豊田章男社長「レクサスを熱いブランドにする。もう退屈とは言わせない」
■「これからはもう退屈とは言わせない」
今年1月、デトロイトで行われた北米モーターショーで、トヨタはレクサスブランドのフラッグシップとなる新しいラグジュアリークーペ「LC500」を発表した。メディア向けのプレゼンテーションでスクリーンに映し出された文字は「BORING LEXUS(退屈なレクサス)」。そのBORINGの上には消し線が書かれていた。
「レクサスを熱いブランドにする。これからはもう退屈とは言わせない」
自らレクサスのブランドづくりのトップ、チーフブランディングオフィサーを務める豊田章男・トヨタ自動車社長はこう語った。退屈というイメージがあったことを認め、それと決別すると宣言したのである。
1989年にアメリカでスタート、2014年に25年周年を迎えたレクサスは今、ブランド改革の真っ最中だ。2012年にレクサス部門はレクサスインターナショナルという組織に改変され、独立性が強められた。クルマづくりの基盤技術はトヨタのものを用い、また生産もトヨタの工場で行われるが、商品企画、開発、営業、広報・宣伝など、ブランド運営に必要なファクターはすべて独自。現時点ではまだ徹底しきれていないが、コンピュータの世界におけるファブレス(無工場)メーカーのような立ち位置をイメージしている。
“高級なトヨタ車”というイメージを脱ぎ捨て、レクサス独自のブランドバリューを何とかして打ち立てたいという豊田社長の思いを実現させるための方策である。
トヨタがレクサス改革を目指す目的は、レクサスをアメリカのブランドからグローバルブランドへと飛躍させることだ。今日のレクサスの世界販売を見ると、依然としてアメリカが約6割を占めている。2015年の世界販売は65万台と、俗に“ドイツプレミアム御三家”などと呼ばれるメルセデス・ベンツ、BMW、アウディの3分の1にとどまり、イギリスのジャガー・ランドローバーやスウェーデンのボルボ・カーズなどと同様、第2グループに甘んじている。レクサスをアメリカブランドから脱皮させるためには、プレミアムセグメントの本拠地であるヨーロッパ市場で成功を収められるようなクルマづくりに変わっていかなければならないのだ。
■レクサスならではのファッション性を打ち出す
レクサスインターナショナルのトップであるプレジデントを務めるのは、トヨタ全体のデザインディレクションの責任者でもある福市得雄。レクサス25周年の2014年、豊田社長から「レクサスを変えてほしい」と言われて就任した福市は、レクサス飛躍のためのビジョンを次のように語る。
「クルマを発明したメルセデス・ベンツをはじめ、ジャーマンスリー(ドイツプレミアム御三家)が地元にある欧州市場の顧客にあえてレクサスを選んでいただけるようなクルマづくりは、もとより困難な道で、普通のことをやっていても勝てない。その壁を突破する鍵となるのはまず、彼らと違う、他にないクルマづくりをすること。性能や品質ももちろん大事ですが、それと並んで重要視しているのは、レクサスならではのファッション性を出すことです」
2011年、レクサスはプレミアムEセグメント(おおむね全長4.8〜5mの大型乗用車カテゴリー)の「GS」にスピンドルグリルというアイデンティティマスク(ブランドに共通するデザインの顔)を採用したが、福市はそれだけでなく、全体のデザインについてもそれまでのレクサスの特徴だった柔和さを捨て、攻撃的なデザインに一変させた。2014年に発売した中型クロスオーバーSUV「NX」においては、いくつかの原案の中から若手デザイナーの描いた、未熟ではあるが光るものも感じるという作品をあえて選んだ。
「他の案はもっと完成度が高く、格好も良かったのですが、将来出てくるであろうライバルブランドのSUVに似る可能性があった」と福市は振り返る。無難さを捨てて、あえて異形のスタイリングを取ったほうが、レクサスを特別なものにできると考えたのである。
昨年、日本への導入から丸10年が経過したレクサス。前出の「NX」をはじめ、2013年発売のスポーツセダン「IS」、2015年発売の大型クロスオーバーSUV「RX」と、新世代デザインのモデルが続々と登場している。だが、福市の描いている理想はもっと上にある。2014年にプレジデント就任を打診されたとき、福市が豊田社長に言ったのは「私の好きなようにやっていいんですか」という言葉だった。本当に“好きなように”つくったモデルは、これから出てくるのだ。冒頭の「LC500」の原型は2012年の北米モーターショーに出品したデザインコンセプトカーだが、市販予定車もコンセプトカーのオーバーな表現を削ることなく、ほとんどそのままのスタイリングである。これはクルマづくりの世界では異例のことだが、福市の攻めの姿勢の表れと言える。
はたしてレクサスは第2の四半世紀においてブランド価値を確立し、堂々たる世界の名品となれるのか。
(文中敬称略)
(ジャーナリスト 井元康一郎=文)