世界初の核実験場で見つかった ″埋蔵金″ :「ATARI GAME OVER」への道

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編集部より:この連載は1990年代以降ゲーム業界を渡り歩いた黒川文雄さんが往年の名ゲームメーカー、ATARIのゲームビジネスを検証するドキュメンタリー「ATARI GAME OVER」の日本語化に奔走する物語です。懐かしのゲーム機やゲームソフトだけでなく、アタリの創業者(正確には共同創業者)であるノーラン・ブッシュネル氏に突撃取材を敢行するなど、この連載だけでしか読めない内容を10回に分けてお届けします。今回は第5回。連載のまとめページはこちら。

現代社会はゴミの中にお宝が埋もれていると言っても過言ではないでしょう。かつては一緒くたに埋立地などに捨てていたゴミは、資源、可燃、不燃、粗大などに分別されるようになりました。資源はさらに細分化されて地球にやさしいリサイクル活動が行われるようになったことは喜ばしいことです。

また、パソコンや携帯電話の中には「金」「銀」を始めとして、「パラジウム」「チタン」「インジウム」などのレアメタルが含まれていることも知られおり、それらは都市鉱山という異名もあります。未来人が「夢の島」を発掘したら、とてつもないお宝を発掘するという日がいつかるのかもしれません。

さて、そんなゴミ捨て場に埋めたATARIのゲームカートリッジ『E.T.』を掘り返すというプロジェクトが「ATARI GAME OVER」です。そして、そのゴミを捨てた場所こそが、世界初の核爆弾の実験場であった米ニューメキシコ州アラモゴード市にある廃棄物処理場でした。

今回は実際に掘ってみた人に話を聞いてみます。「ATARI GAME OVER」を製作した映像制作会社のフューエル・エンターテイメントのプロデューサーを務めるゲルハルドさんとダニエルさんにインタビューしました。

写真はインタビューに応えてくれたゲルハルド氏(写真左)、ダニエル氏(同右)と筆者(同中央)。Thank you!

ちなみにフューエルは創業から25年目を迎える制作会社。主にキッズ・エンタテイメントを中心に、現在はライブアクション、ドキュメントタリー、映画、テレビ番組、オンラインゲーム系コンテンツなど幅広く展開している会社です。

2人ともゲームが大好きですが、残念なことにアタリど真ん中世代ではなく任天堂世代でした。しかし、アメリカ人にとってアタリはゲームというエンタテインメントの象徴的な存在であり、彼らにとっては憧憬の対象だったようです。

黒川:二人ともアタリのゲームの世代ではないでしょうが、二人の世代からみてアタリとはどのような存在ですか?

ゲルハルド:小さいころ、アタリのゲームを持っていてゲームで遊びました。クラシックなビデオゲームは好きです。「フロッガー」はずいぶんとやりこみました。『E.T.』は5週間くらいで開発したと聞いていますが、もっと時間をかけていればもっとよいゲームになったんじゃないでしょうか。

ランキン:僕はゲルハルドさんよりも世代が若いのでアタリのゲームは遊んだことはありませんが、アタリがゲームの歴史にもたらして影響はグレートだと思います。

黒川:「アタリショック」に関しては何か現実的に知っていることはありましたか?

ゲルハルド:アタリは、小さい会社から急成長して、大きな会社になったアメリカのなかでも急成長した会社でした。それが急に崩壊したことが衝撃でした。

ダニエル:「アタリショック」を誰かひとりの責任として押し付けるのはおかしなことです。不公平なことです。アタリが崩壊していくのをみるのは衝撃的なことでした。

黒川:なぜ、今回『E.T.』発掘を映像作品にしようと思ったのか?

ゲルハルド:『E.T.』発掘のテーマは製作会議で議題になったことがきっかけです。過去に、アタリで働いていた人たちと打ち合わせをする機会があり、ウチの社長のマイクが「本当にあるんじゃないか? 掘ってみよう......」という話になりました。実際に調査をすることになり、その後、ほかの会社が同じように調査を始めたりしましたが、結果として昨年発掘することができました。

黒川:ダニエルさんはどのように探したんですか?

ダニエル:11か月のあいだ、シリコンバレーのあらゆるところに連絡をして確認を取りました。その後、ニューメキシコ州にたどり着き、アラゴモード市のゴミ処理場に埋められていることがわかりました。その廃棄に立ち会ったジョー(ジョー・レヴァンドフスキー/廃棄物処理会社経営)さんにたどり着くことができたことが大きな要因です。ジョーさんは当時からの廃棄した場所の地図を保有していて、その地図をもとに発掘する場所を特定しました。

そのためジョーさんのもとに何度も通って、信用を得て、フューエルで発掘と撮影をやらせてほしいと頼みこんだのです。最終的に他の会社を退けて、発掘作業を映像化できました。ただし許可された発掘作業は1日限定でしたし、メディアや一般のアタリファンも呼び込んでいたので実際に出てこなかったらどうしょうか? という不安もありました。

#最後のほうでやっと出てきたときは世界中のメディアが後ろにスタンバイしていたということです。すべてはジョーさんからの情報にかかっている状況でした。相当なギャンブルだったと思います(笑)。

(写真下 実際には『E.T.』以外のカートリッジやパーツも多く廃棄されていた)

黒川:マイクロソフトからの資金的なバックアップがあったと聞いていますが......。

ゲルハルド:マイクロソフトのXboxスタジオのメンバーが、アタリの『E.T.』廃棄に関心を持っていて、バックアップしてくれたことが大きな要因です。

黒川:日本では「徳川埋蔵金発掘」という、結果として何も出てこなかった発掘プロジェクトがありましたが、もし何も出なかったらどうのように映像を終わらせるつもりでしたか。

ゲルハルド:もし何も見つからなかったとしてもこのドキュメントフィルムの制作はしたでしょう。理由は『E.T.』のゲームが開発されたことは重要な事実で、スピルバーグやゲームなどのキーワードを通じてもの『E.T.』というを通じてアタリという会社の存在を伝えることは重要と考えていかたからです。『E.T.』のゲームカートリッジそのものを掘りかえすことも重要ですが、『E.T.』を通じてアタリという会社を振り返ることが重要なポイントだと思ったからです。

黒川:日本の視聴者へのコメントをお願いします。

ゲルハルド:今回の「ATARI GAME OVER」はアタリの歴史を通じてのゲームの歴史と影響を映像化することができました。ゲーム開発者や制作会社に観てほしいと思っています。ゲームの業界で働きたいと思っている人たちにも、30年前の環境が伴わなかったなかでの現実を見ていただけるものと思います。

ダニエル:偶然とは言え、ゲームの「歴史を体感できるドキュメンタリー作品」になったことを嬉しく思います。70年代から80年代初頭にかけての「ゲームの進化と歴史」を追える作品として意義があるのではないかと思います。作品を観てもらった人に実際に歴史的にどのような変化をもたらしたのかを感じてもらえる作品になっていると思います。ぜひ本編を観てみてください。

(次回へ続く)

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「ATARI GAME OVER」日本語版予告編



黒川文雄(くろかわ・ふみお):1960年、東京都生まれ。音楽ビジネスやギャガにて映画・映像ビジネスを経て、セガ、デジキューブ、コナミデジタルエンタテインメントにてゲームソフトビジネス、デックス、NHNJapanにてオンラインゲームコンテンツ、そしてブシロードにてカードゲームビジネスなどに携わり、エンタテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。顧問多数。コラム執筆家。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。黒川塾主宰。株式会社ジェミニエンタテインメント 代表取締役「ANA747 FOREVER」「ATARI GAMEOVER」(映像作品)、「アルテイル」「円環のパンデミカ」他コンテンツプロデュース作多数。