1985年、ユヴェントスが初めてチャンピオンズカップを制すとともに、39名ものサポーターが命を失った「ヘイゼルの悲劇」から25年。その消し去れない痛みは、ユヴェントスだけではなく、すべての人たちの心にずっと刻まれている。29日に行われた追悼セレモニーで、ユヴェントスのアンドレア・アニェッリ新会長は、悲劇のことを決して忘れず、だが未来のことを考える必要があると強調した。このような悲劇がニ度と起こらないように。サッカーの試合後で楽しいパーティーで、家族が楽しむことのできるものになるように…。

当時9歳で、テレビで悲劇を見ていたというアニェッリ会長は、次のように語った。

「(アレッサンドロ・)デル・ピエーロと話していたんだ。我々の思い出は同じようなものだった。我々は当時子供で、何が起きていたのかを完璧には理解していなかった。家で、両親の目や表情から、理解できないようなものを感じていたよ。時間とともに、何だったのかが分かった。我々ユヴェンティーノはずっと、あのトロフィーが自分たちのものだとはなかなか感じられなかった」

「我々の新スタジアムには、奥さんや子供たち、家族を試合に連れて行けるだけの条件をそろえる。試合は常に健全な競争における楽しみの場でなければならない。ヘイゼルで命を落とした人たち、我々の心にずっと残る人たちの思い出が残るように、この試合のことを思い出す場所をスタジアムにつくるだろう」

また、当時ユヴェントスの選手だったUEFAのミシェル・プラティニ会長は、かすれるような声で次のように話して伊理う。

「あの試合は普通ではなかった。90分間で終わっておらず、ずっと続くものなんだ。悲劇に関わった人も、見ていた人も、誰もあの記憶を消しさることはできない」

「私は選手だった。まだ30歳にもなっておらず、無邪気で楽しんでいた。ユヴェントスとサッカーへの愛情から、私はブリュッセルにいたんだ。だが、我々選手はあの暗い夜を経験することになった。私たちは犠牲者の方々、そのご遺族の方々のことをずっと思っている。今の私は、もう若きサッカー選手ではない。UEFAの会長だ。ヘイゼルのような悲劇がニ度と起きないようにすることが、私の責任なのだ。スタジアムの安全は、私が最も優先していることなのだよ」

一方、デル・ピエーロは自身のサイトで、「僕は11歳だった。あのことはよく覚えている」とヘイゼルの悲劇についてコメントしている。

「僕にとって、サッカーの素晴らしさとチームへの情熱は、あの試合が始まるまでにあった。想像できないような最悪なことのすべてが、その後に起きた。ヘイゼルでは39名の方がなくなり、そのうちの32人がイタリア人で、僕や僕の家族と同じように、楽しみたいと思っていたユヴェンティーノたちだった」

「今、僕はユーヴェのキャプテンを務めている。25年の時が過ぎ、僕はサポーターではなく、選手となった。でも選手としてだけでなく、ユヴェントスのファンとしても、プレーしたいと夢見ていた11歳の子供としても、あのファイナルのこと、あの悲劇の犠牲者のことを覚えていく。特に、このユニフォームを着る幸運を得た僕らは、決して始まっていないあの試合のことを、あの試合のために、情熱のために、ユヴェントスのために、命を落とした人たちのことを、考えていかなければいけない」