才能を浪費した10名のサッカー選手

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『Sportskeeda』は「最も才能を浪費した10名のサッカー選手」という記事を掲載した。

『成功はハードワークあってこそ。幸運はなんの関係もない』とディエゴ・マラドーナは言った。それほどではなくとも、少なくとも努力なくして世界のトップクラスになることは出来ない。

近年のサッカー界において、最も才能を無駄にしてしまった10名の選手たちとは?

アドリアーノ(マイアミ・ユナイテッド)

「皇帝」と呼ばれたブラジル代表ストライカーは、フィジカル、スピード、テクニック、そしてなにより類い稀なシュートを備えていた。

ひとたび前を向けば弾丸のようなキックがゴールマウスを襲い、ゴールキーパーを恐怖に陥れる。全盛期のセリエAで若くしてブレイクを果たし、その才能を見せつけた。

しかし、インテルでプレーしていたころに父が死去し、それをきっかけにピッチ外の問題が続出。アルコールに溺れるようになり、体重管理を怠り、失踪疑惑もあった。

ブラジルに帰ってからもほとんど試合に出場することが出来ず、2009年には一度引退も宣言した。なお、現在はアメリカの下部リーグでプレーしている。

アデル・ターラブ(ベンフィカB)

ラファエル・ヴァラヌやジョフレイ・コンドグビアを輩出した名門RCランスのユースで育成され、18歳でプレミアリーグへと移籍。圧倒的なドリブルテクニックを持つ天才ウインガーには明るい未来が待っているように思えた。

『パオロ・ディ・カーニオやジネディーヌ・ジダンの能力を備えている男だ』

その技術に疑いを持つ者はいなかった。しかし、その恵まれたタレントは過剰な自信と不安定なメンタル、ピッチ外の問題によって浪費された。

2014年に貸し出されたミランでの半年は輝きを見せたが、その後戻ったQPRではハリー・レドナップ監督に「太りすぎ」と言われる。本人はそれを頑なに否定し、対立は深まった。

昨年はベンフィカと契約を結んだものの、トップチームでは一度も出場機会がないままだ。

リカルド・クアレズマ(ベシクタシュ)

クリスティアーノ・ロナウドと同じスポルティング・リスボンのユースが生んだ宝石。18歳でデビューを果たしたクアレズマは、いきなり大きな活躍を見せて注目を集めた。

圧倒的に繊細なボールコントロールとトリッキーなアイデア。ラボーナやアウトサイドキックを得意とし、全てのサッカーファンを感嘆させた。その一方で、時にプレーの軽さやスピード、フィットネスの問題に直面した。

2003年に移籍したバルセロナではフランク・ライカールト監督の元で力を発揮できず、わずか1年で帰国。FCポルトへと移籍した。

後にイタリア・セリエAのインテルと契約。ジョゼ・モウリーニョの下でプレーしたが、2008年には「金のバケツ賞」(年間最低選手賞)にも選ばれてしまった。

ルイス・フィーゴの後を継ぐとも言われたクアレズマ。そこそこの選手にはなったが、持っていた才能からすればなんとも寂しいものである。

アントニオ・カッサーノ(サンプドリア)

イタリアサッカーの歴史上でも屈指の才能を持っていた選手だろう。息を呑むようなスタイルをピッチ上で見せる男は、若くして輝きを見せた。しかしその気性が、世界のトップクラスへと歩んでいく道のりで高いハードルとなった。

「バーリの宝石」と呼ばれた彼は、ローマでフランチェスコ・トッティ、ファビオ・カペッロと衝突。そしてレアル・マドリーへと移籍したが、スペインではコンディションに問題を抱えた。

結婚してからは女性関係が落ち着いたものの、その分「幸せ太り」が目立つようになっている。

アンデルソン(インテルナシオナウ)

『自分が願えば、偉大な選手になる事が出来る』

アンデルソンは2011年にそう発言した。2007年に19歳でポルトからマンチェスター・ユナイテッドへ移籍した。世界最高クラスの若手選手としてその名を轟かせた。

U-17ワールドカップの王者に対しては、『彼は明らかに最高の選手だったが、ただ立っているだけの時があった』とも評価されたが、マンチェスター・ユナイテッドは彼に賭けた。そして負けた。

8年間に渡ってオールド・トラッフォードでプレーしたアンデルソンは、大きな怪我もあって105試合の出場に留まり、インパクトを残すことは出来ずに終わる。

2015年1月に契約が終了し、そして帰国。現在はインテルナシオナウでプレーしている。

ジオバニ・ドス・サントス(LAギャラクシー)

ドス・サントスは11歳で故郷のメキシコを離れ、バルセロナの「ラ・マシア」に入団した。リオネル・メッシとともに出世階段を駆け上り、ロナウジーニョと同じスタイルを持つ世界最高クラスの若手と評価された。

2007-08シーズンはトップチームで28試合に出場。ムルシア戦ではハットトリックも達成するなど結果を残したが、彼はバルセロナでのキャリアを終え、トッテナム・ホットスパーへの移籍を決断する。

しかし、これは彼にとって大失敗となるものだった。ロンドンのライフスタイルは彼のコンディションに悪影響をもたらした。

『もし彼がナイトクラブに行くようにパスを出せれば、全てOKなのだが』

『彼は素晴らしいスキルを持っている。突然彼は月曜日の朝遅れてくる。胸焼けを持って。彼はおそらくバルセロナでパーティでもしているのだろう』

ロイストン・ドレンテ(バニ・ヤス)

フェイエノールトのアカデミーで育成されたドレンテは、そこで最も有望な若手の一人だと考えられていた。しかし、大きすぎるブーツを履いてしまった例として言い伝えられる必要がある。

ロベルト・カルロスの後を継ぐかもしれない存在として2007年にレアル・マドリーへと引き抜かれるも、マルセロの前にポジションを獲得出来なかった。

その後はエルクレス、エヴァートン、アラニア・ウラジカフカス、レディング、シェフィールド・ユナイテッド、カイセリ・エルジイェスポルと渡り歩いた。

ドレンテは後にエヴァートン時代を振り返ってこう語っている。

『僕はデイヴィッド・モイーズと対立した。自分にはその権利があったと思う。しかし後から思えば、彼はおおよそ正しかった。エヴァートンで失敗したことは信じられない。自分の態度と弱いメンタルが、キャリアを台無しにした』

アドリアン・ムトゥ(トゥルグ・ムレシュ)

チェルシーが2250万ユーロを彼の獲得に費やしたとき、いくらかの疑問は持ち上がった。しかし、イタリア・セリエAをよく知る人々にとっては、パルマで彼が見せた輝きが本物であることは周知の事実だった。

かつてのルーマニアの伝説的選手ゲオルゲ・ハジとも比較されるような才能を持ち、ゴールを量産できる力とドリブルの技術を併せ持っていた。

しかしチェルシーではジョゼ・モウリーニョ監督と対立。最終的にはコカインの陽性反応が出たため契約が解除され、賠償金として多額の支払いを求められるに至った。

その後はユヴェントス、フィオレンティーナで復活を遂げ、チェゼーナ、アジャクシオでもポテンシャルの高さを見せた。しかし、ピッチ外でもなんども暴力事件や奇妙な行動をし、メディアを賑わせた。

彼の才能は世界最高の選手になれるだけのものがあったはずだ。

アダム・ジョンソン(無所属)

ミドルズブラを2010年に去り、マンチェスター・シティへと加入した。アダム・ジョンソンはその街とイングランドの希望だった。

しかし、そのパーティにまみれたライフスタイルはロベルト・マンチーニ監督との対立に繋がり、アダム・ジョンソンは再起を賭けて故郷のクラブであるサンダーランドへと移籍した。

そこで彼は活躍を見せていたが、そのキャリアを台無しにしたのはピッチ外での行動だった。未成年の女性ファンに性的行為を行ったとして有罪判決を受けたのである。6年の懲役刑を宣告された彼のキャリアは断たれたも同然だ。

ジョンソンは裁判でこう話した。

『祭り上げられていた。人々が名前を呼ぶ。それは世界で最高のものだ。全てのことが可能で、多くのものを簡単に手に入れられる』

マリオ・バロテッリ(ミラン)

イタリアのジャーナリストは言った。

『バロテッリについての奇妙なことは、彼が加入したときも、チームを離れた時も、シャンパンのコルクが飛ばされることだ』

全ての監督が彼の才能を認め、飼い慣らそうとして、そして失敗してきた。スティーヴン・ジェラードもリヴァプールでのエピソードを自伝で明かし、彼の努力が足りないことを指摘している。

近年では彼の契約に様々な条項が加えられるようになり、大きなトラブルは減少している。しかし、それでも彼のソーシャルメディアには様々な話題が集まっている。

ジョゼ・モウリーニョですら手に負えなかった最高の才能は、今夏ミランに残れない可能性が高く、リヴァプールでも戦力外の扱いになっている。来季はどこで戦うことになるのだろうか?