今年の大分のサッカーは面白い。その最大の功労者は田坂和昭監督(40)だ。監督1年目ながら、サッカーに対する情熱と知識、ブレない指導理念で出場機会に恵まれなかった選手や伸び悩む選手を鍛え上げ、コンバートや起用法を変え貴重な戦力として再生している。

今季の大分は、クラブが経営再建中とあって2年連続で主力選手がチームを去り、新規加入選手はプロ経験が少ない若い選手や出場機会を求めてやってきた選手、戦力外通告を受けた選手ばかり。財政的な事情があるとはいえ、厳しい戦力は否めなかった。それでも田坂監督は「現有戦力で結果を出すのが監督の仕事。困難な状況ほどやり甲斐がある」と監督就任会見でズバリと言い切り、シーズンに臨んだ。シーズン序盤は下馬評通りの下位争いを演じたが、徐々に田坂イズムが浸透しチームは上昇気流を描いている。

野球界で少し前に流行った言葉が、サッカー界にもあてはまるのではないか。「トリニータ再生工場」である。

■早熟の天才、7年目・前田の活躍のなぜ

その代表格が7年目の前田俊介だ。広島ユース時代には数々のタイトルを勝ち獲り、“数十年にひとりの逸材”と称され、だれよりも将来を嘱望された。だが、広島入団4年目は戦術理解力の低さや少ない運動量を指摘され、出場機会を一度も与えられなかった。そこで前田は、シーズン途中に得点力に悩む大分の起爆剤として期限付き移籍で加入した。

その年は10試合に出場して、降格争いをしていたチームを残留に導いた。得点こそ1点に終わったが、残留を決定づけた大宮戦での逆転ゴールは今でもサポーターの間では語り種になっており、ここぞの場面での勝負強さを発揮した。翌年は期限延長で大分に残り、09年には完全移籍したが「走れない選手」のレッテルは拭えず、徐々に出場機会を失った。

しかし今季は、ここまで20試合に出場し6得点2アシストをマークしている。夏場になって好調ぶりは本格化。J2とはいえ、05年にJ1広島で記録した26試合5得点の記録を更新することは間違いなく、出場試合、得点でキャリアハイを記録するはずだ。

何が変ったのか――。それを前田に尋ねても「別に何も変わらない」という。しかし、話しを進めていくうちに、出場機会を求め大分、F東京と移籍を経験し、天才と呼ばれ続けた男にしか分からないであろう胸の内に秘めた思いを明かしてくれた。「技術うんぬんやなくて気持ちの部分なんですかね。家族ができ、子どもができて頑張らなアカンと思うようになった。今季でここ(大分)とは契約が切れるんで、延長するにしても他(のチーム)に移るにしても結果を出さんことには契約はしてもらえませんから。僕らはプロといっても1年1年で評価される契約社員。家族がいるわけやし、無職になるわけにはいかんので(笑)」。

加えて、もうひとつ心境の変化があったとしたらサッカー観である。本職のトップから0.5列下がったことで、かつてはFWは点を決めさえすればいい、と語っていた男が「自分で決めるんもチャンスをつくるのも、どっちも楽しい。チームの勝利に貢献できればいい」とプレースタイルや考え方が変った。

■コンバートで開花

シャドーに配置した田坂監督に話を聞いた。「シュン(前田)の特徴は、自由にボールを持ち、ドリブルで仕掛けることができるしキープもできること。前線で構えるより、サイドに流れてボールを受けたり、サイドから中央に切れ込んでシュートを打てるシャドーのポジションの方が生きる。それを彼自身が理解してくれた」と前田の適正を見抜いていた。

「攻撃にばかり目がいくようだが、最近のシュンは味方がボールを奪われたら、誰よりも早く守備をする。何が変ったかってよく聞かれるが、僕はいまのシュンしか知らないので何とも言えない。ただ、悪い部分はきちんと指摘するし、納得していなければ1対1で話しをする。それはシュンだけでなくどの選手に対してもだが。ここにいる選手は根本的にサッカーが好きで上手くなりたいと思っている。変る変らないは聞く耳をもっているか、いないかの差じゃないかな」