JAL社長 植木義晴氏

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■「向こうから数字が飛び込んでくる」

4年半前にパイロットから執行役員として経営陣に加わったときには、財務三表すら読めませんでした。本やネットなどで一生懸命に勉強しましたが、ただ知識を頭に入れるだけではなかなか理解できません。そこで客室本部長や整備本部長も僕より多少知っている程度だろうと思い、数人の役員を誘って土曜、日曜に当時話題になっていた本のタイトルからとって、「サルでもわかる会計講座」と名付けた初心者向けの勉強会を始めました。もちろん、財務や経理の実務担当者に追いつけるわけではありませんが、財務三表から何を読み解き、どのように経営に生かせばいいのか判断ができるようになりました。

その経営の数字を追う楽しみが増したのは、各路線の収支全般に責任を持つ路線統括本部長に就いてからです。われわれは稲盛和夫名誉会長が導入した意識改革の根幹である「JALフィロソフィ」と、社員全員が経営に関わっているという当事者意識を持たせる「部門別採算制」の2つを柱に、再建に取り組んできました。最初のうちは「これで本当に会社が立て直せるのか」という気持ちが社員にあったと思います。ところが「部門別採算制」が社内に導入され、業績も回復傾向となり、業績報告会での年度末利益予想が月を追うごとに上昇していった。こうなると数字を見るのが楽しくなってきます。1年目も2年目も当初の予想から上振れしましたので、僕ばかりでなく全社員が数字を追う楽しみを知るようになりました。

整備士の一人ひとりが軍手一つを大切にする。常に社内の不要な電気を消すなど、3万2000人が全社一丸となって「売り上げを最大に、経費を最小に」というフィロソフィの実現に努め、バブルの絶頂期でさえ約900億円の営業利益しか出さなかった企業が、2010年度の半期を過ぎたあたりで4桁の営業利益を出すまでになったのです。「塵も積もれば山となる」とよく言いますが、実際にそんなことを体験した人はほとんどいないでしょう。

「小さなコストカットを積み重ねれば本当に大きな利益になる。名誉会長が導入した2つの柱は間違いじゃなかったんだ」と全社員が実感したことはわが社の大きな強みです。それが本物であったことを実証するためには、これからも利益を出し続けなければなりません。

面白いことに、これほどまでに日々のコストカットを強調する名誉会長が、「目先の利益にこだわるな」ともおっしゃるのです。多くの人には矛盾に感じるでしょうが、僕にはその意味がとてもよくわかります。高い目標を達成するために、目先の利益にこだわらずに大局的な判断をすることと、目先の利益のために必死になることを両立させることこそが、究極の経営であり、最高のリーダーシップということなのだ、とおっしゃっていると理解しています。

よく名誉会長は「経営に関する数字は、すべてがいかなる操作も加えられない、経営の実態を表す唯一の真実を示すものでなければならない」とご指摘されています。私は名誉会長の側にいて数字やデータに対して厳しく取り組む姿勢と確かな分析力、そして正しい数字に基づく経営とは何かを学びました。

名誉会長の出席する月1回の業績報告会がありますが、僕らは予定実績採算表をもとにその月の予定、実績、来月の見通しを説明します。報告を聞きながら名誉会長は、数字がびっしり書き込まれたA3の用紙を縦、横、斜めとじっくり見て、次から次へと質問をします。自分なりにプロットを作り、おかしいと思う点が浮かんでくるのでしょう。

その根底にはしっかり細部を見なければ全体をとらえることができないという考えがあり、その結果、企業活動の実態が正確に把握できるというのです。「それにしても、なんであんな細かい数字を見つけられるのですか」と聞いたところ、「おかしなところはな、向こうから数字が飛び込んでくるんや」と言うのです。

東日本大震災直後に、名誉会長が「5月から持ち直す。今年度は4桁の黒字は達成可能」と予言のように言い当てたときも驚かされました。僕らの予想では6月ごろまでは需要が落ち込み、せいぜい数百億円の利益が出ればいいと思っていた。ところが結果は名誉会長の予想通り。あとで「何であんな予想ができたんですか」と尋ねたところ、「俺もわからんけど、そんなもんなんや」という答えでした。これを偶然、あるいは神業といった言葉で片づけるのは簡単ですが、「数字が飛び込んでくる」というのと同じように、50年間も経営の最前線に立ち続け、常に未来を見据えてきた人だけが持ちうる能力、それこそ感性だと思います。

■「数字から数字をひねり出すな」

名誉会長の境地ほどではありませんが、僕の35年のパイロット人生の中でも思い当たることがいくつかありました。ある日、無数の計器に囲まれたコクピットの中で、異常な数値が探さなくても向こうから目に飛び込んでくるような経験をしたことがあります。

それは、飛ぶ前に気象のチャートを何十枚も見ているときにも経験しました。チャートをながめていると飛行の過程のイメージが立体的に頭に浮かんできます。揺れるとデータが示している個所でも、僕の感覚では揺れないと思うと、実際に揺れません。副操縦士に「なぜ、わかったんですか」といくら聞かれても、「勘だな」と答えるしかありません。

僕がよく経営幹部に話すのは、「数字から数字をひねり出すな」ということです。あるロジックのもとに需要予測の数字を算出するだけならば、コンピューターに任せておけばいい。しかし、正しい数字をもとに経営するには、その数字に経営者の考え、意思を込める必要があります。マクロな経済動向からその年の大きなスポーツイベントのようなものまで、様々な要素を加味して需要予測を立てますが、それは既存のロジックをもとにコンピューターで計算しただけです。そのダイレクトな数字に、経営者として考えた自分の意思を落とし込み、反映させることが重要です。

決してミクロの数字を軽視しているわけではありません。最初は、細かい数字を積み上げていき、自分の中に間違いのない確固たるイメージをつくり上げます。イメージができたら新しい情報が入ってくるたびに細かい数字はいったん忘れ、肉づけをしてより精度の高いイメージにしていく。これが面白いのです。社員は年度計画を精密に組み立ててくれますが、どう考えてもこの数字はおかしい、と直感的に違和感を感じることがあるものです。名誉会長は努力を重ねれば、理屈ではなくこうした結論が錬磨された感覚から自然と導き出せると言っているのだと思います。

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JAL社長 植木義晴
1952年、京都府生まれ。父親は俳優・片岡千恵蔵。75年、航空大学校を卒業し、日本航空(JAL)に入社、パイロットになる。2007年、ジェイエアに出向。10年、執行役員(運行担当)に。専務執行役員を経て12年、元パイロットとして同社初の代表取締役社長に就任、現在に至る。

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(吉田茂人=構成 小倉和徳=撮影)