メジャー屈指の強打者を憤慨させた記者の一言と、それでもアルバート・プホルスが貫く矜持
俺は13年間もそれなりの成績を残してきた
少し前の話になるが、3月6日付けの全国紙USA TODAYに秀逸な記事が載っていた。記事を書いたのは、敏腕記者として知られるボブ・ナイチンゲール氏。ニュースを抜く腕にも長けているが、この人の人物に寄った記事はとても面白い。今回、ナイチンゲール氏がスポットを当てたのは、2012年にエンゼルスに加入して以来、存在感が薄くなってしまったアルバート・プホルスだ。
記事の見出しは「2014年、アルバート・プホルスが批判封じに乗り出す」。簡単にまとめれば、エンゼルス移籍後、カージナルス時代のような数字を残せていないと矢面に立たされているプホルスが、今年はその声を封じるために燃えている、という内容だ。
復活劇の序章をつづる、よくありがちなストーリーかと思いきや、これがひと味違う。これまであまり感情を表に出さず、批判にも称賛にも耳を貸さず、黙々と野球をプレーし続ける印象の強かったプホルスが、とある記者から受けた質問に明らかに憤慨しているのだ。プホルスの地雷を踏んだ質問はこうだ。
「マイク・トラウトと同じくらいの成績を残したいと思いますか?」
この質問を受けたプホルスは、驚きのあまり、開いた口がふさがらなかったという。「自分がこんな質問を受けるとは思わなかった」というプホルスは、記事内でこう続けている。
「危うく記者に聞きそうになったよ。本気で質問してるのかって。俺の成績をチェックしてみてくれ。最近2年、マイク・トラウトが打ち立てた成績は、とても特別なものだ。でも、俺の数字を見てくれ。俺は13年間もそれなりの成績を残し続けているんだ」
もちろん、デビュー以降のトラウトの活躍ぶりはプホルスも認めるところだ。「いつでも学ぶ姿勢を忘れないし、謙虚さを失うこともない素晴らしい若者だ」と称えている。一方、「俺をやる気にさせるためにトラウトを引き合いに出す奴がいるなら、お門違いだ。俺のやり方を見せてやらなきゃいけないな」と、ベテランのプライドを前面に押し出す。
『俺は英語にバットで答えるんだ』
ここで、プホルスの成績を見てみよう。2001年のデビュー以来、13年間で通算492本塁打、1498打点、打率3割2分1厘を記録。いずれも現役選手では1、2位を争う数字だ。カージナルスでプレーした2001〜11年には、MVPを3度受賞。打率3割、30二塁打、30本塁打、100打点を10年連続で記録した、メジャー史上唯一の人物でもある。
確かに、エンゼルスに移籍した2012年はスロースタートを切ったが、154試合に出場し、30本塁打、105打点、50二塁打で、打率は2割8分5厘。普通の打者なら十分過ぎる成績だ。だが、プホルスのようなスーパースターの場合は、これでも「足りない」と思われてしまう。それまでの11年間で自らハードルを高く設定してしまったがための弊害だ。
怪我のため出場が99試合に止まった昨季の成績は、本人も申し開きはできないだろう。だが、それでも13シーズンのうち、たった1度くらいは本調子でないシーズンもやってくる。それすらも許されないのは、スーパースターの悲しい運命としか言いようがない。
まさかの質問に憤慨したプホルスだが、なんやかやと口やかましく反論するのは、彼のやり方ではない。ひと昔前、エンゼルスがプレーオフ出場常連チームだった時、主砲として活躍した同郷の英雄・ブラディミール・ゲレーロの言葉を引き合いに、次のように締めくくっている。
「今、いろいろと反論するつもりはない。でも、かつてゲレーロが残したこんなエピソードを覚えている。英語が話せないと批判されたゲレーロは、こう言ったんだ。『俺は英語にバットで答えるんだ』ってね。俺も批判する人にバットで答えることにするよ。今年は大きな年になる。ま、見ていてくれよ」
普段は目立つことを嫌って、大口は決して叩かない男が、ここまで言っている。プホルスのやる気は、最高潮まで達しているようだ。
佐藤直子●文 text by Naoko Sato
群馬県出身。横浜国立大学教育学部卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーとなり渡米。以来、メジャーリーグを中心に取材活動を続ける。2006年から日刊スポーツ通信員。その他、趣味がこうじてプロレス関連の翻訳にも携わる。翻訳書に「リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン」、「ストーンコールド・トゥルース」(ともにエンターブレイン)などがある。