40歳無職男性と結婚・出産した女性の「計算」

写真拡大


低収入を気にしていたら人生が終わってしまう(イラスト:堀江篤史)

仕事が落ち着かないうちは結婚できない、収入が低いので恋愛できない。独身男性に話を聞いていると、仕事とおカネが理由で恋愛・結婚への勢いを失っていることが多い。筆者も男性なので、彼らの気持ちはよくわかる。

しかし、「仕事が落ち着く時期なんて一瞬だ。低収入を気にしていたら人生が終わってしまう」という気もする。1人きりでは弱い存在だからこそ、人はパートナーを見つけようとするのではないだろうか。結婚しても人の性格や能力は変わらないが、助け合える相手がいることで気持ちに余裕が生まれ、自分のいい部分が表に出やすくなることはあると思う。

お相手は、40歳の無職男性


この連載の一覧はこちら

40歳の無職男性と結婚して、子どもも作った女性がいると聞き、東北地方のある都市に向かった。駅前のコーヒーショップで会ったのは、建築会社に正社員として勤務する上杉智美さん(仮名、43歳)。関西地方の大学を卒業してからは、設計の仕事に打ち込んできた女性だ。同業他社に転職をして、実家のある県で勤務することができてからも1人暮らしを続け、朝まで会社に残って働くことも多かった。恋愛はしたけれど結婚願望は薄かったと智美さんは振り返る。

「最後に付き合ったのは、前の会社の先輩から紹介された1歳年上の公務員男性でした。彼は官舎住まいで夜勤もあったので、月に3回ぐらいデートするだけの関係です。なんとなく付き合っていたけれど、東日本大震災をきっかけに別れました」

智美さんの実家も被災し、建築関連の仕事は復興需要で尋常ではないほど忙しくなった。一方、公務員の恋人は勤務先の現場が機能停止になり、他県に転勤することに。2人は最後に顔を合わせることもなく、電話で別れた。「じゃあ、元気で」が最後の言葉だったという。

将来について話し合うことがなかったのには理由がある。その恋人は父親に苦労した過去があり、自分にも子どもを育てる自信がないと断言していたことだ。もし結婚するならば子どもがぜひ欲しいと思っていた智美さんとは、結婚生活のイメージが合わない。

震災があり、彼とも別れた年の暮れ。会社の忘年会で多忙だった1年を同僚とねぎらい合った。当時、智美さんは37歳。「40歳までに子どもが欲しい」という気持ちが急速に高まった。そして、初めての婚活を決意する。何をどうすればいいのかわからなかったので、行きつけの飲み屋のマスターが「出会い系サイトで彼女を見つけた」と自慢しているのを聞き、同じサイト(有料の老舗婚活サイト)に登録してみることにした。

そのサイトで3人目に会ったのが、現在の夫である雅史さん(仮名、42歳)だ。当時、雅史さんは36歳。早ければ管理職になるような年齢にもかかわらず、難関国家資格の勉強をするために会社を辞めるつもりだと告白。智美さんはあきれ果てた。

「ないな、と思いました。今さら勉強を理由に無職になる人と結婚前提に付き合うわけがありません」

一方で、雅史さんに話しやすさは感じた智美さん。ほかの男性との出会いも模索しつつ、雅史さんと食事に行くことは続けた。ある日、すでに職を離れていた雅史さんから「付き合いたい」と告白され、智美さんは承諾する。

「恋人が誰もいないよりかはこの人でいいかな、という気持ちです。正直言って、私はその後も彼に内緒でネット婚活を続けていました」

「40歳までに子ども」という念願をかなえたい

そのまま1年が経過し、智美さんは39歳になった。今すぐ結婚して妊娠しなければ「40歳までに子ども」という念願は達成できない。智美さんは「今の時点で一緒に子作りと子育てをしてくれるのは彼しかいない」と覚悟を決める。そして、雅史さんと2人で出掛けた東京・お台場でプロポーズをする。夜に観覧車に乗っているときだった。

「大事な話があるの。私、結婚したい」

夜の観覧車内という逃げ場がない状況だが、マイペースな雅史さんは「考えてみる」と保留の返事。2カ月後に、2つの条件付きでOKを出した。自分は国家試験に合格して夢の職業に就くことをあきらめていない、子どもが作れる体なのかどうかわからないので2人とも病院で事前に検査する、の2つだ。

智美さんはすぐに同意して、病院の検査も受けた。2人とも無事にクリアし、お互いの親にも紹介した。智美さんの親は雅史さんが働いていないことに不安を感じたようだが、「一生結婚しないよりは1回ぐらいはしておいたほうがいい」と消極的に賛同。雅史さんの親からは「息子と結婚してくれてありがとう。正直、あきらめていた」とひたすら感謝された。

実家暮らしで勉強を続けていた雅史さん。収入はアルバイト代の月12万円のみだ。智美さんと大きな部屋を借り直すこともできず、結婚してからの2年間は別居婚だった。

子作りが最大の目的で結婚した智美さんは、雅史さんが試験に合格していずれ同居する日まで待つことはできない。すぐに「タイミング法」を実施。排卵日を事前に雅史さんに伝えておき、その日は1人暮らしの部屋に泊まりに来てもらったのだ。幸いにも結婚2カ月後には妊娠がわかる。そのとき41歳。娘を出産した去年の春には42歳になっていた。2年遅れで無事に目標を達成したのだ。

しかし、2人の苦労は娘の出産後にあった。育児休暇を取得した智美さんは実家に戻らせてもらい、60代半ばになっていた両親と久しぶりに同居をすることになった。母親は孫をかわいがる一方で、子どもを中心に生活を考える智美さんの言動に納得がいかなかった。家の中がうるさいので娘が寝ないと訴える智美さんに、「自分の子どもだけではなく、周りの人のことも考えなさい」と指摘。すでに定年退職をしてつねに自宅にいる父親は、子どもが生まれたのに、ちゃんと働こうとしない婿のことをなじり始めた。いずれも正論ではあるが、夫不在での初めての子育てに必死な智美さんは不満が募った。

「お世話になっているのはわかりますが、1日でも早く実家を出たいと思っていました」

住環境が変わったのは今年の春。1年間の育児休暇を終え、娘を保育園に預けることができた。雅史さんの勉強中心生活は変わらないが、この機に一緒に住むことにした。

教育費などを考えると不安で仕方ないが…

智美さんは職場復帰したものの、保育園のお迎えのため、時短勤務をしている。夫が夕方出勤の夜勤アルバイトを続けているためだ。手取り給料は以前より10万円減の16万円。ボーナスと、雅史さんのアルバイト代を含めても、世帯年収は400万円ほどだ。娘の教育費などを考えると、智美さんは不安で仕方ない。

「夫は子どもの面倒はちゃんと見てくれています。朝ご飯を作って食べさせて、着替えさせて、保育園に送っていく。ほかの家事も、私が頼んだことはきちんとやってくれます。彼には専業主夫になってもらい、私が仕事に完全復帰して稼ぐほうがいいかな……」

智美さんによれば、夫が家事や育児にますます協力的になったことには理由がある。同居して半年がたった頃、夫が「したい」と言い出し、2年ぶりにセックスを再開したことだ。

「今ではリビングで寛いでいるときも手をつないだりしています。私は特に変わりませんが、夫の機嫌がよくなってびっくりです。子どもだけではなく、夫にも手をかけられるようになると生活がうまくいくんだなと感じています」

雅史さんは難関国家試験への挑戦は今年で最後だと宣言している。不合格であれば、ちゃんと稼げる職を探すという。試験勉強のためとはいえ、5年以上もブランクのある雅史さんの職探しは簡単ではないだろう。しかし、必死で働き続けてきた智美さんの経験と知恵を生かせば、細かい事務作業に向いていそうな雅史さんに適した仕事が見つかるはずだ。試験の合否がどちらであっても、来年には収入アップの見通しが立ち、親子3人の暮らしがさらに明るくなっている気がする。