岡村靖幸、鈴木圭介、山口隆……ミュージシャンたちの剥き身の「14歳」
「中2病」という言葉があるが、気軽に使ってほしくない。「童貞」とか「こじらせる」とか「中2」とか。その内にあるドロドロを、勝手にデオドラントしている。
あの時代が、どれ程の底なし沼だったと思ってる。どれだけ、俺らがこじらせてきたか分かってるのか? ……あっ、俺も使ってるわ。
いや、それほどポップに流通してしまっている「中2」なるワード。いつからか、あの一年は重要イヤーと認知されているみたい。
でも、癪に障る。全然、違う。イッチョカミで世の中が「ガチ」という言葉を多用し、その度にピクッとする心境に似ている。頭でっかちだろうけど、そこは実はデリケートな部分なんです。
あの頃、自分たちにどんな迷いがあったか。どんな万能感を持っていたか。どれほどの破壊衝動を携えていたか。
それを紹介するのは、この『14歳』(著者・佐々木美夏)なる一冊。多くの有名ミュージシャンに幼少期から現在までの足あとを振り返ってもらい、特に「14歳」の頃の自分はどうだったか語ってもらうインタビュー集であります。
この時期の鬱屈とした感情を語ってもらうのに、これ以上打ってつけな存在はいないでしょう。岡村靖幸は、14歳の頃の自身について以下のように語ってくれました。
――今も青春時代のリビドーが詞曲のメインモチーフになっていることが多いじゃないですか。
岡村 はい。
――それは当時のモテたいとかそういう。
岡村 そういうのは多いと思いますね。
――悶々としたものがベースにある。
岡村 と思いますね。本当にそうだと思います。
――中2男子の情けなさをいまだに引きずってる。
岡村 プライドの持ちようがなかったですからね。俺はここがすごいんだとか、ここは人に負けないんだっていうのが何もない。かと思えば親も憎憎しかったころなんで、そのパラドックスに苦しんでましたね。(俺を)ナメるな、とは思っていたけど、(他人が)俺をナメない素材がひとつもなかった。そういう感じでしたね。
鬱屈とした感情が晴れないからこそ、表現活動に向かうのは自然だったのかもしれない。
――そのころ、作詞作曲は?
岡村 少しずつやってました。
――最初に書いた曲は覚えてます?
岡村 なんとなく覚えてますね。それこそ稚拙でしたけど。(中略)今もどこかにあると思いますね。最近は聴かないけど、昔は聴いてましたね。
そんな自分に、岡村はどう折り合いをつけていたのか?
「僕はこれに自信があるんだとか、僕はこれなら人に負けないんだ、みたいなものがない。僕だけじゃなく中2のころはみんなそうなのかもしれないですけど、プライドがまだぐちゃぐちゃしている状態。だからそのころはむさぼるように音楽を聴いてましたし、救いを求めるようにお笑いを見てましたし、助けてほしいと思って本や漫画を読んでましたし。ものすごくいろんなもんを吸収したんじゃないですかね。偶然ですけども。それを血や肉にして素晴らしい人間になってやれとか、ものすごい作曲家になってやれとかそんなものではないですけど、でも結果的にそれが自分の血や肉になっている」(岡村)
話は変わって。学校生活、否応なしに意識するのは“スクールカースト”じゃないですか? 「そんなの、どうでもいいじゃん!」と今なら笑い飛ばせるだろうけども、当時はそこまで強くなかった。
その辺、フラワーカンパニーズの鈴木圭介がディープに回顧してくれてます。きっと皆さん、何度も膝を打つはず。ちなみに当時の鈴木氏は、おかっぱ頭で眼鏡でドチビだったらしい。典型的な負け組であった。
「(勝ち組)チームには、運動もできなければ、人間的に全然面白くない人もいるわけ。テレビでとんねるずとかが言ってるギャグをそのまま言っても面白いって本気で思ってる。当時ネアカ、ネクラって言葉が流行ってて、そんな器のやつらまでもが、そっちにいるっていうだけで俺たちのことをネクラって言ってたのね。俺は決してやつらをネアカと思ってないの。なのに、ネアカ=正しい、モテる、ネクラ=地味」
「本当に面白いことを言う人もいるわけ、ネアカチームにも。そういう人には一目置いてたけど、そうじゃない、そういう人たちに群がってる大多数のしょうもないやつ、おまえら絶対この先ダメだぞ、っていう。おまえいつか復讐してやるからな、ってずっと思ってたの俺」
「だから笑いに関してはそいつらよりは力がある、だって俺(藤山)寛美見てるんだもん、おまえらに寛美がわかるか、この野郎、と思ってた。だからおまえみたいに今テレビで流行ってるギャグをいかに自分のギャグみたいにして言って、そんな浅はかなことで笑いをとってるけど集団にいるからいいんであって、ひとりになったらおまえはすごくつまんねぇやつだぞって、いつか言ってやろうと思ってた(笑)。そういうこと思ってる段階でネクラなんだけど(笑)」(鈴木)
共感する部分は大いにあるが、ここまでは、実は一側面しか語ってない。だって「14歳」こそ、人生で最も楽しい時期であるべきだから。このころの成功体験が、後の人生に大きな影響を及ぼした人も少なくないと思う。
「俺は14歳は超楽しかったですよ。超絶楽しかった。14歳最強ですよ」
そう語るのは、サンボマスターの山口隆である。
しかし、彼にも後悔はあるらしい。『YOU』を観て、落語を聞き、小沢昭一の番組を愛好し、ビートたけしの番組は全てチェック。そんな山口少年に好意を寄せ、告白までして来てくれた女の子のことを、あろうことか彼は振ってしまった。
山口 僕はなんつーんかなぁ、そういうのは自分の妨げになるのではないかと思って。今考えるとほんとバカなんじゃないかと思いますけど(笑)。その子は結構人気がある子だったんですよ。
――もったいない!
山口 もったいないですよねぇ。なんかわかんないですけど、『男はつらいよ』とかの映画を地で行くんだ、俺たちは、みたいな。この(男子だけでバカなことを言い合う)世界と俺は手を切ってしまうんじゃないか、みたいなものがあったのは覚えてますね。
――でもそんな理由で人気がある女子を振っちゃうなんて。
山口 振るっていうか、なんつーか……かわいかったなぁ(しみじみ)。なんでしょうね、あのストイックな。
――掟があったわけではないんでしょう? 女とつき合ったらもうこのグループにはいられない、みたいな。
山口 全然ないです。グループも何もないですから(笑)。集まってひたすらバカなことを言ってるのが楽しいっていうだけで。掟もなければなんにもない。ただバカなことを言いたい。でもなんかそのスピードが落ちる気がしたんですよね。思い出したら自分に腹が立ってきますよ。頭の中では、女の子への興味なんてえらいことになってるんですよ?
――中2男子はそうでしょうね。
山口 いやいや、そんな、女性が“そうでしょうね”なんて、そんなもんじゃないです。「私も山口さんのいわゆる童貞パワー的な……」とか言ってくださる女性もいるんですけど、そりゃあなたね、ドア2枚くらい隔てるからそう思うだけであって、ドア2枚開けて本当のそれを見たら、もう皆さん閉めたくなりますよ、っていうくらいのものが渦巻いているんですから。
このまま、話題は“性の目覚め”へ突入。そして、それはそのまま“男の子の目覚め”にも通じていく。
「(エロ本を)買いに行ったらレジが友達のお母さんだったことがあって(笑)。あれは痛かった。痛かったけど、マインド的には、これで明日ちょっと突き抜けられるかな、って。友達にその話をしたら俺は英雄になれるじゃないですか。みんな笑ってくれるし。そんなことばっか考えてましたよ。これでまたひとつ男の階段を上がれるんだ、みたいな」
「女の子にしてみれば、何を考えてるんだ、と。それがわからないんですよ。それを女の子がいいと思わないことがわからない。だから間違ってるわけですよ、僕は。なんで、ダムドを聴かねぇのかがわからない。イギー・ポップをなんで聴かねぇんだ」(山口)
このエピソードから、ある場面を思い出しました。それは、映画『タクシードライバー』における1シーン。デ・ニーロ演じるトラヴィスが意中の女性をデートに誘い、いきなりポルノ映画館に連れて行ってしまう、あの有名なくだり。言うまでもなく、その女性は腹を立てて帰ってしまいます。
でもトラヴィスは、なぜ女性が怒るかがわからない。「俺が好きなものは、俺が好きな人だって好きになるはずだ」と信じて疑わないから。
あの場面にシンパシーを覚えなきゃ、嘘だ。わかっちゃいるけど、いまだあのマインドで我々は生きている。隠して、何とかやってるけども。
そうか。14歳は、剥き身の時代。変容しないトラヴィスは素敵だな。そういうものに、私はなりたい。
今生きている人生を俯瞰して見ると、行き着く先は「14歳」だった。
(寺西ジャジューカ)
あの時代が、どれ程の底なし沼だったと思ってる。どれだけ、俺らがこじらせてきたか分かってるのか? ……あっ、俺も使ってるわ。
いや、それほどポップに流通してしまっている「中2」なるワード。いつからか、あの一年は重要イヤーと認知されているみたい。
でも、癪に障る。全然、違う。イッチョカミで世の中が「ガチ」という言葉を多用し、その度にピクッとする心境に似ている。頭でっかちだろうけど、そこは実はデリケートな部分なんです。
それを紹介するのは、この『14歳』(著者・佐々木美夏)なる一冊。多くの有名ミュージシャンに幼少期から現在までの足あとを振り返ってもらい、特に「14歳」の頃の自分はどうだったか語ってもらうインタビュー集であります。
この時期の鬱屈とした感情を語ってもらうのに、これ以上打ってつけな存在はいないでしょう。岡村靖幸は、14歳の頃の自身について以下のように語ってくれました。
――今も青春時代のリビドーが詞曲のメインモチーフになっていることが多いじゃないですか。
岡村 はい。
――それは当時のモテたいとかそういう。
岡村 そういうのは多いと思いますね。
――悶々としたものがベースにある。
岡村 と思いますね。本当にそうだと思います。
――中2男子の情けなさをいまだに引きずってる。
岡村 プライドの持ちようがなかったですからね。俺はここがすごいんだとか、ここは人に負けないんだっていうのが何もない。かと思えば親も憎憎しかったころなんで、そのパラドックスに苦しんでましたね。(俺を)ナメるな、とは思っていたけど、(他人が)俺をナメない素材がひとつもなかった。そういう感じでしたね。
鬱屈とした感情が晴れないからこそ、表現活動に向かうのは自然だったのかもしれない。
――そのころ、作詞作曲は?
岡村 少しずつやってました。
――最初に書いた曲は覚えてます?
岡村 なんとなく覚えてますね。それこそ稚拙でしたけど。(中略)今もどこかにあると思いますね。最近は聴かないけど、昔は聴いてましたね。
そんな自分に、岡村はどう折り合いをつけていたのか?
「僕はこれに自信があるんだとか、僕はこれなら人に負けないんだ、みたいなものがない。僕だけじゃなく中2のころはみんなそうなのかもしれないですけど、プライドがまだぐちゃぐちゃしている状態。だからそのころはむさぼるように音楽を聴いてましたし、救いを求めるようにお笑いを見てましたし、助けてほしいと思って本や漫画を読んでましたし。ものすごくいろんなもんを吸収したんじゃないですかね。偶然ですけども。それを血や肉にして素晴らしい人間になってやれとか、ものすごい作曲家になってやれとかそんなものではないですけど、でも結果的にそれが自分の血や肉になっている」(岡村)
話は変わって。学校生活、否応なしに意識するのは“スクールカースト”じゃないですか? 「そんなの、どうでもいいじゃん!」と今なら笑い飛ばせるだろうけども、当時はそこまで強くなかった。
その辺、フラワーカンパニーズの鈴木圭介がディープに回顧してくれてます。きっと皆さん、何度も膝を打つはず。ちなみに当時の鈴木氏は、おかっぱ頭で眼鏡でドチビだったらしい。典型的な負け組であった。
「(勝ち組)チームには、運動もできなければ、人間的に全然面白くない人もいるわけ。テレビでとんねるずとかが言ってるギャグをそのまま言っても面白いって本気で思ってる。当時ネアカ、ネクラって言葉が流行ってて、そんな器のやつらまでもが、そっちにいるっていうだけで俺たちのことをネクラって言ってたのね。俺は決してやつらをネアカと思ってないの。なのに、ネアカ=正しい、モテる、ネクラ=地味」
「本当に面白いことを言う人もいるわけ、ネアカチームにも。そういう人には一目置いてたけど、そうじゃない、そういう人たちに群がってる大多数のしょうもないやつ、おまえら絶対この先ダメだぞ、っていう。おまえいつか復讐してやるからな、ってずっと思ってたの俺」
「だから笑いに関してはそいつらよりは力がある、だって俺(藤山)寛美見てるんだもん、おまえらに寛美がわかるか、この野郎、と思ってた。だからおまえみたいに今テレビで流行ってるギャグをいかに自分のギャグみたいにして言って、そんな浅はかなことで笑いをとってるけど集団にいるからいいんであって、ひとりになったらおまえはすごくつまんねぇやつだぞって、いつか言ってやろうと思ってた(笑)。そういうこと思ってる段階でネクラなんだけど(笑)」(鈴木)
共感する部分は大いにあるが、ここまでは、実は一側面しか語ってない。だって「14歳」こそ、人生で最も楽しい時期であるべきだから。このころの成功体験が、後の人生に大きな影響を及ぼした人も少なくないと思う。
「俺は14歳は超楽しかったですよ。超絶楽しかった。14歳最強ですよ」
そう語るのは、サンボマスターの山口隆である。
しかし、彼にも後悔はあるらしい。『YOU』を観て、落語を聞き、小沢昭一の番組を愛好し、ビートたけしの番組は全てチェック。そんな山口少年に好意を寄せ、告白までして来てくれた女の子のことを、あろうことか彼は振ってしまった。
山口 僕はなんつーんかなぁ、そういうのは自分の妨げになるのではないかと思って。今考えるとほんとバカなんじゃないかと思いますけど(笑)。その子は結構人気がある子だったんですよ。
――もったいない!
山口 もったいないですよねぇ。なんかわかんないですけど、『男はつらいよ』とかの映画を地で行くんだ、俺たちは、みたいな。この(男子だけでバカなことを言い合う)世界と俺は手を切ってしまうんじゃないか、みたいなものがあったのは覚えてますね。
――でもそんな理由で人気がある女子を振っちゃうなんて。
山口 振るっていうか、なんつーか……かわいかったなぁ(しみじみ)。なんでしょうね、あのストイックな。
――掟があったわけではないんでしょう? 女とつき合ったらもうこのグループにはいられない、みたいな。
山口 全然ないです。グループも何もないですから(笑)。集まってひたすらバカなことを言ってるのが楽しいっていうだけで。掟もなければなんにもない。ただバカなことを言いたい。でもなんかそのスピードが落ちる気がしたんですよね。思い出したら自分に腹が立ってきますよ。頭の中では、女の子への興味なんてえらいことになってるんですよ?
――中2男子はそうでしょうね。
山口 いやいや、そんな、女性が“そうでしょうね”なんて、そんなもんじゃないです。「私も山口さんのいわゆる童貞パワー的な……」とか言ってくださる女性もいるんですけど、そりゃあなたね、ドア2枚くらい隔てるからそう思うだけであって、ドア2枚開けて本当のそれを見たら、もう皆さん閉めたくなりますよ、っていうくらいのものが渦巻いているんですから。
このまま、話題は“性の目覚め”へ突入。そして、それはそのまま“男の子の目覚め”にも通じていく。
「(エロ本を)買いに行ったらレジが友達のお母さんだったことがあって(笑)。あれは痛かった。痛かったけど、マインド的には、これで明日ちょっと突き抜けられるかな、って。友達にその話をしたら俺は英雄になれるじゃないですか。みんな笑ってくれるし。そんなことばっか考えてましたよ。これでまたひとつ男の階段を上がれるんだ、みたいな」
「女の子にしてみれば、何を考えてるんだ、と。それがわからないんですよ。それを女の子がいいと思わないことがわからない。だから間違ってるわけですよ、僕は。なんで、ダムドを聴かねぇのかがわからない。イギー・ポップをなんで聴かねぇんだ」(山口)
このエピソードから、ある場面を思い出しました。それは、映画『タクシードライバー』における1シーン。デ・ニーロ演じるトラヴィスが意中の女性をデートに誘い、いきなりポルノ映画館に連れて行ってしまう、あの有名なくだり。言うまでもなく、その女性は腹を立てて帰ってしまいます。
でもトラヴィスは、なぜ女性が怒るかがわからない。「俺が好きなものは、俺が好きな人だって好きになるはずだ」と信じて疑わないから。
あの場面にシンパシーを覚えなきゃ、嘘だ。わかっちゃいるけど、いまだあのマインドで我々は生きている。隠して、何とかやってるけども。
そうか。14歳は、剥き身の時代。変容しないトラヴィスは素敵だな。そういうものに、私はなりたい。
今生きている人生を俯瞰して見ると、行き着く先は「14歳」だった。
(寺西ジャジューカ)