落語家と裏街道とのおつきあい「昭和元禄落語心中 助六再び編」2話
「どうせキミ行き詰まってるんだろう。八雲・助六双方の影響が強すぎるが、比較するにはあまりに対照的で、中途半端にどっちの本質にも迫っていない。数多の落語を聞いた者として断言しよう。君にはまだ自分の落語が無い。名人の弟子の永遠の命題なのだ。二ツ目まではそれで許されても、真打ってのはそれ以上のものを見せてくれなくては」
雲田はるこ原作アニメ『昭和元禄落語心中 助六再び編』第2話は、与太郎改メ三代目助六を襲ったスキャンダル報道から始まる話だった。原作の6巻にあたる。
晴れて真打昇進を果たし、テレビ番組のレギュラーなども掴むなどして順調に出世街道を歩むかに見えた助六だったが、組に入っていた過去と背中の彫物の存在を週刊誌に暴かれてしまう。そのために客筋から不評を買い、番組の降板も申し渡された。だが助六の悩みはおのれの過去に対するものばかりではなかった。真打として自分にはまだ十分な実力が備わっていない。そのことを演芸記者から指摘され、心中に波が湧き立つ。
東京の落語家は前座・二ツ目・真打と三つの身分を経験する。前座は修業中で商品として自分を売ることが許されない立場である。二ツ目昇進は営業許可証の取得のようなもので、単独で仕事を取ることが許されるが、まだ自分の師匠に付いているのであって、完全な独立は果たしていない。たとえば寄席の出番なども、真打を通じて協会から受け取るのである。真打になれば弟子を取ることができるようになり、完全に一家をなしたものと見なされる。となればやはり、自分だけの落語を求められるのである。第2話は、そうした立場になった芸人の苦悩を描くものだった。
前回も書いたとおり3月には落語協会で5人の真打が、そして5月には落語芸術協会で昔昔亭桃之助(桃太郎門下)、笑福亭和光(鶴光門下)と2人の真打が誕生する。真打披露興行は大々的に寄せ触れをして進められるが、新真打の前途には越えなければならない波風があり、お客の支援なくしてそれはなしえないと判っているからでもある。ぜひ寄席に足を運んで、祝福と声援を送ってあげてもらいたい。
反社会勢力と関係を持つことが厳格に戒められるようになった現在では、助六もテレビのレギュラーを切られるどころではなく、芸人生命を奪われることになったかもしれない。ただし過去には演芸の世界も、裏街道の親分衆との縁を切るわけにはいかない時期があった。講談師の例だが、二代目神田山陽(先代・故人)の自伝彫物をしていたという噂のある芸人は多いが、いずれも噂の域を出ないのでここでは名前を挙げるのは控えておく。今はそういうことはないが、昭和の時代には芸人の博打なども盛んだったという。名前を出した三代目桂三木助がその道では「隼の七」と異名をとるほどの存在だったことは有名である。
h2 class="maru"落語家の前職・落語家という前職/h2
さすがに組に入っていた過去のある落語家は、現役ではいないはずだ。ただし、他の職を経験してから入門した落語家は非常に多い。最近増えたのは漫才・コントなどの落語以外の分野で活動していた者が入門するケースで、月亭八方や桂三度などはテレビで一度売れてからの転身組だが、下積みの芸人だった過去のある落語家は枚挙に暇がない。
故人となった落語家の変わった前職では、五代目柳家つばめの中学教師や初代三遊亭遊三の判事補などがある。遊三は元旗本だったが道楽が昂じて高座にも上がるようになり、その後に硬い勤めに就き直したのだが、とある裁判で被告の女性に一目惚れしてしまい、関係を持ったことが露見して職を辞したのである。その経緯から考える限りでは、官職よりも芸人のほうが向いていたようだ。
現役落語家で前職が変わっているのは、落語芸術協会の真打・三笑亭可風だろう。もともと可風は先代古今亭志ん馬の弟子だったのだが、師匠の没後、他の一門で引き取ってもいいという声があったのを断って廃業した。その後は小笠原諸島の父島でウミガメの調査員をしていたのである。その後三笑亭可楽の門下に入って芸界に復帰した。二ツ目時代までの名前は可女次、出囃子は「もしもしカメよ」と亀尽くしだ。
落語立川流の二ツ目・立川寸志は40代になってから立川談四楼門下に入った。談四楼は「落語もできる小説家」で、小説やエッセイの著作が多い。寸志はその担当編集者だったのだ。談四楼に会って話をしているうち、若い頃の夢が再燃して捨てられなくなり、ついに入門を志願するに至ったのだ。当時、現師匠とは出版企画が進行しており、突然スーツを着て現れて土下座をした寸志を見て談四楼は「本の話が流れたな」と思ったという。
この他、会社勤めの経験者は非常に多い。落語芸術協会所属で〈成金〉ユニットで活躍している桂宮治は元化粧品会社の敏腕セールスマンだった。落語立川流の立川談慶も下着メーカー・ワコールの北九州地区を担当していた営業で、売上ではたいへんに貢献していたそうである。前座名はそのまま「ワコール」。無許可で師匠・談志につけられたが、後にワコール社長に頭を下げて認めてもらっている。
逆に落語家だった過去を明らかにしているのが、三遊亭圓楽一門にいた伊集院光、立川談志門下からの移籍でビートたけしの下に移ったダンカン、笑福亭鶴光門下だった嘉門達夫といった人々だ。
h2 class="maru"今回の噺/h2
今回作中で掛けられた噺は5つあった。
最初に寄席で助六が演じているのが「黄金餅」である。五代目古今亭志ん生(故人)の十八番で、放映で出てきたのは坊主の遺骸を麻布絶口釜無村まで運んでいく道行を語る言い立ての部分だ。ばーっと立て板に水で話さなければならないところなので、途中で客同士の喧嘩が始まって助六は心中穏やかではなかっただろう。この言い立てでおもしろいのは立川談志で、志ん生が道順で間違っているところを実際に踏査して直したり、現代の地理ではどうなるかを語ったりしていた。
八雲に稽古をつけてもらっている噺は「鮑のし」である。利口者の女房の尻に敷かれている甚兵衛さんを主人公とする噺の一つで、婚礼のお祝いに尾頭つきを持っていき、その返礼の祝儀で米を買う算段をするのだが、甚兵衛さんが鮑を買ったためにしくじってしまう。ここで八雲が「お前さんの女房は思慮が浅い。裏声はやめろ。地声で女を表現なさい」と助六を叱るのだが、原作ではこれは後で出てくる「錦の袈裟」の口演中に助六が回想する場面での台詞となっている。
うたたねする小夏に寄り添って八雲が語るのは「あくび指南」である。子供時代の小夏が父の二代目助六に聞かせてもらった噺だった。あくび指南所という変わった稽古場の出来事を描いた噺で、八雲が語っているのは、その中で夏の船遊びをしているときのあくびを教えているくだりだ。落語の中にはこのように、聴いているうちに心地よい眠りに引き込まれるものが多数ある。寄席でうっかり居眠りしてしまうのは、必ずしもつまらないからではなく、心地よいからでもあるのだ。
二人会において助六の兄弟子・のり平が掛けている落語は「笠碁」である。碁で待ったをしたことが原因でいい年をした大人同士が喧嘩になる。幼馴染みの二人だからもちろんはずみの喧嘩であり、どちらも仲直りしたくて仕方ないのだ。その心情を描いた大人の噺で、なんといっても十代目金原亭馬生(先代・故人)が絶品であった。
最後、もっとも長い時間をとって噺の序盤から中盤までそっくり語られたのは与太郎噺の一つ「錦の袈裟」である。与太郎というと単なる愚か者のイメージもあるが、この噺に出てくるのはおかみさんもいて、寺の檀家にもなっているし、友達との仲間付き合いも対等にしているきちんとした社会人の与太郎である。落語の最中に助六は客の反応に動揺し、とんでもない行為に出てしまう。原作ではその模様を吹き出しの台詞で書いていたが、アニメでは落ち着きのない行動で表現されていた。漫画とアニメの演出の違いがよく出ていた場面である。
ちなみにこの落語会、公共施設っぽい場所の和室を借りて行われていたが、出囃子が下座さんの三味線で奏でられていた。実際の落語会だと入場料で下座さんに報酬を払うと間違いなく赤字になるので、ありもののCDなどで流されることがほとんどである。また、助六が肌脱ぎになる場面があったが、下に襦袢を着ていなかったのは少し乱暴であった。着物の下に襦袢(その下にさらに肌襦袢)を着ない落語家はまずいない。着物の柄に長襦袢を合わせるなど隠れたお洒落ポイントでもあるので、高座に接する機会があれば注目いただきたい。
恥ずかしながら私・杉江松恋も落語会のプロデュースをやっております。
a href=“http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=110686300">1月第4週の興行は、月曜日に33歳以上で入門して現在40歳以上という「若いおじさん」の二ツ目が競演する「若いおじさんの会 ハローワーク編」があります。ハローワーク編というのは前職について語るという意味で、元ストリートダンサーだった三遊亭楽天(五代目円楽一門会)と福祉系の仕事をしていた柳家さん光の二人が出演します。
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a href=“http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=109472705">金曜日は落語芸術協会の重鎮・瀧川鯉昇独演会で、自伝『鯉のぼりの御利益』も販売いたします。人気落語家だけにこちらは予約必須。
真打であるゆえの悩み
雲田はるこ原作アニメ『昭和元禄落語心中 助六再び編』第2話は、与太郎改メ三代目助六を襲ったスキャンダル報道から始まる話だった。原作の6巻にあたる。
晴れて真打昇進を果たし、テレビ番組のレギュラーなども掴むなどして順調に出世街道を歩むかに見えた助六だったが、組に入っていた過去と背中の彫物の存在を週刊誌に暴かれてしまう。そのために客筋から不評を買い、番組の降板も申し渡された。だが助六の悩みはおのれの過去に対するものばかりではなかった。真打として自分にはまだ十分な実力が備わっていない。そのことを演芸記者から指摘され、心中に波が湧き立つ。
東京の落語家は前座・二ツ目・真打と三つの身分を経験する。前座は修業中で商品として自分を売ることが許されない立場である。二ツ目昇進は営業許可証の取得のようなもので、単独で仕事を取ることが許されるが、まだ自分の師匠に付いているのであって、完全な独立は果たしていない。たとえば寄席の出番なども、真打を通じて協会から受け取るのである。真打になれば弟子を取ることができるようになり、完全に一家をなしたものと見なされる。となればやはり、自分だけの落語を求められるのである。第2話は、そうした立場になった芸人の苦悩を描くものだった。
前回も書いたとおり3月には落語協会で5人の真打が、そして5月には落語芸術協会で昔昔亭桃之助(桃太郎門下)、笑福亭和光(鶴光門下)と2人の真打が誕生する。真打披露興行は大々的に寄せ触れをして進められるが、新真打の前途には越えなければならない波風があり、お客の支援なくしてそれはなしえないと判っているからでもある。ぜひ寄席に足を運んで、祝福と声援を送ってあげてもらいたい。
落語家と裏街道とのおつきあい
反社会勢力と関係を持つことが厳格に戒められるようになった現在では、助六もテレビのレギュラーを切られるどころではなく、芸人生命を奪われることになったかもしれない。ただし過去には演芸の世界も、裏街道の親分衆との縁を切るわけにはいかない時期があった。講談師の例だが、二代目神田山陽(先代・故人)の自伝彫物をしていたという噂のある芸人は多いが、いずれも噂の域を出ないのでここでは名前を挙げるのは控えておく。今はそういうことはないが、昭和の時代には芸人の博打なども盛んだったという。名前を出した三代目桂三木助がその道では「隼の七」と異名をとるほどの存在だったことは有名である。
h2 class="maru"落語家の前職・落語家という前職/h2
さすがに組に入っていた過去のある落語家は、現役ではいないはずだ。ただし、他の職を経験してから入門した落語家は非常に多い。最近増えたのは漫才・コントなどの落語以外の分野で活動していた者が入門するケースで、月亭八方や桂三度などはテレビで一度売れてからの転身組だが、下積みの芸人だった過去のある落語家は枚挙に暇がない。
故人となった落語家の変わった前職では、五代目柳家つばめの中学教師や初代三遊亭遊三の判事補などがある。遊三は元旗本だったが道楽が昂じて高座にも上がるようになり、その後に硬い勤めに就き直したのだが、とある裁判で被告の女性に一目惚れしてしまい、関係を持ったことが露見して職を辞したのである。その経緯から考える限りでは、官職よりも芸人のほうが向いていたようだ。
現役落語家で前職が変わっているのは、落語芸術協会の真打・三笑亭可風だろう。もともと可風は先代古今亭志ん馬の弟子だったのだが、師匠の没後、他の一門で引き取ってもいいという声があったのを断って廃業した。その後は小笠原諸島の父島でウミガメの調査員をしていたのである。その後三笑亭可楽の門下に入って芸界に復帰した。二ツ目時代までの名前は可女次、出囃子は「もしもしカメよ」と亀尽くしだ。
落語立川流の二ツ目・立川寸志は40代になってから立川談四楼門下に入った。談四楼は「落語もできる小説家」で、小説やエッセイの著作が多い。寸志はその担当編集者だったのだ。談四楼に会って話をしているうち、若い頃の夢が再燃して捨てられなくなり、ついに入門を志願するに至ったのだ。当時、現師匠とは出版企画が進行しており、突然スーツを着て現れて土下座をした寸志を見て談四楼は「本の話が流れたな」と思ったという。
この他、会社勤めの経験者は非常に多い。落語芸術協会所属で〈成金〉ユニットで活躍している桂宮治は元化粧品会社の敏腕セールスマンだった。落語立川流の立川談慶も下着メーカー・ワコールの北九州地区を担当していた営業で、売上ではたいへんに貢献していたそうである。前座名はそのまま「ワコール」。無許可で師匠・談志につけられたが、後にワコール社長に頭を下げて認めてもらっている。
逆に落語家だった過去を明らかにしているのが、三遊亭圓楽一門にいた伊集院光、立川談志門下からの移籍でビートたけしの下に移ったダンカン、笑福亭鶴光門下だった嘉門達夫といった人々だ。
h2 class="maru"今回の噺/h2
今回作中で掛けられた噺は5つあった。
最初に寄席で助六が演じているのが「黄金餅」である。五代目古今亭志ん生(故人)の十八番で、放映で出てきたのは坊主の遺骸を麻布絶口釜無村まで運んでいく道行を語る言い立ての部分だ。ばーっと立て板に水で話さなければならないところなので、途中で客同士の喧嘩が始まって助六は心中穏やかではなかっただろう。この言い立てでおもしろいのは立川談志で、志ん生が道順で間違っているところを実際に踏査して直したり、現代の地理ではどうなるかを語ったりしていた。
八雲に稽古をつけてもらっている噺は「鮑のし」である。利口者の女房の尻に敷かれている甚兵衛さんを主人公とする噺の一つで、婚礼のお祝いに尾頭つきを持っていき、その返礼の祝儀で米を買う算段をするのだが、甚兵衛さんが鮑を買ったためにしくじってしまう。ここで八雲が「お前さんの女房は思慮が浅い。裏声はやめろ。地声で女を表現なさい」と助六を叱るのだが、原作ではこれは後で出てくる「錦の袈裟」の口演中に助六が回想する場面での台詞となっている。
うたたねする小夏に寄り添って八雲が語るのは「あくび指南」である。子供時代の小夏が父の二代目助六に聞かせてもらった噺だった。あくび指南所という変わった稽古場の出来事を描いた噺で、八雲が語っているのは、その中で夏の船遊びをしているときのあくびを教えているくだりだ。落語の中にはこのように、聴いているうちに心地よい眠りに引き込まれるものが多数ある。寄席でうっかり居眠りしてしまうのは、必ずしもつまらないからではなく、心地よいからでもあるのだ。
二人会において助六の兄弟子・のり平が掛けている落語は「笠碁」である。碁で待ったをしたことが原因でいい年をした大人同士が喧嘩になる。幼馴染みの二人だからもちろんはずみの喧嘩であり、どちらも仲直りしたくて仕方ないのだ。その心情を描いた大人の噺で、なんといっても十代目金原亭馬生(先代・故人)が絶品であった。
最後、もっとも長い時間をとって噺の序盤から中盤までそっくり語られたのは与太郎噺の一つ「錦の袈裟」である。与太郎というと単なる愚か者のイメージもあるが、この噺に出てくるのはおかみさんもいて、寺の檀家にもなっているし、友達との仲間付き合いも対等にしているきちんとした社会人の与太郎である。落語の最中に助六は客の反応に動揺し、とんでもない行為に出てしまう。原作ではその模様を吹き出しの台詞で書いていたが、アニメでは落ち着きのない行動で表現されていた。漫画とアニメの演出の違いがよく出ていた場面である。
ちなみにこの落語会、公共施設っぽい場所の和室を借りて行われていたが、出囃子が下座さんの三味線で奏でられていた。実際の落語会だと入場料で下座さんに報酬を払うと間違いなく赤字になるので、ありもののCDなどで流されることがほとんどである。また、助六が肌脱ぎになる場面があったが、下に襦袢を着ていなかったのは少し乱暴であった。着物の下に襦袢(その下にさらに肌襦袢)を着ない落語家はまずいない。着物の柄に長襦袢を合わせるなど隠れたお洒落ポイントでもあるので、高座に接する機会があれば注目いただきたい。
恥ずかしながら私・杉江松恋も落語会のプロデュースをやっております。
a href=“http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=110686300">1月第4週の興行は、月曜日に33歳以上で入門して現在40歳以上という「若いおじさん」の二ツ目が競演する「若いおじさんの会 ハローワーク編」があります。ハローワーク編というのは前職について語るという意味で、元ストリートダンサーだった三遊亭楽天(五代目円楽一門会)と福祉系の仕事をしていた柳家さん光の二人が出演します。
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a href=“http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=109472705">金曜日は落語芸術協会の重鎮・瀧川鯉昇独演会で、自伝『鯉のぼりの御利益』も販売いたします。人気落語家だけにこちらは予約必須。