身長190センチを超える日本ハムの大谷翔平©BASEBALLKING

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◆ 大柄な投手が多数活躍 いつからそれが普通になったのだろう?

 大谷翔平(日本ハム)は193センチ、藤浪晋太郎(阪神)は198センチ。ダルビッシュ有(レンジャーズ)が196センチで、岩隈久志(マリナーズ)が191センチ。最近は身長190センチを超えるトップクラスの選手が増えている。

 今ではこれが当たり前に感じるが、以前のプロ野球ではこれほど長身投手が活躍していただろうか? それを思いおこす意味で、今回は1990年代に活躍した身長190センチ以上の投手をテーマに、カウントダウン形式のランキングで紹介していこう。

◆ 角度のある投球が光った山沖 デニーはサイド転向で一躍台頭

 まず第4位は山沖之彦(元オリックス)だ。19勝を挙げて最多勝を獲得したのは1987年だが、1992年頃まで主軸として活躍。山沖は191センチの長身をフルにいかしたタイプの右腕で、踏み出す左足を一度上げて下ろしたあと、一瞬棒立ち状態でタメを作ってから背負い投げのように投げ下ろすフォームが独特だった。

 続いて第3位は友利結を選んだ。「デニー友利」という方がむしろファンには浸透しているか。1990年代の多くを過ごした大洋では、192センチの大型右腕として期待されながらコントロールが悪く、春先のオープン戦では毎年のように一軍で「期待登板」の機会を与えられながらも、それをいかせず台頭できなかった。

 そして、状況を打開するためにサイドスローに転向。「長身なのにサイドってどうなの!?」という声も多く聞かれたが、この転向によって制球難が解消。西武に移籍した1997年からは150キロ近い速球と大きなカーブを武器に、迫力満点の大型サイド右腕に変貌を遂げた。

 以後、セットアッパー、抑えなど、チーム事情に応じた役割をこなす鉄腕系リリーフとして、横浜、中日などでも活躍。引退後は、DeNAや中日のピッチングコーチとして、熱い指導で存在感を示している。

◆ 「アゴ」のイメージも強い門倉 1位はプロ入り後も身長が伸びたあの投手

 また、第2位は193センチの門倉健(元中日他)の登場だ。中日、近鉄、横浜、巨人などを渡り歩いた長い球歴の中で、1990年代は中日期待の若手として2ケタ勝利を2度達成。140キロ台の速球とフォークボールを決め球とする投球は、まさに長身という特徴を最大限に生かしたスタイルだった。

 ……というマジメ話もさることながら、門倉といえばやはり「アゴ」。勝ち投手になると、選手が握手の代わりに門倉のアゴを握って祝福するなど、アゴにまつわる笑える逸話が数多く残されている。

 そして、第1位は金石昭人(元日本ハム他)だ。金石はここまで紹介した3人よりさらに大きい195センチ。しかも、プロ入り後も身長が伸びて、日本ハム移籍後の1997年にはわざわざ197センチに登録しなおしているという、とんでもない大型右腕である。

 若かりし広島時代は、北別府学、大野豊、川口和久といったエース級の裏ローテか、中継ぎを担うことが多かったが、日本ハムに移籍した1992年に先発で14勝し、翌年以降は守護神として活躍した。金石も他の例に漏れず、フォークボールを決め球とする長身投手だった。

 以上、4名の投手を紹介したが、実をいうと、190センチ超の投手は、他にも数名存在していた。だが、川辺忠義(巨人他/193センチ)や南竜次(日本ハム/193センチ)など、期待されながら実績を残せなかった名前が連なっていた。

 昔は「投手はあまり大きすぎても体を持て余してしまい大成しない」といわれていた時期もあったが、1990年代頃までは、その空気がどことなく残っていたようである。そう考えると、今の大谷や藤浪の身のこなしは、ほとんど超人級といっても差し支えないだろう。

文=キビタキビオ(きびた・きびお)