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●歴史を物語る要塞の秘密をガイドがひもとく
"無人島"と聞いて、どのようなイメージが思い浮かぶだろうか? おそらく、陸から遠く離れた孤島のイメージが思い浮かぶのではないだろうか。もし、それが東京湾の中にあったら……。

実は、本当にあるのだ。東京からわずか電車で1時間ほどの横須賀市の沖合、わずか1.7kmほどの海上に浮かぶ「猿島」は約5万6,000平方メートル、横浜スタジアムのグランドのおよそ4倍の広さをもつ無人島だ。猿島は、江戸時代末に異国船を打ち払うための「台場」が設置され、明治時代から太平洋戦争期にかけては、軍の要塞が築かれたという歴史を持つ。

最近は、島内に残された明治時代のレンガ造りの要塞跡が、スタジオジブリのアニメ『天空の城ラピュタ』の廃墟に似ているため、"リアル・ラピュタ"の島として人気を集めているという。どんな場所なのか、早速、出掛けてみよう。

○猿島ガイドとともに乗船! いざ、無人島へ

神奈川県の三浦半島に位置する横須賀市は、軍港としての歴史を歩んできた街だ。横須賀には今もアメリカ海軍の基地や海上自衛隊の司令部があり、海を見渡せば、多くの潜水艦やイージス艦などの艦船が浮かんでいる。

猿島航路の船は、日露戦争時に活躍した「戦艦 三笠」が記念艦として保存されている「三笠公園」に隣接する「三笠桟橋」から発着している。今回の旅を案内してくれる猿島公園専門ガイド協会の請地盛雄さんと合流し、いざ、無人島へと旅立つ。島までは、10分ほどの船旅だ。

○いよいよ、遺跡の探検開始

船の到着する猿島桟橋の付近には砂浜が広がっており、夏期は海水浴場になるほか、事前に予約すれば手ぶらBBQも楽しむことができる。砂浜の先にトイレや売店などの施設があるので、ここで飲み物を買うなど探検の準備をしておこう。トイレや飲み物の自動販売機があるのは島内でこの場所のみとなる。

さて、それでは出発しよう。まず見えてくるのは、明治時代に建てられたという石炭発電所の建物。所々表面のモルタルが剥げ落ち、中のレンガがむき出しになっている煙突が、時の流れを物語っているように思える。

ここから鬱蒼(うっそう)とした木々に覆われた石畳の坂道を登っていく。坂を登り切った辺りで、ガイドの請地さんが指さす場所を見てみると、石積みの壁に無数の穴ができているのが見える。

これは太平洋戦争終結時に、猿島に上陸した連合軍の兵士が、潜伏する日本兵がいるのではないかと思い威嚇(いかく)射撃をした跡だという。戦後70年以上が経過した今なお残る、時空を超えた生々しい戦争の傷跡だ。

○要塞の中へ! 精密な設計に驚く

ここからが猿島探検のメインとなる、明治時代のレンガ造りの要塞エリアだ。要塞の主な施設は、「砲台」と「兵舎」と「弾薬庫」から成る。

猿島の砲台は東京湾口の守備のために、明治14年(1881)から17年(1884)にかけて整備され、24cm加農砲(カノン砲)4門、27cm加農砲2門が据えられた。2015年3月には、同じく横須賀市内の「千代ヶ崎砲台跡」とともに、国防のために建設された施設としては全国で初めて、国史跡に指定された。

通路を進むと、右側のレンガ造りの建物に扉があるが、これは高台に据えられた砲台の下部の岩肌に横穴を掘って造られた兵舎と弾薬庫の入り口で、ガイドと一緒であれば内部を見学できる。鍵を開けてもらい兵舎の中に入ると、蒲鉾(かまぼこ)型の奥行きの深い部屋になっている。ガイドの話で興味深かったのは、太平洋戦争時、守備兵たちはここにベッドではなく畳を敷いて、寝泊まりしていたということだ。

次は弾薬庫の中ものぞいてみよう。こちらは兵舎よりも部屋の内部の構造がより複雑で面白い。通路や、弾薬を上部の砲台へ引き上げるための縦穴(揚弾井)や滑車の仕組みなどが、精密に設計されていることに驚くだろう。

ちなみに、明治時代に、この要塞は実戦で使われることはなかった。その後、太平洋戦争時に猿島は再び要塞化されるものの、その時はすでに航空機全盛の時代になっており、対航空機の高角砲は別の場所に設置された。このような事情から、味わい深い廃墟が今に残ったのだ。

この先のトンネルは「愛のトンネル」と呼ばれ、トンネルを抜けた先には、あの名作アニメ『天空の城ラピュタ』の廃墟を思わせる世界が目の前に広がっている。

●愛のトンネルの向こうにジブリの世界! 「走水低砲台跡」も見逃せない
○愛のトンネルを抜け、ラピュタと重なる風景に出会う

「愛のトンネル」は、レンガ造りの道路用トンネルとしてはわが国最古級であり、内部には弾薬元庫や司令部の跡が残っている。アーチ型の天井の美しさは驚くばかりで、まるでヨーロッパの城か僧院にでも迷い込んだかのようだ。

そして、このトンネルを抜けた先に広がるのが、『天空の城ラピュタ』の廃墟を思わせる世界である。木の根が建造物を半ば突き崩し、当時最先端の技術で造られた要塞が、自然に回帰しつつある様がラピュタの廃墟に重なって見えるのだ。

この先には、太平洋戦争期の高角砲の砲座跡などが何カ所か残されているが、余りにも素晴らしい明治時代の要塞跡を見た後では、たいした感銘は受けないだろう。島内で、もう1カ所オススメの見どころを紹介するなら、島の北東部に位置する江戸時代の「卯ノ崎台場」の跡だ。ここからは房総の木更津や富津岬方面がとてもよく見える。東京湾で最も間口の狭いこの場所は、異国船を砲撃するのに最も適した場所だったのがよく分かる。

ちなみに「猿島」という名前から、猿がいると思うかもしれないが、実は島内にサルは一匹もいない。島名は、島の北端にある「日蓮洞窟」に伝わる、日蓮聖人が白猿に導かれてこの島に漂着したという伝説によるものだ。

●information
アクセス: 「三笠桟橋」まで、京浜急行横須賀中央駅から徒歩12分
乗船料: 1,300円(往復)
猿島公園入園料: 200円
ガイド料金(2016年7月1日より改定)
猿島公園コース 6人以上の場合はひとり600円、5人以下の場合は全員で3,500円

○走水(はしりみず)低砲台跡もセットで見学を

猿島探検後、もし時間が許すなら、2016年5月から公開を開始したばかりの「走水(はしりみず)低砲台跡」もセットで見学するのをオススメしたい。走水低砲台は、猿島よりやや遅れて、明治18年(1885)〜19年(1886)にかけて建設された要塞跡だ。

猿島と同様、明治時代のレンガ要塞の廃墟が残されているが、長らく立ち入り禁止となっていたこともあって、猿島よりもさらに廃墟感が高い。まるでジャングルの中にたたずむ、古代遺跡のような弾薬庫の扉を開けば、あたかも時間の止まった時の回廊に足を踏み入れたようだ。空気までもが当時のもののように思えてならない。

弾薬庫内部は、表面の漆喰(しっくい)が剥がれてレンガがあらわになった部分が多い。猿島と比べると部屋が狭く、弾薬を保管する部屋から揚弾井まで通路を経由しなければならないなど、ほぼ同時代の建築ながら少なからぬ違いが見られる。

こうした猿島と走水の違いの説明を受けながら歩くのは、とても楽しい。なお、走水低砲台跡の見学は、ガイドの申し込みが必須で自由見学は不可となっている。

●information
アクセス: 京浜急行馬堀海岸駅からバス「観音崎」行き「走水上町」下車、徒歩1分
ガイド料金(2016年7月1日より改定)
走水低砲台跡コース 6名以上の場合はひとり400円、5人以下の場合は全員で2,200円
猿島と走水はセット申し込みも可
※走水低砲台跡観光は、猿島公園専門ガイド協会のほか、よこすかシティガイド協会、観音崎フィールドレンジャーの3団体がガイドを受け付けており、それぞれガイド料金やツアー内容が異なる

このほか、横須賀では人気の「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズツアーや海水浴、ご当地グルメ「よこすか海軍カレー」など、さまざまな楽しみがあるので、のんびり訪れてみるのをオススメしたい。

※記事中の情報は2016年6月時点のもの。価格は税込

○筆者プロフィール: 森川 孝郎(もりかわ たかお)

旅行コラムニスト。京都・奈良・鎌倉など歴史ある街を中心に撮影・取材を行い、「楽しいだけではなく上質な旅の情報」をメディアにて発信。観光庁が中心となって行っている外国人旅行者の訪日促進活動「ビジット・ジャパン・キャンペーン」の公式サイトにも寄稿している。鎌倉の観光情報は、自身で運営する「鎌倉紀行」で更新。

(森川孝郎)