高知追手前、「伝統」と「対応」でつかんだ秋季四国大会初出場 

2番手で5回1失点の高知追手前・筒井裕也(2年)

 県大会は例年30校前後の出場数にもかかわらず過去には明徳義塾、高知、土佐、高知商、伊野商、中村、室戸が甲子園ベスト8以上を記録。センバツでの県別勝率1位もキープ。現在も日本高校野球のトップクラスを走る高知県だが、その全国大会初出場は意外にも第二次世界大戦後の1946(昭和21)年夏までなかった。

 そして1946年夏に栄えある高知県勢初出場を果たしたのは四国大会初戦で松山商との延長12回激闘を制した勢いで、高松中(現:高松)にも7対0で快勝した旧制:城東中であった。後に慶大→サッポロビールで活躍。2度の慶大監督就任時にも数々の栄冠を獲得した前田祐吉氏をエースに全国大会(当時の開催は阪急西宮球場)1勝をマークした城東中は、この活躍が認められ戦後第1回開催となった翌年センバツの出場権も獲得したのである。

 初の甲子園。前田氏をエースに選手10人の城東中は躍動する。兵庫・神戸一中(現:神戸)との初戦を2対1で競り勝つと、和歌山・田辺中(現:田辺)にも延長11回4対3でサヨナラ勝ち。続く準々決勝も山口・下関商を8対5で破り準決勝へ進出してみせたのだ。

  福岡・小倉中(現:小倉)との準決勝は、前田氏と後に神宮でも慶應・早稲田間で宿命のライバルとなる福嶋一雄氏(早大→八幡製鉄・2013年野球殿堂入り)との壮絶な投手戦に。これに0対1と惜敗した城東中は惜しくも初出場初優勝を逃したが、高知県高校野球今は彼らの奮闘なくしては語れない。

 それから67年あまり。学校は城東中から高知県立高知高校(1948年4月1日〜1949年8月31日)・追手前高(1949年9月1日〜)と名前を変え、自他共に認める県内NO1の公立進学校となっても、野球部は伝統を引き継いでいる。

県立高知高校時代には2度の夏・南四国大会進出。1991(平成3)年夏には決勝戦で初の夏高知大会采配となった馬淵史郎監督率いる明徳義塾に0対2の大健闘。1994年4月に6年間、安芸で経験を積んだOBの谷村孝二監督(2012年・日本高野連育成功労賞受賞)が就任した後も、1999年・2004年・2009年と3度に渡り夏ベスト4へと進出している。

 記憶に新しいところでは明徳義塾がセンバツ出場中に開催された2011年春の県大会。準決勝では室戸に2対1と競り勝ち決勝戦に進出すると高知相手にも4点を先制。最後は延長10回・4対5でサヨナラ負けとなり、初の四国大会出場はならなかったが、サッカー部・ハンドボール部・ソフトボール部とグラウンドを分け合う中で編み出した変幻自在のバント戦術は、明徳義塾・高知の2強に堂々とあがなう矜持を感じるものだった。

 

高知追手前の主将1番・野川竣平遊撃手(2年)

  かくして迎えた今大会。主将の野川 竣平遊撃手(2年・右投右打・182センチ68キロ・安芸中出身)や、丁寧に低目を付く右腕・福井 陽志(2年・右投右打・172センチ72キロ・城西中出身)、シュート回転のボールをうまく使う筒井 裕也(2年・右投右打・168センチ60キロ・香長中出身)と永野 玄樹(2年・右投右打・168センチ75キロ・大津中出身)のバッテリーなど旧チームからの主力が多いチームは新たなキーワードを備えて臨んでいた。

 「対応」がそれである。 対応への準備は夏前から取り組んだスイング量増加から始まっている。野川の弁を聞こう。「全体練習では毎日300スイングですが、各自100から200スイングは振っていますね。僕も200スイングはやりました。ストレートにも振りぬけるようになりました」 これで加圧トレーニング、高知東戦前にも行っていた体幹を意識したスイングを活かす素地は整った。

 これに「1巡目の状況を見て指示をするようにしている」谷村監督の打席位置取り指導が絶妙の配合を見せる。甲子園ベスト8右腕・岸 潤一郎(2年)に対し「前から後ろに立ち位置を変えて」8回に4安打を集中させ、2得点を奪う結果につなげた明徳義塾との準決勝に続き、この高知東戦でも「アウトコースを攻めていくことを心がけた」新谷 洸太朗捕手(1年)のリードを見て途中から「ベース寄りに立って打つ」ことを指示。

 2対3で迎えた7回表二死無走者から5番・永野の二遊間安打、6番・小野川 聖人中堅手(2年・右投左打・164センチ61キロ・城北中出身)の右越適時三塁打、7番・大原 拓光(1年・右投右打・175センチ73キロ・佐川中出身)の三遊間適時打で逆転。8回表も得意のスクイズを絡め3安打で3点を追加して突き放せたのも、「伝統」と「対応」が融合したものに他ならない。

 今大会2回戦ではエース・片岡 昴太郎(2年・右投右打・180センチ65キロ・大津中出身)の延長11回力投でシード校・高知商を3対2で下しベスト4へ。準決勝でも2回裏に二死一・三塁から8番・6回裏に片岡の適時打で勝ち越すなど「ここまで進出しないとできない経験をできた」(橋田行弘監督)高知東。ただ、指揮官がいみじくも口にした「あそこで出せるということが練習での取り組みの差だと思います」というコメントは、そのまま追手前のストロングポイントをも言い表している。

 試合後、学校創立135周年・自身も母校就任20年目にして春秋通じはじめて四国への扉を開いた追手前・谷村監督は四国大会への抱負を問われこう答えた。 「投手のレベルアップと守備力を上げていくこと。四国でも1つ・2つ勝てるように、目の前のプレーをしっかりやっていきたいですね」

 その先にあるものは偉大なるOBたちが刻んだ夢舞台である。

(文=寺下 友徳)