人たらしの神様・竹下 登流「気配り、目配り、カネ配り」
■笑顔の陰にしたたかな計算
竹下登先生はよくとっちゃん坊やとか、人柄がいいとか言われますが、ただニコニコしてたわけではありません。なかなかしたたかな人で、だからこそ総理大臣にまでなれたのでしょう。「汗は自分でかきましょう。手柄は人に渡しましょう」とよく話し、それを実践した政治家でした。しかし、そこには政治家としての計算があり、「俺は将来、内閣総理大臣になる」という先を見据えた戦略によるもので、ある意味では竹下流の“男の美学”もあったのでしょう。
当時ニューリーダーと言われていた竹下、安倍晋太郎、宮沢喜一、中川一郎の各先生の中で竹下先生は、最年少で官房長官になるほど出世が早いこともあって、「あいつはずるい」「やりすぎだ」といった批判を受けないよう気をつかっていたと思います。竹下先生は政治の妬み、僻み、やっかみが渦巻く世界で生き抜くためには、手柄を人に渡すことで、少しでもこのリスクを下げようとしたのでしょう。そのためには日頃から一生懸命汗を流し、人のために頑張っている姿を見せることで、いずれは必ず自分に返ってくるはずだと考えていたのでしょう。自分の手柄を人のために回すだけの腹が据わっていれば、政治家の中で存在感が増し、子分も増え、政治基盤の強化にもつながっていきます。私は竹下先生のこの生き様から、権力を取るためには並々ならぬ奥深さや忍耐を持って臨まなければならないという厳しさを学びました。
いうまでもなく政治家・鈴木宗男の生みの親は中川先生であり、育ての親は金丸信先生です。その金丸先生と竹下先生は同じ孫を持つという深い関係で結ばれていました。竹下総理の誕生は、金丸先生の大らかさと竹下先生の繊細かつ緻密という組み合わせによるシナジー効果が大きく影響していると思います。中川先生と金丸先生に共通しているのは、人間関係を大事にする情の政治です。中川先生には「人間関係が細いか、太いかで政治家の将来が決まるぞ」とよく言われたものです。
竹下先生からは「汗は自分でかきましょう、手柄は人に渡しましょう」を実践する姿から、人生設計の計算の必要性を教えられました。そこには、「自分から苦労を背負い、さらに努力しなさい」との自らへの戒めも込められています。努力をすれば必ず人は認めてくれるはずだが、いくら頑張っても報われないことがあるのも事実です。が、そのときには、「手柄は人に渡しましょう」と思っていれば人を恨む気持ちもおさまるものです。
この点は竹下先生が野党からも慕われていたことでもわかります。彼は自民党の国会対策委員長を長いこと務めましたが、国対は国会でトラブルが起き、与野党がぶつかったときには折衝を重ね、最終的に国対委員長会談で事態の打開をはかるところです。いわば赤十字みたいなもので、難航が伴い、人並み以上の苦労が伴い、表に出て評価されることも少ない。それを承知の竹下先生は党のために国対で汗をかいた若手を登用し、ポストの処遇をしていました。さらに野党の国対にも気配り、目配り、金配りに至るまで、トータル・ケアをしっかり行っていました。
竹下先生は周到に気を配り、貸しをつくり、敵をつくらない戦略と、根回しによって着実に政治家として上に登っていった、いわば人間関係の達人と言っていいでしょう。
(新党大地党首 鈴木宗男 構成=吉田茂人 撮影=原 貴彦)