提供:週刊実話

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 ショールームの扉を開けると、何人もの精巧な「女性」たちがお出迎え。彼女たちが一体数十万円の人形だと気付かない人もいるという。だが、それでも改善の手を緩めないのは、ユーザーの熱い声に常に耳を傾けているからだ。

 あと2年で創業40周年を迎える、日本のラブドール界では草分けであるオリエント工業。その代表取締役が土屋日出夫(70歳)だ。どう見ても古希を迎えたとは思えない、若くてダンディな土屋が、創業の経緯を話し始める。
 「私は横浜で生まれまして、米軍ハウス専門の引っ越し屋で働いていたんですよ。その後、水商売など仕事を転々としていたとき、その引っ越し屋で知り合った先輩に、新宿で大人のおもちゃ屋をやるから手伝ってくれないかと言われて、この業界に入ったんです」

 当時はバイブレーターすらない時代。日本でダッチワイフといえば、1955年の第一次南極越冬隊が思い浮かぶ。精神衛生管理という観点から2体を南極へもっていったそうだ。もっとも、マネキンを改造した人形で、試そうとした隊員はいなかったらしい。
 '60年代後半からダッチワイフが「大人のおもちゃ屋」で販売されていたが、まだまだ本格的なものではなかった。
 「当時はビニール製で感触もよくなかった。女性用はだんだん開発が進んで、'72年に発売された『熊ん子』というバイブは大ヒットしましたね。その後、私は独立して浅草で自分の店をもったんですが、なんとか男性用のグッズができないかと試行錯誤しました」

 ユーザーの声を聞き、第一号として世の中に登場したのが、'77年の『微笑』だ。価格は大卒初任給が9万7000円だった当時、3万8000円。顔と胸はソフトビニール、腰の部分は軟質ウレタンでできている。
 ホールはエラストマという素材を使い、ローションを垂らして人形に装着できるようになっている。実際、指を入れてピストン運動をしてみると、なるほど、なかなかの摩擦と感触。このホール部分は、今も踏襲されている。
 「『微笑』は私にとってはとても思い入れがありますが、顔と腰と胸以外はビニールの空気式だったので、どうしても体重をかけたときのエア漏れ問題は解決できなかった。それで今度は、エアを使わないものを開発しようと思ったんです。この製品を発表してから、いろいろなユーザーの声が集まってくるようになりました。性的に悩みをもっている男がいかに多いか思い知らされましたね」

 妻が病弱でセックスができなかったり、先立たれたり、あるいは蒸発されたり。風俗に行ける人はまだいい。行ってもなじめず、悶々としている男性も多いのである。女性にひどい目に遭って以来、女を信頼できなくなる男性もいる。
 今は上野ショールームと称しているが、当時、「上野相談室」を設け、購入者に商品説明だけではなく、カウンセリングも行っていたそうだ。
 「ちょうどその頃、ある医師と知り合ってね、彼が障害者の性に取り組んでいる人だったので影響されました。大人のおもちゃから入ったけど、そのとき意識が変わった。ただ儲けようとするのではなく、少しでも人のためになるものをという思いが強くなりました」

 5年後に発売された第二号『面影』は、妻を亡くしたあるユーザーの手記を元に名づけられたのだという。素材は表皮がラテックス、ボディー内部がウレタン等となり、空気をいっさい使わなくなった。両手足がはずせるので、収納しやすくもなっている。
 「これで体重をかけても、エア漏れしたり破裂したりすることがなくなった。エアが漏れると、どうしても萎えちゃうんですよ、男は。それがクリアできたのは大きかったですね」