそうもないのが『カルテット』の底知れない魅力である。なにせ、まだ第3話が終わったばかりなのだ。過去に嘘が露見して日本中からバッシングされたすずめは、今もまた“友人のふり”という嘘が露見することを恐れているし、真紀が本当に善人なのかさえわからない。
ライターの武田砂鉄さんは「外野が早々に用意するレッテルを軽快に避けていく感じが『カルテット』にはある」と指摘している(cakes「高橋一生は解析されない状態を保つ」)。一見して何のドラマかわからない、説明しにくいところが『カルテット』の良さである。
ドラマの冒頭で欧太郎が披露するトランプの手品は、カルテットドーナッツホールの4人のことを表している。偶然Aが4枚揃ったように見えるが、実は“タネも仕掛けもある”ということ。
純は欧太郎(劇中で「おじさん」と呼んでいるが血縁は明らかではない)のためにわざわざ軽井沢まで足を運び、欧太郎の死に涙を流す純朴な少年だが、すずめに軽くあしらわれた後、カルテットドーナッツホールのウェブサイトに無言ですずめの過去を示す動画を送る冷酷さも併せ持つ。すずめに「出テケ」とメッセージを送り続けた会社の人たちだって、きっと善人の部分もあるのだろう。『カルテット』の面白さは、人間の多面性を描いているところだ。
すずめが真紀に自分のことを話す蕎麦屋で“白状”をイメージさせるカツ丼を頼んでいるのは洒落が効いている。刑事の取り調べシーンに初めてカツ丼が登場したのは、55年公開の映画『警察日記』なのだそうだ(中町綾子『なぜ取り調べにはカツ丼が出るのか?』より)。
蕎麦屋で流れる稲川淳二の怪談は、すずめの心境を言語化しているものだという指摘があった。「どうにも体が動かない」「やだやだどうしよう」と稲川が語っている部分が、会いたくない父に対するすずめの心の動きを表しているというものだ。
なお、稲川はツイッターで『カルテット』3話が放送された日に「つぶやき怪談」を更新しているが、内容は「死者が“ここにいるんだ”と私を導いていた」という話だった。20年以上も会わなかった父親と死を介することで向き合わなければいけなくなったすずめの話と、ちょっと似ている。
すずめが真紀に語った「チェロを教えてくれたおじいさん」の話も不思議だ。欧太郎の世話をしていた寛子(中村優子)は、冒頭で「物置のおじいちゃんのチェロを見つけて、それ以来、一日中部屋にこもって弾いてた」と語っているが、おじいさんがすずめにチェロを教えていたとは言っていない。OLとして務めていた会社を退職するとき、すずめはチェロを抱えたおじいさんの絵がプリントされていたコップを大事に持っていた。家族からはぐれたすずめにとって、人間の寿命を超えたチェロの存在と、姿の見えないおじいさんの存在はとても大切なのだろう。
世界には見えるものと、見えないものがある。人と人とのつながりも本来は見えないものだ。司にキスをして、すずめが言う。
すずめ「Wi-Fi、つながりました」
世界は見えないものでつながっていく。
それまでの肌を隠すフリルのたくさんついたドレスではなく、腕を露出したドレスですずめはチェロを弾く。最初に弾こうとして途中でやめたのはバッハが作曲した「無伴奏チェロ組曲」の第1番「前奏曲」。今では大変有名な曲だが、長く忘れられていた曲だった。この曲を再発見したのがスペインのチェロ奏者、パブロ・カザルスであり、彼によって見出されたのがガスパール・カサドである。すずめがやり直したのは、このカサドが恩師カザルスに献呈した「無伴奏チェロ組曲」だ。チェロとともに時間を超えて受け継がれた見えない何かを表現しているのかのようである。
とまぁ、『カルテット』はいくらでも深読みができて、いろいろな解釈が楽しめるドラマだ。でも、だからといって深読みできなければ楽しめないドラマだとは思わない。第3話では、30代半ばの“下り坂”に差しかかった多くの人が経験するような、家族との別れという普遍的なテーマを描いている。とっつにくいドラマではないんだよ!
今夜放送の第4話は、お待ちかねの高橋一生回。「ウルトラソウルです」と呼び出しに応じて、いきなり簀巻きにされていたわけだが……。3話のアイキャッチで語られてきたキャッチコピー「すずめの告白、諭高の嘘」も気になる。
本日より主題歌「おとなの掟」のフルバージョンがiTunesほか主要配信サイトにて配信開始! こちらもお聴き逃しなく。
(大山くまお)
第3話の視聴率はガクンと落ちて7.8%。ちょっと残念だけど、きっとタイムシフト視聴で楽しんでいる人も多いのだろう。だって、セリフから表情まで、じっくり楽しみたいからね。リアルタイムでスマホ片手にツイッターで騒ぎながら見るドラマが増えたけど、週末にゆっくり落ち着いてドラマを見るぜいたくを味あわせてくれるのが『カルテット』だと思う。
いいよいいよ。みんなのところに帰ろう
第3話は世吹すずめ(満島ひかり)の家族をめぐるエピソード。今まで仲間たちに家族のことを明かしてこなかったすずめだが、実は20年以上会っていない父・欧太郎(高橋源一郎)がいた。見知らぬ少年・純(前田旺志郎)から父が死の間際にあると知らされるが、すずめは取り合わない。
すずめは幼い少女の頃、父によって「超能力少女」として売り出されたが、嘘が露見して日本中からバッシングされたという過去があった。父は逮捕され、早くに母を亡くしていたすずめは親戚じゅうを転々とすることになる。そして、すずめは卑しい父の言動を心から軽蔑していた。
「親子でしょ?」と純に問われたときの、満島ひかりの「はい」という声のイントネーションが何とも言えない。「親子」は事実として肯定しながら、「でしょ?」という同調圧力を否定(というより拒絶)している。
すずめは病院に行こうとするがどうしても足が動かない。病院から知らせを受けた真紀(松たか子)は、一人で死の際の欧太郎と会い、純からすずめの過去を知らされる。“魔法少女”の正体がバレて“嘘つきの魔女”になってしまったことを。
すずめと会った真紀は「病院へ行こう」と促すが、すずめの話を黙って聞き、「怒られるかな……。ダメかな……。家族だから行かなきゃダメかな……」と苦しむすずめの手を取る。
真紀「すずめちゃん、軽井沢帰ろう。病院行かなくていいよ。カツ丼食べたら、軽井沢帰ろう。いいよいいよ。みんなのところに帰ろう」
別荘に集う4人は、家族からはぐれた人たちだ。司(松田龍平)は“世界の別府ファミリー”からはぐれている。真紀は夫からはぐれている。すずめも家族からはぐれている。諭高(高橋一生)は……たぶん、もうすぐわかるだろう。
許せない親は、許さなくていい。「血は水よりも濃い」ということもない。自分を殺す古臭い家族観に従うこともない。真紀の「いいよいいよ」「帰ろう」という言葉の意味はとても重い。
真紀「私たち、同じシャンプー使ってるじゃないですか。家族じゃないけど、あそこはすずめちゃんの居場所だと思うんです。髪の毛から同じ匂いして、同じお皿使って、同じコップ使って、パンツだってなんだって、シャツだってまとめて一緒に洗濯機に放り込んでいるじゃないですか。そういうのでも、いいじゃないですか」
このセリフは坂元裕二の過去作『問題のあるレストラン』(15年)の8話に登場する静子(藤田弓子)の「なんであんなにいろんな種類のシャンプーがあるの? 頭から同じ匂いを出しているのを家族っていうのよ」というセリフと対応している。『問題のあるレストラン』は、それぞれ問題を抱えた「ポンコツ女」たちが集まって家族のような共同体を築く物語だった。
「古き良き家族像の崩壊」と「新しい居場所の確保」というテーマは、ドラマや映画においてけっして新しいものではない。古くは山田太一脚本の『岸辺のアルバム』(77年)が前者を描き、この『カルテット』第3話を演出した金子文紀が脚本・宮藤官九郎とコンビを組んだ『木更津キャッツアイ』(02年)、『タイガー&ドラゴン』(05年)などの作品も、血縁を持たない共同体を描いた物語だった。すずめが出まかせで家族について語った「きび団子」が出てくる『桃太郎』も血縁が一切登場しない物語である。
真紀「泣きながらごはんを食べたことがある人は、生きていけます」
共同体に受け入れられると安心したすずめは、涙を浮かべながらカツ丼を頬張る。きっと、真紀も一人で泣きながらごはんを食べたことがあるのだろう。嘘つきだらけのドラマだが、この言葉には嘘がない。『プロレススーパースター列伝』の「涙のしょっぱいつけでパンを食った人間でなければ本当の人生に対するファイトはわかない!」というセリフを思い出した人はどれだけいるだろう?
居場所が見つかってよかったね、では終わらない
「告白とか苦手で」と言うすずめは、どんなときも本心を言わず、笑ってやり過ごしてきた。諭高のパンツを燃やしてしまっても告白しないし、嫌がらせのメモもデスクの引き出しの中にしまいこんでいた。すずめを支配しているのは“隠蔽”の二文字だ。いちいち他人を笑うのも防御本能のようなもの。過去のことも現在のことも、すずめはけっして告白しない。隠していることを告白したら、居心地の良い場所から追い出されてしまうと思っているからだ。
いつも眠気の限界までリビングから離れようとしないすずめは、まるで幼子のようでもある。それだけこの場所が心地良いのだろう。すずめが司に急激にアプローチしたのは、偶然の出会いに支えられた関係を、より強固なものにしたかったからのかもしれない。
ただし、このまま「居場所を見つけられてよかったね」で終わりそうもないのが『カルテット』の底知れない魅力である。なにせ、まだ第3話が終わったばかりなのだ。過去に嘘が露見して日本中からバッシングされたすずめは、今もまた“友人のふり”という嘘が露見することを恐れているし、真紀が本当に善人なのかさえわからない。
ライターの武田砂鉄さんは「外野が早々に用意するレッテルを軽快に避けていく感じが『カルテット』にはある」と指摘している(cakes「高橋一生は解析されない状態を保つ」)。一見して何のドラマかわからない、説明しにくいところが『カルテット』の良さである。
世界は見えないものでつながっている
ドラマの冒頭で欧太郎が披露するトランプの手品は、カルテットドーナッツホールの4人のことを表している。偶然Aが4枚揃ったように見えるが、実は“タネも仕掛けもある”ということ。
純は欧太郎(劇中で「おじさん」と呼んでいるが血縁は明らかではない)のためにわざわざ軽井沢まで足を運び、欧太郎の死に涙を流す純朴な少年だが、すずめに軽くあしらわれた後、カルテットドーナッツホールのウェブサイトに無言ですずめの過去を示す動画を送る冷酷さも併せ持つ。すずめに「出テケ」とメッセージを送り続けた会社の人たちだって、きっと善人の部分もあるのだろう。『カルテット』の面白さは、人間の多面性を描いているところだ。
すずめが真紀に自分のことを話す蕎麦屋で“白状”をイメージさせるカツ丼を頼んでいるのは洒落が効いている。刑事の取り調べシーンに初めてカツ丼が登場したのは、55年公開の映画『警察日記』なのだそうだ(中町綾子『なぜ取り調べにはカツ丼が出るのか?』より)。
蕎麦屋で流れる稲川淳二の怪談は、すずめの心境を言語化しているものだという指摘があった。「どうにも体が動かない」「やだやだどうしよう」と稲川が語っている部分が、会いたくない父に対するすずめの心の動きを表しているというものだ。
なお、稲川はツイッターで『カルテット』3話が放送された日に「つぶやき怪談」を更新しているが、内容は「死者が“ここにいるんだ”と私を導いていた」という話だった。20年以上も会わなかった父親と死を介することで向き合わなければいけなくなったすずめの話と、ちょっと似ている。
すずめが真紀に語った「チェロを教えてくれたおじいさん」の話も不思議だ。欧太郎の世話をしていた寛子(中村優子)は、冒頭で「物置のおじいちゃんのチェロを見つけて、それ以来、一日中部屋にこもって弾いてた」と語っているが、おじいさんがすずめにチェロを教えていたとは言っていない。OLとして務めていた会社を退職するとき、すずめはチェロを抱えたおじいさんの絵がプリントされていたコップを大事に持っていた。家族からはぐれたすずめにとって、人間の寿命を超えたチェロの存在と、姿の見えないおじいさんの存在はとても大切なのだろう。
世界には見えるものと、見えないものがある。人と人とのつながりも本来は見えないものだ。司にキスをして、すずめが言う。
すずめ「Wi-Fi、つながりました」
世界は見えないものでつながっていく。
それまでの肌を隠すフリルのたくさんついたドレスではなく、腕を露出したドレスですずめはチェロを弾く。最初に弾こうとして途中でやめたのはバッハが作曲した「無伴奏チェロ組曲」の第1番「前奏曲」。今では大変有名な曲だが、長く忘れられていた曲だった。この曲を再発見したのがスペインのチェロ奏者、パブロ・カザルスであり、彼によって見出されたのがガスパール・カサドである。すずめがやり直したのは、このカサドが恩師カザルスに献呈した「無伴奏チェロ組曲」だ。チェロとともに時間を超えて受け継がれた見えない何かを表現しているのかのようである。
とまぁ、『カルテット』はいくらでも深読みができて、いろいろな解釈が楽しめるドラマだ。でも、だからといって深読みできなければ楽しめないドラマだとは思わない。第3話では、30代半ばの“下り坂”に差しかかった多くの人が経験するような、家族との別れという普遍的なテーマを描いている。とっつにくいドラマではないんだよ!
今夜放送の第4話は、お待ちかねの高橋一生回。「ウルトラソウルです」と呼び出しに応じて、いきなり簀巻きにされていたわけだが……。3話のアイキャッチで語られてきたキャッチコピー「すずめの告白、諭高の嘘」も気になる。
本日より主題歌「おとなの掟」のフルバージョンがiTunesほか主要配信サイトにて配信開始! こちらもお聴き逃しなく。
(大山くまお)