先日、コラムとしてはずいぶん久々に書かせてもらった、「WBCの『オープン戦』報道、フェアじゃない」の記事。一国際野球ファンとして、この国におけるWBC関連報道をこれまで見てきて、ずっと思っていたことを吐露することになったわけだけど、Twitterでも結構リツイートされたりして、同意してくれた方々もそれなりにいたみたいだ。自分の主張に賛同してくれた人たちに感謝するとともに、こういった批判的な記事を書くことで、小さくとも野球界に一石を投じていくことは、意義あることなのかなと改めて感じたところだ。

 ただ、こうした記事を書いてもなお、その主張が響かないという人も、やっぱりいるというのも確かなようで。つい最近も、上述の記事に対して「WBCでアメリカ-キューバ戦が実現しない限り、茶番臭がぬぐえないと思う」とコメントをしてくださった方がいた。個々の主張についての是非はともかく、こういう考えを持っている野球ファンは少なからずいるようだ。もちろん、これまで国際大会におけるタイトルを総なめにしてきたキューバと、MLBのトップ選手を揃えたアメリカとの対戦が実現すれば、それはまさしく歴史的な一戦になることだろうと思う。

 しかし残念ながら、それが本当に具現化できるかどうかは、全く別の話だ。俺自身は、この両国のWBCにおける対戦が実現する可能性は(両国が決勝まで進出した場合は別として)、おそらくほとんど期待できないと考えている。少なくとも、WBCがMLB主催であり続ける限りは、1次ラウンドから同組になる可能性は絶対にありえないと言ってもいいだろう。その理由は、この2か国を同居させることによる政治的リスクが、あまりにも大きすぎるからだ。

 巷ではよく、「スポーツと政治は別物」という言い方をする。フェアネスとスポーツマンシップ、清廉潔白で正々堂々とした勝負が美徳とされるスポーツは、ダーティーな駆け引きのイメージが強い政治の世界とは相いれないものだし、無縁であってほしいという思いがその背景にあるんだろう。しかし、曲がりなりにも大学時代、スポーツについて研究していた俺に言わせれば、そんなものははっきり言って幻想に過ぎない。今夏のロンドン五輪で起きた、韓国人サッカー選手による竹島問題のアピールのような、いわゆるプロパガンダ的なものはともかく、もっと広い意味での政治という物は、スポーツとは無縁の存在ではありえないんだ。

 例えば、イラク戦争が勃発していなければ、マリナーズとアスレチックスはもっと早い段階で、日本でのMLB開幕戦を実現できていた。もし、日本におけるイラン人のビザ取得要件がもう少し緩い規定であれば、イラン代表のアミールさんはとっくに日本の球団でプレーできていたはずだ。スポーツにおいてたらればは禁物だけど、こうした事例が事実存在することは、現実の政治状況が野球界の動向に大きく影響を与えている、という証明だろう。特に国際大会においては、外交分野における状況が無視できないファクターとなる。当然、アメリカ-キューバ戦の挙行にあたっては、この両国の関係を考慮しないわけにはいかないんだ。

 周知の通り、アメリカとキューバは政治的に非常に険悪な関係にある。もっとも、最初からずっと仲たがいしていたわけじゃなく、キューバ側が親米政権を樹立していた時代もあったんだけど、あの有名なチェ・ゲバラによるキューバ革命を経て、両国の距離感は一気に広がった。現在は、資本主義と社会主義という体制の違いなどもあって、この両国はずっと仲の悪いご近所同士であり続けている(もちろん、隣国同士で仲がいいという事例なんて、この世界ではそうそうないことなんだけど)。