現在サンダーランドで監督を務めるロイ・キーンが、12年半の選手生活を過ごしたマンチェスター・ユナイテッドからの退団を振り返り、その際に負った傷の深さを告白した。

 2005年11月にマンUを電撃退団したキーン。リオ・ファーディナンドなど若手選手に対する辛辣な批判が引き金となりクラブを追われる形になった元アイルランド代表は、その後スコットランドのセルティックでプレーし、2006年6月に現役を引退した。そして今回、その立場を監督に変えたキーンは、アイルランド紙『アイリッシュ・タイムズ』の取材に応じ、約2年半が経過したマンU退団を振り返った。その言葉の端々から、クラブ側の不誠実な対応にキーンが深く傷つけられたことが感じられる。

「今考えれば、ユナイテッドを退団した時点で現役を引退すべきだったんだ。退団が決まったのは金曜日だったが、あの金曜日に私はフットボールへの情熱を失ってしまった。そして、人生もフットボールも非情なものだと思ってしまったんだ。その考えを正すまで、2年近くの年月が必要だったよ。自分の言動には責任を持っているつもりだが、幾つか間違いを犯したことも認める。ただ、クラブ側の対応もおかしかった。退団の前後で彼らの主張が変わったんだ。例えば、退団した翌週に他のクラブとすぐには契約出来ないと言われた。それまでは好きなクラブと契約してもいいような口ぶりだったはずなのにだ。つまり、意図的に幾つかの嘘をつかれたことになるわけだ。私を退団させようとする、ある種のプランが存在していたのは事実だろう。また、私の退団に際して、彼らは声明を用意していた。そこには、『11年半の貢献に感謝する』という一文があった。12年半に正すよう、私からデイビッド・ギル(マンU最高経営責任者)に指摘しなければならなかった。あれもプランの一部だったと今は思っているよ」

 さらに、金銭面でもクラブの対応に誠意を感じることが出来なかったと語るキーン。今や監督として高い評価を受けるまでになったが、「当時、言うべきことを言っていればと今は思うね」と、愛するクラブとの不幸な別れについて、今でも悔やんでいるようだった。

リオ・ファーディナンド(Rio Ferdinand)


生年月日:1978/11/07
所属   :マンチェスター・ユナイテッド
国籍   :イングランド
ポジション:DF