『おはなしして子ちゃん』藤野可織/講談社

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2013年夏の芥川賞受賞作家・藤野可織の、受賞後一冊目の単行本『おはなしして子ちゃん』(講談社)が出ました。
短篇集です。10篇を収録しています。
冒頭の表題作「おはなしして子ちゃん」とは、作中に登場する猿のホルマリン漬け標本に、登場人物である小学生・小川さんがつけた名前です。

「おはなしして子ちゃん」は、語り手の〈私〉が小学校時代の思い出を語るという形で始まります。当時同じ学級でいじめられていた小川さんは、理科準備室の猿のホルマリン漬けを本気で怖がっていることを〈私たち〉に見抜かれてしまいました。〈私たち〉は新たないじめのプログラムとして、小川さんをだれもいない理科準備室に閉じこめ、放置してしまいます。
真夜中になってやっと発見され、一週間学校を休んだのち、小川さんは学校にやってきて、〈私たち〉に言うのでした。
〈子猿は瓶から出られないんだもん。出たいって泣いてた。でも出られないの、まだ。〔…〕殺されてもひとりぼっちだって。さみしくてさみしくてたまらないって。だからなにかお話をして、なんでもいいからお話をしてってあの子、私にせがんだの〉。
放課後、こんどは〈私〉が小川さんに理科準備室に閉じこめられてしまいます。〈私〉は〈おはなしして子ちゃん〉と対面します──。

読み進めると、さきほど引用した〈出られないの、まだ〉の、まったく気に留めなかった〈まだ〉が伏線だったんだなーとわかります。民話的な構造を持った学校怪談で、《Nemuki+》で伊藤潤二に漫画化してほしいし、フジテレビ『世にも奇妙な物語』でドラマ化してほしい。

この表題作と、吉田修一の某作品を思わせるテイストの「逃げろ!」は、この短篇集のなかではまだ「まとも」な部類の小説です。あとはもっとブッ飛んでて、というか壊れてすらいて、ブッ飛びかたの流儀も多彩なの!
たとえば、転校生トランジの周囲でなぜか悲惨な事故や事件が起こってしまい、しかも彼女自身が一瞬でその真相を見抜いてしまう「ピエタとトランジ」は、西澤保彦並に狂った世界設定なのに、ピエタとトランジというJKふたり組がガーリッシュで、米国産青春TVドラマみたいな演出。「ピエタとトランジ」同様に作中のできごとが果てしなくクレシェンド(増大)していくアクセル踏みっぱなし小説「ホームパーティーはこれから」の「やりすぎ感」は、村上龍の『超伝導ナイトクラブ』の後半を思い出しました。
賑やかな作品が多いなか、「美人は気合い」は例外的に静謐な、どっちかというと河出文庫のアンソロジーシリーズ『NOVA』に入ってそうなSF(静かで不埒)な短篇。

SFといえばメタ怪談SF「ある遅読症患者の手記」はある意味鈴木光司の『リング』続篇『らせん』へのトリビュート作品かもしれない。造本上の仕掛けもあるので、いくら見た目がかわいい本だからと言って、パラパラめくったりしないほうがよろしくてよ。
そうでした。造本の美しさにも触れておきましょう。水沢そらによるカヴァー絵が印象的。カヴァーをめくって本体表紙・裏表紙も見てくださいね。また名久井直子による装幀は、見返しのパタン(王冠と植物の反復模様)や扉の紙質が絶妙なのです。
絶妙といえば、撮る写真全部がトラウマものの恐ろしい心霊(?)写真になってしまう主婦! って絶妙な設定だよなー。その半生をレポートする「今日の心霊」は、以前私がエキレビ!の藤野可織全著作レヴューで触れたこの作家の笑いのセンスが炸裂していて、電車で声出して笑ってしまったじゃないですか。困りものですな。

笑えるという意味では、この短篇集全体の味わいは「エイプリル・フール」「ハイパーリアリズム点描画派の挑戦」のおバカなテイストに決定されているかも。前者はおバカではあっても、どこかボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』につうじる切なさがあり、後者はポストモダン法螺話というか、小説にも漫画的ギャグが可能なんだなーと思い知らされます。
多様なブッ飛びかたをしているなかで、もっとも飛距離がすごかったのは「アイデンティティ」でしょうか。いきなり

「猿です」
「鮭です」
「いいえ、人魚です」

という謎の台詞で始まり、しばらくすると語り手が〈ここは、人魚工場だ〉って断言してしまう。
この短篇集にはミュージアム(美術館・博物館)が出てくる作品がひとつならずあります。芥川賞候補になった「いけにえ」(『パトロネ』所収、集英社)ともども、藤野可織作品はミュージアムを舞台にしたときの説得力というかリアリティが素晴らしい。

国内外の実在の美術館を舞台にした連作短篇集なんて読んでみたいので、《美術手帖》か《芸術新潮》あたりで連載してほしい。というか藤野可織さんはトークも素晴らしいので、NHK『日曜美術館』あたりにも出てほしいなあ。
(千野帽子)