報徳学園、東洋大姫路が競い滝川第二、神港学園等が追う甲子園球場のお膝元(兵庫)
甲子園は兵庫県西宮市にある。つまり兵庫県は甲子園大会の一番の地元ということになる。しかも、第1回大会以来夏の代表校を1回たりとも欠かすことなく送り込んでいる唯一の県だ。さすがに地元ということもあるのだが、それだけ古くから野球が盛んだったということもいえるであろう。
競い合う、現在の兵庫を引っ張る緑の報徳学園と紫の東洋大姫路兵庫を引っ張る存在の報徳学園
その初期的時代をリードしたのは関西学院と神戸一中(現神戸高)である。その両校は大正年間に相次いで優勝を果たしている。関西学院は1998(平成10)年春に63年振りに甲子園に戻ってきてファンやOBを喜ばせた。関学は「KG」と呼ばれ関西では「西の慶応」といわれるくらいに人気のある学校だ。夏も、09年に復活して70年ぶりに夏の甲子園に戻ってきてファンを喜ばせた。
また歴史的にはその後、第一神港商が圧倒的な強さで春に連続優勝している。その第一神港商はやがて市立神港となり剛腕・山口 高志(関大→松下電器→阪急・オリックス)で甲子園出場したこともある。しかし、76年夏に中村 誠投手で甲子園に登場して以来、全国の舞台からは遠ざかっている。現在では神港といえば、10年春に出場した神港学園の方がイメージされるようになっている。
しかし、兵庫県の高校野球といえばやはり報徳学園だろう。61年夏に初出場して、延長11回倉敷工に6点を奪われながら裏に追いつき、12回にサヨナラ勝ちを果たした試合の印象が強烈で「逆転の報徳」の名前を貰った。その後もボークのサヨナラ負けやサヨナラ本盗など話題を提供していく。その報徳が頂点に駆け上がるのは74年春、当時では高校野球としてはまだ珍しい投手分業制を確立して初優勝を果たした。ここから数年が兵庫県の黄金時代となる。金村 義明投手(近鉄→中日→西武)で夏の頂点に立つのは、それから7年後の夏である。そのメンバーの一人永田 裕治監督か率いて、02年春にはエース大谷 智久(早稲田大→トヨタ自動車→ロッテ)で下馬評どおりの強さを発揮して堂々の優勝を果たした。
その間に兵庫県勢としては東洋大姫路が一足先の77年夏に安井 浩二が東邦との決勝戦でサヨナラ3ランを放ち初優勝を果たしている。東洋大姫路は報徳学園と競いあってレベルアップしてきた。03年春にはベトナム国籍のグエン・アン投手(東芝)を擁し話題となり、延長15回引き分け再試合で花咲徳栄を下してベスト4に進出。08年春にも春夏通算6度目のベスト4に進出している。
甲子園通算では報徳学園が55勝31敗、優勝3回ベスト4が6回。東洋大姫路は33勝18敗1引き分けで優勝1回ベスト4が5回という数字だ。この両校だけでも兵庫県勢の甲子園での勝負強さを印象づけている。緑の報徳学園と紫の東洋大姫路という帽子の庇のコントラストも印象的である。この両校が今も兵庫県をリードしている。
[page_break:一方、好成績、記録的試合を残す多くの兵庫代表]一方、好成績、記録的試合を残す多くの兵庫代表古豪・滝川の流れを汲む滝川第二
もちろん、兵庫の高校野球はそれだけではない。戦前だけでも甲陽学院や、中京商と延長25回という記録的試合の相手である明石なども活躍している。さらに、戦前からの古豪というとやはり育英と滝川ということになる。育英は育英商時代に準優勝1回、ベスト4が2回という記録がある。土井 正三(立大→読売)、鈴木 啓示(近鉄)、栗山 巧(西武)などを輩出している。93年夏には多彩な投手陣で勝ち上がって悲願の全国制覇も果たしている。育英としては58年前の準優勝を越える初優勝は創立以来94年目の快挙だった。
また、滝川は別所 毅彦(南海→読売)、青田 昇(読売→阪急など)という球界の大御所の出身校でもある。折しも戦争にかかって、中退ということになっているようだが、そういう豪傑たちがいたということは確かだ。そして、戦後になっても兵庫の滝川は古豪としての強さを維持していたが、野球部は滝川第二に引き継がれる形になった。学校の方針として進学校化していって、84年からはスポーツの実績は滝川第二が継承していく形になった。3年ぶり4回目となった15年夏は初戦サヨナラ勝ちしたものの2回戦で敗退しているが、99年夏には福沢 卓宏投手(中日)でベスト8にも進出して気を吐いている。
さらには神戸国際大附や市川なども上位に顔を出す存在となっている。
近年台頭著しいのが明石商で、15年秋季県大会で優勝して、近畿大会では大阪桐蔭に敗れはしたものの4強に残り16年春に悲願の初出場に届いた。公立勢としては、かつては全国制覇の実績もあり、12年春に21世紀枠代表で復活した洲本や加古川北、加古川東なども健闘。13年夏には駅伝の強豪として知られている西脇工が初出場している。15年秋は、県内トップレベルの進学校長田がベスト8に進出して21世紀枠候補にも推薦。そして1月29日、21世紀枠として選抜出場が決まっている。
(文:手束 仁)
注目記事・【3月特集】自分の強みを磨く