アメリカ人はいつも合理的なようで、型にはめるところは結構ガチガチにはめてしまうといった頑固なところがあると思う。そして何かと物事をシステム化するため、1度作られたシステムは中々壊れないし、それが合理的でないことにも本人達は中々気付かない。そうやって作られた"おかしなルール"を破壊するのは往々にして、異文化からの刺激、違う世界からのインポートである。『マネー・ボール』で描かれた頭が凝り固まった古株のスカウト達の"常識"を壊したのは、まるでベースボールに縁がなさそうなエリートのオタクだった。イノベーションのエンジンは内側から生み出すものではなく、外側から飛び込んでくるものだ。




 2012.06.20 vs San Diego Padres


 前回のアストロズ戦に続きインターリーグでの登板は、メジャー屈指のピッチャーズ・パーク、Petco Parkでのサンディエゴ・パドレス戦。2回に相手ピッチャー、A.バスに2ランシングルを打たれるも、その後は左バッターを8人並べたパドレス打線を全く寄せ付けず8回122球、2失点でリーグ1位タイの9勝目。8回、C.メイヴィンから三振を奪ったスライダー(上の動画1:40くらいから)に実況は"It's like a... Frisbee"(フリスビーのようだ)と唸った。また、はじめて入ったバッターボックスではバットを折りながらもライト前ヒット。その日全試合のハイライトを毎日まとめて配信するMLB.com FastCastにてオープニングを飾る鮮やかな活躍だった。


6/20/12: MLB.com FastCast


 そろそろダルビッシュの快投にも見慣れてきた感があるが、ゲーム後の会見内容で話題となったのがダルビッシュの「150球投げる」宣言についての話だった。3イニング終了時点でダルビッシュは、ワシントン監督とマダックスコーチに「今日は球数を考えないで欲しい。交代するなら登板内容で。今日は150球でも投げる」と強く直訴したという。150球はオーバーな表現とはいえ、こんなことをいうピッチャーは今どき中々いない。少なくともアメリカには、いない。MLBでは基本的に、スターターは自分がマウンドにいる間(大体100球くらい)はベストの仕事をこなすことに集中するが、一度マウンドを降りたらある意味「後は俺には関係ない」と割り切るドライなところがある。6回3失点というスターターとして最低限の仕事を果たすQS(クウォリティ・スタート)という指標が生まれたのも、こうした背景があるからだ。

 さて、個人主義なメジャーリーガー達に比べて「150球でも投げる」と直訴するダルビッシュは責任感が強い、という話をしたいわけではない。もちろん、ダルビッシュの発言はリリーバーが苦しいチーム事情も理解した上でのものだったと思うが、それは決して無理をしてるわけでも男を上げるつもりのものでもないと思う。ダルビッシュはただ単純に、この日は150球投げても自身のパフォーマンスは落ちず、かつ(本人も語っていたように)次の登板にも悪影響はないという確信があったからこそ、こういう意思表示をしたのではないかと思う。
今季ここまでのダルビッシュは、決して球数が少ない省エネ型のピッチャーではない。そのことはしばし課題として語られていて、よりストライクを先行させて少ない球数でイニングを稼ぐことを周囲はダルビッシュに期待している。セイバーメトリックスと分業制の発展により、WHIPやK/BBといった指標と共にその重要性が広く認知された指標のひとつが球数(ピッチカウント)だ。素晴らしいパフォーマンスでも球数が多く長いイニングを中々投げられないピッチャーは、そのために評価が下げてしまうようになった。

 しかし最近、あくまでパーソナルな意見だが、ダルビッシュに関しては別に「球数」を気にしなくていいのではないかという気がしている。少なくとも、メジャーのスタンダードである「1試合100球」という型にハメる必要はない。パフォーマンスが悪ければ早めの交代は致し方ないが、良いボールがいっているのであれば毎回120球でも130球でも投げさせていいのではないかと思う。


 よく知られているように、アメリカ人は「球数」に尋常でなくセンシティブだ。元々は「肘と肩は消耗品であり、オーバーワークは故障の最たる原因になる」という医学的観点から広まった合理的な考え方であるが、練習中のキャッチボールまで監視してしまうような今日の「球数コンシャス」は、合理主義を通り越してもはや「宗教」とさえ感じてしまうことがある。球数原理主義、とでも言うべきか。仮に140球も投げているピッチャーを見たら、本人はピンピンしていても周囲は不安で不安で仕方がない顔をしている光景が容易に想像できる。球数マネジメントの重要性を叩き込まれているMLBの指導者達からすれば、1人で140球も投げるなんてどこか「道徳に反している」行為であるような感覚さえきっと覚えてしまうのだ。

 とはいえ、多くのメディカルイシューがそうであるように、球数とケガの関係というのは実は明らかなものではない。というか、実際どれほどの相関関係があるのかはかなり怪しい、と僕は思う。ケガする奴はケガをするし、しない奴はしない。全く関係ないということはないとは思うが、にしても「1試合100球で中4日」がスタンダードとして相応しいことを裏付けるものは、ハッキリ言って何もない。どういうい経緯で今のシステムが生まれたのかはちょっとわからないが、「1試合100球」というキリが良い数字に"何となく落ち着いた"というところもあるのかな、と思う。

 素人的に考えると、球数よりもむしろピッチングフォーム、つまり身体の使い方の良し悪しがケガのしやすさに大きく影響するのではないかという気がする。肩と肘に物凄く負担がかかりそうな投げ方をするピッチャーもいれば、無理のないフォームで綺麗に投げるピッチャーもいる。今ノリにノっているR.A.ディッキー(NYメッツ)のように、ほとんど肩に負担がかからないナックルボールしか投げないピッチャーだっている。こういう多様なピッチャーを一律に「100球まで」というルールに当てはめるのは、それこそ合理的ではないはずだ。

 今やメジャー最高のスターターといっても過言ではないS.ストラスバーグ(ナショナルズ)が一昨年にメジャー初登板で14Kという衝撃のデビューを果たし全米を湧かせたとき、ダルビッシュが「ストラスバーグ見ましたか?どう思いました?」というファンの質問に対して答えたTweetが印象に残っている。誰もがストラスバーグの冗談みたいな豪速球に魅了されている中でダルビッシュは「肘壊しそうな投げ方ですね」と、腕をやや強引に使い気味なストラスバーグのピッチングフォームに注目していた。そしてその数週間後、ストラスバーグはトミー・ジョン手術を行った。見事に予言が当たったような形になったのはたまたまとはいえ、このエピソードからダルビッシュが如何に日頃「ケガをしない」ことを意識して長期的な視点でプレーに望んでいるかが十二分に伺える。

 そんなダルビッシュだけに、自分の身体、肩と肘についてコンシャスでないわけがない。強くキレのあるボールを追求する一方で、高いレベルで長く現役を続けるためのケア意識も半端じゃなく高いはずだ。ピッチングフォームや調整方法についても独自の理論を持っているのだろう。だから「150球投げれる」は単なる根性(特攻隊的な)では決してなくて、おそらく根拠を持って放たれた意思表示なのだ。


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↑アメリカには、14歳以下のピッチャーの球数をカウントするアプリまである



 改めて思うのは、ダルビッシュは「アメリカでやる以上はアメリカのやり方を学ばなくてはいけない」と柔軟性を見せる一方で、異文化の中でも動じず自分が考えていることはハッキリと意思表示する芯の強さと自信を持っているということだ。何でも言うことを聞いて相手に合わせるばかりでもダメだし、かといって自分の主張を貫くあまり意固地になってもダメ。ダルビッシュは、このバランス感覚が恐ろしく優れているよう感じる。松坂大輔が同じ球数の問題でコーチやフロントと揉めに揉めたことを考えると、ダルビッシュはコミュニケーション能力においても一際秀でていることを感じるし、またワシントン監督はじめ理解ある首脳陣に恵まれたことはラッキーだったとも思う。



 かなり大袈裟な長文エントリーになってしまったが、ダルビッシュの「150球投げる」には、いつかアメリカの"常識"をぶち壊してセンセーションを巻き起こすような、そんなRockな期待をまたしても抱かされた。