もう買ったマンガの改訂版が出るのは読者への裏切りなのか『アラタカンガタリ〜革神語〜』の真実
『アラタカンガタリ〜革神語〜』のリマスター版が発売された。
コミックスは累計200万部を突破し、最新21巻は書店にならんだばかりだ。今年の4月から7月にはアニメも放映。連載は6年目に突入した。
にもかかわらず、今までのバージョンと並行して、加筆修正したものをリマスター版として新たに1巻から刊行するというのだ。コミックスを買っていた読者からは当然ながら批判の声が上がった(私もカチンときた!)。
『アラタカンガタリ〜革神語〜』(以下『アラカン』)は、突然異世界にとばされた高校生の革(アラタ)が主人公。伝説の劍神(ハヤガミ)のつかい手として選ばれ、様々な劍神をつかう者たちと戦うアクションファンタジーだ。1989年のデビューから少女漫画誌で活躍してきた渡瀬悠宇による少年誌初連載作品として話題にもなった。
納得いかない思いを抱きつつリマスター版を読んだ。何だコレ。特に2巻。
もっとも驚いたのはこれまで表現されていなかった「大王の位を目指して戦う理由」が明確に示されたことだ。
物語全体にかかわる設定の大胆な変更。まさかここまで変えるとは思っていなかった。
他にも追加修正は予想以上に多い。
「ナグナル編」ではカンナギとカナテが革を待っているだけだったシーンが、ナルの遺骨を見つけるシーンに変更された。カンナギはうつむき「よし…ちゃんと埋めてやるぞ」と口にする。たった5コマだが、死者を思う姿に愛する人を全員失ったカンナギの哀しみと孤独を見る。同時に自分の身近な人間以外にも寄り添えるようになった彼の変化を実感するのだ。
2巻の改訂は全体の約7割。上記のような修正から汗を描き加えただけのコマなど様々(でもそれだけでキャラの心情が変わる!)。『ふしぎ遊戯』や『妖しのセレス』でみせた、敵もひとりの人間として描く細やかな設定と表現は渡瀬漫画の真骨頂だ。1コマ1コマ細部まで見直された内容はリマスター版にかける思いの強さを感じさせる。
しかし、なぜ今リマスター版なのだろうか?
◆ 「自信も喪失、プライドもめちゃくちゃ」
リマスター版1巻発売以降、渡瀬は自身のブログ「日月の聲」で連載初期の苦悩を綴っている。
《自分の意思とは違う指示、モチベーションが下がる一方、楽しくなくて描いてて辛い》
《否定に継ぐ否定で終いには「え、どれ?どこが変?・・・繋がらんがな!」脳は絶大なる疲弊困ぱい》
《疲れ切った中で、それでも振り絞って描いても描いても手応えも感じず喜びもない》
さらに、「ズレが大きくなる」「萎縮した」「直しが怖い」などの言葉が並ぶ。
渡瀬は《漫画を好きなことの天才》と編集者にいわれたことがあるという。掲載予定のない漫画のネーム(映画でいう絵コンテのようなもの)をセルフリテイクも含めて1,000枚描いたことがあるそうだ(後の『櫻狩り』)。しかもその時、連載を2本抱えていた。そんな人間が「描くことが辛い」とまで思った精神状態。
一部の巻だけでいいので増刷時に直したいと望む渡瀬に、出版社側が最終的に提案したのがリマスター版。その申し出に、「どうせやるなら一部といわず1から全部やる」と渡瀬は意気込んだ。
◆ 「より面白くなっている方を皆様にお届けしたい!」
出しても売れないかもしれない。読者の反感も買うだろう。週刊連載だってある。そして長年患っているうつ病と慢性的な過労。不安をあげればきりがない。
普通ならやらないと言いながらもやるのは、面白い方を読者に届けたいがため。決して自己満足のためだけではなかった。
現在体調不良により一時休業中だが、12月発売予定のリマスター版3巻用描きおろし(なんと1話丸ごと!)のネタを考えているという。
作者自身が「私の作品」と口にする本当の『アラタカンガタリ〜革神語』。
これから読む方にはリマスター版をオススメする。私と同じように怒りを感じたコミックス読者は、ぜひ並べて読んでみて欲しい。同じ作品でありながら、明らかに違うものを受け取るはずだ。
渡瀬悠宇
『アラタカンガタリ〜革神語〜』リマスター版1巻
『アラタカンガタリ〜革神語〜』リマスター版2巻
(松澤夏織)
コミックスは累計200万部を突破し、最新21巻は書店にならんだばかりだ。今年の4月から7月にはアニメも放映。連載は6年目に突入した。
にもかかわらず、今までのバージョンと並行して、加筆修正したものをリマスター版として新たに1巻から刊行するというのだ。コミックスを買っていた読者からは当然ながら批判の声が上がった(私もカチンときた!)。
納得いかない思いを抱きつつリマスター版を読んだ。何だコレ。特に2巻。
もっとも驚いたのはこれまで表現されていなかった「大王の位を目指して戦う理由」が明確に示されたことだ。
物語全体にかかわる設定の大胆な変更。まさかここまで変えるとは思っていなかった。
他にも追加修正は予想以上に多い。
「ナグナル編」ではカンナギとカナテが革を待っているだけだったシーンが、ナルの遺骨を見つけるシーンに変更された。カンナギはうつむき「よし…ちゃんと埋めてやるぞ」と口にする。たった5コマだが、死者を思う姿に愛する人を全員失ったカンナギの哀しみと孤独を見る。同時に自分の身近な人間以外にも寄り添えるようになった彼の変化を実感するのだ。
2巻の改訂は全体の約7割。上記のような修正から汗を描き加えただけのコマなど様々(でもそれだけでキャラの心情が変わる!)。『ふしぎ遊戯』や『妖しのセレス』でみせた、敵もひとりの人間として描く細やかな設定と表現は渡瀬漫画の真骨頂だ。1コマ1コマ細部まで見直された内容はリマスター版にかける思いの強さを感じさせる。
しかし、なぜ今リマスター版なのだろうか?
◆ 「自信も喪失、プライドもめちゃくちゃ」
リマスター版1巻発売以降、渡瀬は自身のブログ「日月の聲」で連載初期の苦悩を綴っている。
《自分の意思とは違う指示、モチベーションが下がる一方、楽しくなくて描いてて辛い》
《否定に継ぐ否定で終いには「え、どれ?どこが変?・・・繋がらんがな!」脳は絶大なる疲弊困ぱい》
《疲れ切った中で、それでも振り絞って描いても描いても手応えも感じず喜びもない》
さらに、「ズレが大きくなる」「萎縮した」「直しが怖い」などの言葉が並ぶ。
渡瀬は《漫画を好きなことの天才》と編集者にいわれたことがあるという。掲載予定のない漫画のネーム(映画でいう絵コンテのようなもの)をセルフリテイクも含めて1,000枚描いたことがあるそうだ(後の『櫻狩り』)。しかもその時、連載を2本抱えていた。そんな人間が「描くことが辛い」とまで思った精神状態。
一部の巻だけでいいので増刷時に直したいと望む渡瀬に、出版社側が最終的に提案したのがリマスター版。その申し出に、「どうせやるなら一部といわず1から全部やる」と渡瀬は意気込んだ。
◆ 「より面白くなっている方を皆様にお届けしたい!」
出しても売れないかもしれない。読者の反感も買うだろう。週刊連載だってある。そして長年患っているうつ病と慢性的な過労。不安をあげればきりがない。
普通ならやらないと言いながらもやるのは、面白い方を読者に届けたいがため。決して自己満足のためだけではなかった。
現在体調不良により一時休業中だが、12月発売予定のリマスター版3巻用描きおろし(なんと1話丸ごと!)のネタを考えているという。
作者自身が「私の作品」と口にする本当の『アラタカンガタリ〜革神語』。
これから読む方にはリマスター版をオススメする。私と同じように怒りを感じたコミックス読者は、ぜひ並べて読んでみて欲しい。同じ作品でありながら、明らかに違うものを受け取るはずだ。
渡瀬悠宇
『アラタカンガタリ〜革神語〜』リマスター版1巻
『アラタカンガタリ〜革神語〜』リマスター版2巻
(松澤夏織)