明徳義塾vs土佐
明徳義塾先発・中野 恭聖(2年)
「この(オロナミンC)球場のライト線は内側へ巻くように風が吹くですね。高知戦で法兼(駿)の一打がライトポールに直撃したのか、昨日の公式練習で4年目にして知りました」。
この秋、亜細亜大の2番・二塁手として東都大学リーグ首位打者に輝いた高知の4番に対し4年前に喫した痛打について、こんな話をしたのは明徳義塾・藤山 晶広コーチ。そう、明徳義塾にとって秋季四国大会準決勝はその時以来の鬼門となっている。
2011年は先述のとおり9回表に決勝3ランを浴び4対7で高知に敗戦。2013年、2014年はいずれも今治西(愛媛)に敗戦。2013年こそ翌年センバツ出場権を得たが、あとの2回は目前で涙を呑む結果に終わっている。
そんな首脳陣の空気が伝わったのか。普段は制球力を誇るエース・中野 恭聖(2年・右投右打・172センチ68キロ・えひめ西リトルシニア出身)の状態は極めて不安定だった。初回は6球連続ボール。一死一、三塁から併殺崩れで先制点を許すと、土佐の3番・吉川 周佑(2年・中堅手・左投左打・166センチ63キロ・土佐市立高岡中)の5打数5安打1打点含む延長10回で被安打11・与四死球5。
徹底したスカウティングに立脚した守備ポジショニングにより進塁は最低限に抑えていた一方で、「外角球を踏み込んでセンター方向に打っていく」西内 一人監督からの指示を基本にしつつ、中盤まではストレート中心狙い。
8回表には連続四死球で得た二死一、二塁から高めのストレートを振りぬき、三塁ベースに当てる9番・馬場 純平(1年・遊撃手・右投右打・170センチ60キロ・関西大倉中<大阪>卒)の同点適時二塁打に代表されるように、7回以降は中野の配球に応じて狙い球を変えてきた土佐打線の対応力に中野はもちろん、コントロールタワーの古賀 優大(2年・178センチ78キロ・右投右打・友愛野球クラブ<福岡・フレッシュリーグ>)も翻弄され続けた。
逆の側面から見れば土佐の粘りは見事だった。「高校に入ってから特に身体を開かない投球を意識している」先発・尾崎 玄唱(1年・右投左打・164センチ59キロ・土佐中出身)もこの試合ではクレバーなピッチングを展開。「ツーシーム、カットボールなど純粋なストレートが来ないから実に打ちにくい」と佐藤 洋部長も評したように、9回まで明徳義塾の安打数はわずか4に留まった。
ただ、それでも勝利への方程式を導き出すのが彼らの真骨頂。3回裏には失策で得た一死二塁のチャンスに9番・中野 恭聖がチーム初安打となる左前適時打で同点し、さらに併殺崩れで逆転。7回裏には四球のランナーを中野が犠牲バントで進めた二死二塁から1番・立花 虎太郎(2年・中堅手・右投左打・181センチ73キロ・大阪南海ボーイズ<大阪府>出身)で再び勝ち越し。終始土佐に主導権を握られながらも後攻め側の必須である「勝ち越される」状況を中盤以降は作らない。
そして迎えた10回裏、一死から3番・西浦 颯大(1年・右翼手・右投左打・177センチ65キロ・熊本北リトルシニア出身)が火の出るような当たりの右翼線二塁打で迎えたサヨナラのチャンスに、4番・古賀 優大は尾崎が「アウトコース低目を狙った」スライダーが肩口から真ん中へ来るのをレフト頭上届かない位置へ運ぶ。歓喜の輪に入っていく古賀。
かくして明徳義塾は北川 倫太郎(現:東北楽天ゴールデンイーグルス)が4番だった秋季四国大会優勝から5年、4度目の正直でようやく決勝戦への扉を開くと共に、2年ぶり16度目のセンバツ出場へ大きく近づく1勝をあげたのである。
試合後、観戦に訪れていた盟友の高嶋 仁 智辯和歌山監督の姿を見つけると「やれやれだよ」と言いながら握手を交わしにいった馬淵 史郎監督。その顔はようやく鬼門を突破できた安堵に満ちていた。
(文=寺下 友徳)
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