筑波大初の関東2部降格…DF車屋紳太郎、苦しみを経て川崎を“勝たせる選手”へ
引き分け以上で1部残留が決まる中、後半アディショナルタイムに喫した逆転弾――。筑波大学は15日の関東大学1部リーグ最終節で中央大学に1−2で屈し、同校史上初の2部降格が決まった。
「最後は僕の力不足だと思う」。そう言って唇を噛んだのはDF車屋紳太郎(4年・大津高校出身)だ。1年時からリーグ戦21試合に出場するなど主力として活躍を続けた背番号7は、最高学年として迎えたシーズンを失意の結果で終えることとなってしまった。
関東大学1部リーグ歴代最多得点を記録したFW赤崎秀平(現・鹿島アントラーズ)やキャプテンとしてチームをけん引したMF谷口彰悟(現・川崎フロンターレ)らが卒業し、今季に臨んだ筑波大。4月6日の開幕戦で順天堂大に0−2と完封負けを喫すると、以降も低空飛行が続いた。2引き分けを挟んで迎えた第4節からは6連敗を記録。初勝利は6月15日、対戦が一巡する前期最終節の流通経済大戦まで待つこととなった。
車屋は「本当に、4月からずっと勝てない状況が続いた。色々なことを考えて、プレッシャーがかなりかかった状態でプレーしてきた。試合に勝てない時期が長くて、チームの雰囲気も良くなかった」と振り返る。筑波大は2部降格経験を持たない唯一のチーム。「1部(リーグ)でやり続けたことがブランドというか、それが筑波大の伝統。正直、プレッシャーになった部分もあった」と、名門ならではの重圧も受け続けた。
11試合でわずか1勝。最下位で迎えた後期も苦しい戦いが続いた。4試合目の第15節で早稲田大を1−0で破って今季2勝目を挙げたが、以降も2連敗。残り5試合となり、いよいよ追い込まれることとなったが、ここから底力を見せる。3勝1敗と盛り返し、降格圏内を抜け出した。
そして、臨んだ最終節。引き分け以上でも残留が決まる状況下、1−1で迎えた試合終盤も攻撃の姿勢を崩さなかった。「一番良いのは勝つこと。もう1点を取って楽になりたいという気持ちもあった」と車屋は言うが、待っていたのはアディショナルタイムの逆転被弾。「最後、ゴール前での弱さが出た。今日もチャンスはあったけど決めきれずに、最後に失点してしまった」。終了を告げるホイッスルが鳴ると、選手たちはがっくりと肩を落とした。
「チームを勝利に導けなかった」と、責任を背負う車屋。とはいえ入学以来、チームを支えたことは紛れもない事実だ。4年間でのリーグ戦全88試合中、80試合に出場。16日の閉会式では最多出場賞(1部・2部合わせて5選手)を受賞した。
卒業後は川崎フロンターレへの加入が内定。入学から1年余り指導を受けた恩師・風間八宏監督やMF森谷賢太郎、DF山越享太郎、そして1学年上のMF谷口ら、同校の先輩が数多く在籍するクラブだ。「フロンターレには素晴らしい選手がたくさんいるので、そこで良い刺激をもらいながらスタメンに定着したい。そして、関東大学リーグではなれなかった“チームを勝たせる選手”になりたい」と、車屋は抱負を語る。
苦しみ抜いた今季の経験も、プロの舞台でプラスに変えていく。「2部降格という結果になってしまったけど、そのプレッシャーの中でのプレーは、なかなか経験できないこと。それはプロになっても経験できる選手は、そう多くないと思う。だから良い経験にはなったし、プレーで活かせることもあると思う」。そう言って車屋は前を向いた。
大学ではセンターバックやサイドバック、ボランチなど複数のポジションで能力の高さを見せつけた。視野の広さに裏付けされた判断力とボール奪取力で君臨し、そこから高精度のキックでチームを攻撃へ導く。スピードに乗ったドリブルも併せ持ち、最終節では相手のオウンゴールにつながる強烈な直接FKも見せた。大学有数の万能型にプロ入り後のイメージを問うと、「僕はやっぱり、ずっとセンターバックでやってきた。ここが自分の実力を一番活かせるポジションだと思っている。まずはそこで勝負」と希望を明かす。その上で「サイドバックだったり、どのポジションでもプレーできる準備はしてきた。プロになっても同じように、どのポジションでもやれるようにしたい」と話した。
1学年上の谷口はルーキーイヤーの今季、左サイドバックとしてプロデビューを果たし、センターバックもしっかりこなしている。高校と大学でともにプレーしてきた先輩と今度はプロの舞台で争うこととなるが、来シーズンの開幕を待たずに2人がピッチに並び立つ機会が訪れた。22日のJ1第33節、サンフレッチェ広島戦。特別指定選手に登録されている車屋が先発に抜擢されたのだ。
車屋は谷口について「今まではずっと追いかける立場だったので、次は追い越せるようにしたい。ポジションを奪うべき存在だと思うし、切磋琢磨してやっていきたい」と語っていた。川崎Fサポーターはもちろんのこと、大学サッカーファンにとっても楽しみな一戦になるだろう。
苦しんだ大学ラストシーズンを経て、いよいよプロとしてのステージへ踏み出す車屋。先輩たちとの切磋琢磨の先に、“チームを勝たせる選手”への道が待っている。
「最後は僕の力不足だと思う」。そう言って唇を噛んだのはDF車屋紳太郎(4年・大津高校出身)だ。1年時からリーグ戦21試合に出場するなど主力として活躍を続けた背番号7は、最高学年として迎えたシーズンを失意の結果で終えることとなってしまった。
車屋は「本当に、4月からずっと勝てない状況が続いた。色々なことを考えて、プレッシャーがかなりかかった状態でプレーしてきた。試合に勝てない時期が長くて、チームの雰囲気も良くなかった」と振り返る。筑波大は2部降格経験を持たない唯一のチーム。「1部(リーグ)でやり続けたことがブランドというか、それが筑波大の伝統。正直、プレッシャーになった部分もあった」と、名門ならではの重圧も受け続けた。
11試合でわずか1勝。最下位で迎えた後期も苦しい戦いが続いた。4試合目の第15節で早稲田大を1−0で破って今季2勝目を挙げたが、以降も2連敗。残り5試合となり、いよいよ追い込まれることとなったが、ここから底力を見せる。3勝1敗と盛り返し、降格圏内を抜け出した。
そして、臨んだ最終節。引き分け以上でも残留が決まる状況下、1−1で迎えた試合終盤も攻撃の姿勢を崩さなかった。「一番良いのは勝つこと。もう1点を取って楽になりたいという気持ちもあった」と車屋は言うが、待っていたのはアディショナルタイムの逆転被弾。「最後、ゴール前での弱さが出た。今日もチャンスはあったけど決めきれずに、最後に失点してしまった」。終了を告げるホイッスルが鳴ると、選手たちはがっくりと肩を落とした。
「チームを勝利に導けなかった」と、責任を背負う車屋。とはいえ入学以来、チームを支えたことは紛れもない事実だ。4年間でのリーグ戦全88試合中、80試合に出場。16日の閉会式では最多出場賞(1部・2部合わせて5選手)を受賞した。
卒業後は川崎フロンターレへの加入が内定。入学から1年余り指導を受けた恩師・風間八宏監督やMF森谷賢太郎、DF山越享太郎、そして1学年上のMF谷口ら、同校の先輩が数多く在籍するクラブだ。「フロンターレには素晴らしい選手がたくさんいるので、そこで良い刺激をもらいながらスタメンに定着したい。そして、関東大学リーグではなれなかった“チームを勝たせる選手”になりたい」と、車屋は抱負を語る。
苦しみ抜いた今季の経験も、プロの舞台でプラスに変えていく。「2部降格という結果になってしまったけど、そのプレッシャーの中でのプレーは、なかなか経験できないこと。それはプロになっても経験できる選手は、そう多くないと思う。だから良い経験にはなったし、プレーで活かせることもあると思う」。そう言って車屋は前を向いた。
大学ではセンターバックやサイドバック、ボランチなど複数のポジションで能力の高さを見せつけた。視野の広さに裏付けされた判断力とボール奪取力で君臨し、そこから高精度のキックでチームを攻撃へ導く。スピードに乗ったドリブルも併せ持ち、最終節では相手のオウンゴールにつながる強烈な直接FKも見せた。大学有数の万能型にプロ入り後のイメージを問うと、「僕はやっぱり、ずっとセンターバックでやってきた。ここが自分の実力を一番活かせるポジションだと思っている。まずはそこで勝負」と希望を明かす。その上で「サイドバックだったり、どのポジションでもプレーできる準備はしてきた。プロになっても同じように、どのポジションでもやれるようにしたい」と話した。
1学年上の谷口はルーキーイヤーの今季、左サイドバックとしてプロデビューを果たし、センターバックもしっかりこなしている。高校と大学でともにプレーしてきた先輩と今度はプロの舞台で争うこととなるが、来シーズンの開幕を待たずに2人がピッチに並び立つ機会が訪れた。22日のJ1第33節、サンフレッチェ広島戦。特別指定選手に登録されている車屋が先発に抜擢されたのだ。
車屋は谷口について「今まではずっと追いかける立場だったので、次は追い越せるようにしたい。ポジションを奪うべき存在だと思うし、切磋琢磨してやっていきたい」と語っていた。川崎Fサポーターはもちろんのこと、大学サッカーファンにとっても楽しみな一戦になるだろう。
苦しんだ大学ラストシーズンを経て、いよいよプロとしてのステージへ踏み出す車屋。先輩たちとの切磋琢磨の先に、“チームを勝たせる選手”への道が待っている。