「落語は書いて覚えるな」真打まで18年の修行道 - 土屋礼央の「じっくり聞くと」(第2回・後編)
土屋礼央の「じっくり聞くと」。第2回は昨年秋に真打に昇進した落語家・立川志ららさんにインタビュー。前編では落語家を志したきっかけを伺いましたが、後編は真打昇進までの道のりと修行について「じっくり」聞いていきます。

土屋礼央(以下、土屋):今回志ららさんは「真打」に昇進されました。「真打」という言葉は聞いたことがある人も多いとは思いますが、どのように昇進していくんですか?

立川志らら(以下、志らら):落語家は"見習い"から始まります。昔の落語家はほとんど住み込みだったみたいです。まあ、大抵親には反対され、家を勘当されて、「それでも落語家になりたい」という人がほとんどだったと思うんで、必然的にそうなったというのもあるんでしょうけど。

そして「こいつなら大丈夫だろう」と寄席に入るようになって前座を3〜4年。前座は羽織も袴もつけられない"着流し"で、落語会に出演していても名前は出ないで「開口一番」だったり、前座の落語は入場料にも入ってないと言われます。

それで楽屋仕事を覚えて、なんとか高座をつとめられるようになると"二ツ目"になり、羽織を着て袴もつけられるようになります。二ツ目になったら次は"真打"。そうすると「師匠」と呼ばれて弟子がとれるようになります。

土屋:流派はどのくらいあるんですか。

志らら:落語の団体は、関東だと落語協会、落語芸術協会、円楽一門会、立川流。今は時代の流れというか、色々あってフリーの人も出てきてますけど、基本的にはこの4つの団体のどこかに所属しています。

■アウトローな「立川流」


土屋:立川流独自のルールなどはあるんですか。

志らら:前編でも話しましたが、いわゆる「寄席」には我々立川流は出られません。昔、真打昇進試験というのがあって、その試験の審査員の1人だった談志師匠が仕事で欠席した時、よりによって談志の弟子が落とされたという事がありまして。

そしたら談志師匠が「俺の弟子が落ちるとはなにごとだ!」と。「よし!新しい団体をつくる!」と落語協会を飛び出して立川流を作り、それ以来寄席に出られなくなりました。談志師匠にしてみれば「出られないんじゃなくて、出てやらねえんだ」ということでしょうが。(笑)

土屋:じゃあ、この4つの団体の中ではアウトローな感じ?

志らら:そうですね。円楽一門会っていうのも三遊亭円楽師匠が落語協会から飛び出たので基本は寄席に出られないんですけど、立川流が出られないほうがクローズアップされるんですよね(笑)。

それと談志師匠は、立川流を立ち上げた時に落語家だけじゃなくていろんなことをしているエンターテイメントの人たちを落語界に呼び込もうってことでAコース、Bコース、Cコースというのを作りました。

Aコースは志の輔師匠、談春師匠、師匠志らく等、いわゆる普通の師弟関係、Bコースは著名人にも落語をやってもらおうというもので、ビートたけしさん、私も前座の頃からお世話になってる高田文夫先生、ミッキーカーチスさんらが、談志師匠から名前をもらってます。

Cコースは一般の人で、お金を払えば名前がもらえるというもので、その時「立川談洋」という名前をもらったのに、正式に入門してAコースになったら「立川キウイ」になった兄弟子もいます。立川流を作る時に誰かが、「落語家さんてお金も取らずに育てて芸を教えてあげて、おかしくないですか?」って談志師匠に言ったらしいんです。それを聞いて「あ、そうだ」って気付いちゃったんですね。「そういえばお花も踊りも全部師匠にお金を収めてる」って。それで立川流は談志師匠が家元となり、上納金を納める唯一無二の流派になっちゃいました。

土屋:最終的にどうやって真打になったんですか?

志らら:寄席だったらお席亭という人達などにも「そろそろいいんじゃないか」って言われたりするんでしょうが、うちはそういうのがないので師匠志らくが初めて「真打トライアル」というのを企画しました。自分の師匠、談志、当時の立川流の顧問山藤章二先生、高田文夫先生、玉置宏先生らをみんな呼んで、その前で落語をやって、最後に談志師匠に出てきてもらって「真打にどうですか」って聞く落語会です。僕、その会場の客席にいたんですけど、満員のお客さんで、客席の緊張感もすごかったの覚えてます。それで、談志師匠が「志らくを真打にします」と言った時の拍手もすごかったです。

土屋:お客さんがいるのに、そこで落ちることなんてあるんですか?

志らら:志らく一門でも何年か前に真打トライアルをやった人がいましたが、その時は、うちの師匠落としました。2回やってもダメだったりもしたんで、僕はやりませんでした。だってこわいから(笑)。

僕の場合は、立川一門の中で年季的には真打になってもいいだろうという5人で、立川流として初の真打トライアルをやりました。一昨年の10月から1月を抜いた全6回で、4月が最終回。立川流の理事の師匠方も全員客席で見て、お客さんの投票と合わせて、「6回やって1位の人は無条件に真打にする。2位以下も場合によっては…」というのをやったんです。

土屋:そこではどんなネタを?

志らら:普通だったら得意なネタ6本やればいいじゃないですか。でもその時は僕も変な闘争心があって、「志らくの落語二四八席辞事典」って本から248席を紙に書き出して、「師匠、この中から真打トライアルでやる落語を6席選んでください」って。そうしたら、僕が一回もやったことないネタを6本選んできたんです(笑)。鬼だなと思いました。それもうちの師匠も真打トライアルでやった「庖丁」という大ネタも入ってて、「私を真打にしたくないのか?」と思いました(笑)。

土屋:難しいネタだと、どのくらいの稽古になるんですか。

志らら:真打トライアルの「庖丁」に関していうと、10ヶ月の間ずっと頭の中で考えてました。ネタを師匠に選んでもらったのが6月で、「庖丁」は最後の4月にやろうと決めていたので、その期間ずっと噺の中で唄う「八重一重」という小唄の稽古もやりつつ、自分なりの演出も考えつつで、もちろんその間に他の5本の稽古もしなくちゃなりませんでしたし地獄のような10ヶ月でしたね。

■落語は書いて覚えるな


土屋:音楽は最初、耳コピ(耳で聞いてコピー)とかして練習するんですけど、落語はどうやって?

志らら:やっぱり耳です。僕は入門してすぐに「台本は書くな。書かなきゃ覚えられない奴は落語家になる資格がない」と師匠に言われました。昔は「三遍稽古」と言って、その名の通り師匠が目の前で同じ話を3回やったらそれで覚える。もちろん当時はメモも録音もなし。帰りの道すがら必死になってリフレインしながら覚えて、覚えたらその師匠の前でしゃべって直されるというのが基本の稽古だったようです。

ですが、最近は録音してもよかったり、寄席の時に舞台の袖で聞いて覚えるという形もあるみたいですね。僕は今でも、自分の落語を書いた台本は一切なくて、やる時には頭の中で思い出すスタイルです。

土屋:紙に書かないほうがいいですか。

志らら:紙に書かないほうが、僕の場合はその場で思いついたことをいっぱい入れられるのでいいです。例えば急に「時間を短くして」って言われても対応ができるんです。それと、よく「どうやってそんな長い噺を覚えるんですか」って聞かれるんですけど、私の場合は文字で書いちゃダメなんです。文字にして覚えると、助詞ひとつ間違えただけで「あっ、間違えた!」と思っちゃう。イメージとしては「昨日おもしろい夢を見たから、その夢の映像を人に伝える」という感じ。もちろん、一門によっては、“てにをは”を一つずつ直されるところもあります。

土屋:落語家さんの稽古ってどんな感じなんでしょう。

志らら:歩きながらやる人が多いんじゃないですかね。僕の場合はとにかくいっぱい何度も聞いて、もういけるんじゃないかと思ったら歩きながらブツブツ言って、それをずっと繰り返す。それで、高座にかける時に初めて正座して喋ってみる。うまくいく場合もあるけど、もちろんそうじゃない時もあります。だから自分の高座は録音してすぐに聞くようにしてます。聞き直すのはすごく嫌なんですけどね。最近は慣れてきましたけど恥ずかしいし、芸風的にうまい落語じゃないし。

土屋:ネタは何個くらい頭に入ってるんですか。

志らら:僕は真打なので100席です。談志師匠が立川流は、二ツ目、真打の昇進基準を明確に決めてまして、二ツ目になるには古典落語50席、歌舞音曲、いわゆる小唄端唄も唄えて、踊りも出来て、もちろん前座仕事である太鼓も叩けて、着物もたためて、楽屋廻りもひと通り出来なきゃダメだと。

真打になるには古典落語100席、もうちょっと高いレベルでの歌舞音曲、あと談志師匠がおっしゃってたのは「客を呼べる」こと。真打になったら、独演会をやってお客さんが来るような落語家にならなきゃいけないと。

土屋:本番前はリハーサルするものなんですか。いきなり「やってくれ」と言われてできるものなんですか。

志らら:落語会も変わってきて、今はチラシ等に演目まで書いてあって、いわゆる「ネタ出し」する場合も増えました。そういう場合は、それに向けて稽古できますけど、普通はネタは決められないんですよ。前に出る人が何やるかもその時まで分かりませんし、もちろん似た噺は出来ませんし。だから「トリをとる」って大変なんです、最後に出てってお客さんを満足させて帰さなくちゃいけないので。

さすがに自分の前の出番の人がやってる時に「何やろうかな」といくつか候補を考えますけど、実際高座にあがってみないと分からない場合もありますから、ネタの決め打ちは出来ないんです。だから僕は今でも最初に出たいですよ(笑)。

土屋:どれくらい練習してそこにたどり着いてるんですか。努力を見せないのが粋な感じがするんですけど。

志らら:努力って感じじゃないんです、自分が好きでしゃべってるので。うちの師匠はいまだに言います、例えば一流のピアニストは1日10時間ピアノに向かって練習する、落語家もとにかく自分のリズムが身に付いてない前座のうちは1日10時間でもぶつぶつしゃべるようでなければだめなんだって。

土屋:音楽はメロディが流れるとなんとなく体に入ってる言葉が出てくるんですよ。落語家は何をきっかけに言葉が出てくるんですか。

志らら:落語家も自分の頭の中にメロディがある人が面白いし、いわゆる売れっ子、人気者だと思います。自分のメロディに言葉を乗せてるんだと思うんですよね。自分では一番調子いい時は、しゃべっている自分を俯瞰で上から見てる自分がいて、自分を操作してるっていう感覚です。

それと併せて、師匠には「落語だけ稽古してたってダメだよ」とも言われました。落語だけを稽古して綺麗にしゃべれるようになっても、それはただ綺麗に落語をなぞっているだけだからと。そうじゃなくて、その人がどういう人間かっていう部分が出たほうがいい。いろんなことを経験してきた人の落語だからこそおもしろい、だからいろんな経験しなくちゃいけないんだよ、って。
そういえば、談志師匠も政治家になったり色々世間を騒がせてましたもんね。沖縄政治次官はとある事情で36日間で退任してましたけど(笑)。

■恩師からの「売れてこい」


土屋:たしかに!真打になって、この先はどうなりたいですか。

志らら:変わらずこのまま、ごはんが食べられたらいいです。でっかい会場でやりたいとかそういうものも特にはなくて。ただ今一番困るのは、真打になったらあからさまに、うちの師匠や、長年運転手としてそばにいさせて頂いてる恩師の高田文夫先生が「売れてこい」って言うようになったんです。

僕はそれまでずっと陰に隠れておもしろがってればよかったんですけど、明確に「売れてこい」って言われちゃったんで。こんなにお世話になってる人の言うことをやらないって人として最低じゃないですか。でも、売れるってそう簡単なことじゃないので、それが一番の悩みです。

土屋:期待しております。次の高座、行かせていただきます。

志らら:そういうの困るんです。本当は高座も好きな時に好きなところでやりたい(笑)。

土屋:(笑)お知らせがあるんですから。3月にあるでしょ、何か。

志らら:真打昇進の披露目の会でトリをとるんです。師匠志らく、高田文夫先生などゲストの皆さんに出て頂いて一番最後に僕がしゃべるんですよ。お客さん、休憩で帰ってくれないかな(笑)。でも、これからどんどん大きなステージのところにも出て行かなくちゃいけないし、後輩もそれを見てるだろうし、自分もお世話になった分、ちゃんとやらなくちゃいけないなと思ってます。

土屋:もうネタは決まってるんですよね?

志らら:まだですよ! まだ、1月にやった真打昇進の披露パーティの後始末してます(笑)。

◇前編:「とにかくやりたいことをやろう」立川流真打・立川志ららが落語家になったワケ

プロフィール


■立川志らら

1973年、横浜市出身。専修大学中退後の1997年、立川志らくに入門。2002年、立川談志の孫弟子として初の二ツ目に昇進。2015年真打昇進。

イベント情報
立川志らら 真打昇進披露興行
「立川流新真打、ひたすら笑わせる志ららに注目!」
・2016.3.27(日)
・会場:国立演芸場
詳細はこちら(外部サイト)

■土屋礼央

1976年、東京都国分寺市出身。RAG FAIR として2001年にメジャーデビュー。 2011年よりソロプロジェクト「TTRE」をスタート。TOKYO MX2「F.C. TOKYO魂!」、FM NACK5「キラメキ ミュージック スター キラスタ」などに出演中。2016年3月28日よりニッポン放送「土屋礼央 レオなるど」で毎週月〜木曜日 13時00分〜16時00分放送のパーソナリティを務める。
土屋礼央 オフィシャルブログ
Twitter - 土屋礼央 @reo_tsuchiya
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