21日、がんと長く闘っていたサンプドリアのリッカルド・ガッローネ会長が76歳で永眠した。

ガッローネ氏は2002年に会長に就任。クラブはその初年度にセリエA昇格を果たすと、2009-10シーズンにはセリエAで4位に入り、チャンピオンズリーグ予選出場権を獲得。だが、プレーオフでブレーメンに敗れて敗退すると、そのシーズンにセリエBへ降格した。その後、サンプは1年でセリエAに昇格している。

インテルFWアントニオ・カッサーノは、クラブの公式サイトで「いたたまれない痛みだ。今日は自分の人生で最もひどく、最も悲しい日の一つだ。あなたのことはずっと僕の心に残る。ずっとあなたのことが好きです」と悲しみを表した。ユヴェントスのジュゼッペ・マロッタGM(ゼネラルマネジャー)は、「カッサーノのマネジメントに関してガッローネ氏は欠かせなかった」と振り返っている。

カッサーノがイタリアに戻ってきたのは2007年。ワルテル・マッツァーリ監督の下で1年目はだだをこねることもあったが、徐々に再生していき、チャンピオンズリーグ予選出場権を獲得するまでになった。

だが、いつもと同じ火曜日と思われた2010年10月26日、ガッローネ氏が「賞を受け取るためにセストリ・レヴァンテまで私と一緒に来てほしい。賞を受け取るだけでいい。ディナーにも出席しなくてよい」と頼んだのに対し、カッサーノは「ノー。行かない」と返答。これをきっかけに両者が口論し、ガッローネ氏を罵倒したカッサーノは、その後サンプドリアのユニフォームを着ることなく、2011年1月にミランへ移籍した。

和解はその1年後。カッサーノがボリアスコの練習場に姿を見せ、ガッローネ氏の息子エドアルドもカッサーノ復帰の可能性を示した。今日、インテルにいるカッサーノは、あの火曜日のことを思い起こしているはずだ。