原発へ不法侵入しただけでなく、現地の作業員たちへインタビューも決行した山岡氏

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 事故から7ヵ月が過ぎても、いまだ冷温停止できていない福島第一原発。東電の発表では何が起きているのかさっぱりわからないが、いまどんな状態なのだろう。

福島第一原発潜入記』の著者の山岡氏は、そんな現場に潜入してしまった人物だ。それも、作業員としてではなく、作業員のフリをして。まぎれもなく不法侵入、犯罪行為である。彼はなぜそんなことをしたのか? 本当に部外者が入ることはできるのか? 山岡氏に聞いてみた。

――最初は、作業員として潜入したいと思っていたそうですね。

「そうなんです。世界中の注目を集める現場を見てみたいと思って、原発内で働きたいと思っていました。しかし、仲介してくれた人物が、やはり作業員としては難しいと。それで、作業員に変装して行くことになったんです。5月下旬のことでした」

――その時には、20km圏内に入ることは違法になっていました。警備は厳しかったはず。何か特別な作戦でもあったんですか?

「何もありません。身分証を求められることは一度もありませんでしたし、テロも簡単に起こせるでしょうね。仲介者から『原発の司令部がある免震棟から原子炉建屋まではチェックがあるが、そこへ行くまで警備はない。そもそも、防護服を着ちゃったら作業員も記者も見分けがつかない』と言われたのですが、本当にそうでした。

 警戒区域手前の検問も避けられる裏道があったし、途中迷ったこともありましたが、作業員の宿泊場所のJヴィレッジまでたどり着けました。Jヴィレッジの駐車場も、案内係のおじいさんに『入るの?』と聞かれて『はい』と答えたら、そのまま誘導してもらえました」

――総じて、ほかの人と同じように行動していたら問題なかったとか。

「途中でもたついたりしたこともあったのですが、なんら問題なく免震棟に入れました。最後の関門だった免震棟の出口チェックも、靴が普通の運動靴だったのでバレてしまうかと思ったのですが、あっさりドアを開けてもらえました。最終的には、3号機まで50mの地点まで近づいたのかな。そこで写真を撮って帰りました」

――被曝を怖いとは思いませんでしたか?

「恐れていたのは途中で捕まってしまうことでした。建屋までたどり着いたとき、達成感でピースサインで写真を撮ってしまったくらいです。ある意味、究極の記念撮影かもしれませんね。

 正直、被曝のことは大して気にならなかった。僕はもういい年ですしね。帰ってきてから出てきた症状も、やたら咳が出て、右腕に原因不明のアザができたり、ツメがポロポロ取れやすくなったりした程度です」

――ちょっと不安になる症状ですが(苦笑)。山岡さんはそんなリスクを冒して原発に潜入しましたが、新聞やテレビなど、大手メディアで潜入したメディアはありませんね。

「彼らもさっさと行けばいいのにと思いますよ。お行儀がよすぎます。問題になっている原発がどんな姿かたちをしているのか、どんな人たちが第一線で作業をしているのか、この目で見てみたくないのかと言いたい。

 それだけでなく、いまだに電気が足りないって書く新聞もある。まったく、東電にどれだけ遠慮しているんでしょうね。

 まあ、僕がやったことは建屋に近づいて写真を撮っただけ。イタズラみたいなものですから(笑)、ジャーナリズムなんてことを青筋立てて主張するつもりはないんですが」

●山岡俊介(やまおか・しゅんすけ)
1959年、愛媛県生まれのフリージャーナリスト。この服は、原発に潜入したときのもの

福島第一原発潜入記』(双葉社/1365円)
有料のネット日刊紙『アクセスジャーナル』代表の山岡俊介。これまで訴訟を30件以上起こされ、自宅に放火された山岡による、福島第一原発潜入の記録。その方法は? 現地で起きていることとは!? 福島第一原発作業員のインタビューなども収録する。

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