山田隆道の幸せになれる結婚 (16) なぜ? 妻の記憶に残らなかった”プロポーズ”の言葉

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いつだったか、妻にこんなことを訊かれたことがある。

「ねえねえ、あなたって、わたしにプロポーズしたっけ?」なんでも、妻は僕と結婚するきっかけになったプロポーズの言葉をあまり覚えていないという。

互いの両親に結婚報告をしたときのことは脳裏に刻まれているものの、僕らが結婚を決意した行程はすっかり抜け落ちているとか。

彼女の中では、なんとなく僕と結婚するという流れになって、いつのまにか具現化したということになっているようだ。

正直、僕としては心外だった。

なぜなら、僕の中にはきちんと彼女にプロポーズしたという記憶が残っているからだ。

彼女はあれを忘れたというのか。

話は今から3年以上前に遡る。

具体的な月日ははっきり覚えていないが、僕らが結婚式を挙げた年よりも、1年以上前であることは確かだ。

その日、僕と妻は互いの休みということで、昼間から外出を楽しんでいた。

久しぶりのデートだったからか、僕は朝から妙に上機嫌でテンションが高く、終始口数が多かったような記憶がある。

昼は街をぶらつきながら、夜は食事とお酒を楽しみながら、僕はどこまでも滑らかに舌を動かし続け、帰りの夜道ではすっかりほろ酔い気分になっていた。

そのとき、である。

一瞬、二人の会話が途切れ、奇妙な沈黙が数秒間続いた。

それを気まずいとも感じなかった僕は、ほどなくして無意識にこう発したのだ。

「いつか結婚したいと思ってるよ」いま振り返ってみても、本当に自然な感覚で、思わず滑り出たような言葉だった。

それより以前に、結婚について何か具体的な考えがあったわけでも、強い決意があったわけでもない。

なんとなく一日のデートの終わりに、ふと湧いた気持ちだったのである。

しかし、それを言った後、すぐ我に返ったことを覚えている。

いま自分はすごいことを言ったぞ、という感覚が急激に湧いてきた。

これってプロポーズじゃないか。

果たして、たちまち動揺した。

途端に彼女の顔をまともに見られなくなり、さっきまで活発に開いたり閉じたりを繰り返していた口も、一転してまったく動かなくなった。

一方、彼女は至って平然としていた。

僕の突然のプロポーズにも一切の間をあけることなく、まるで相槌を打つかのように飄々とした声を出した。

「うん、そうだね」普通そういう言葉を聞くと、心臓が一気に高鳴りそうなものだが、あのときの僕はどういうわけか非常に冷静だった。

彼女と付き合いだして以降、二人の間に「結婚」という言葉が出るのは初めてだったが、まるで前々からそういう話をしていたかのように穏やかな心境になった。

動揺したのは最初だけで、あとはすっかり落ち着いていたのだ。

その後、僕はなんとなく呟いた。

「いつ結婚しようかなあ」「そうね、いつがいいかなあ」と彼女。

「まあ、仕事の状況次第だけど、来年ぐらいにできればいいよね」「来年かあ……」そこで彼女はかすかに笑みを零(こぼ)し、この会話はこれで終わった。

初めて結婚について具体的な話をしたというのに、それ以降はお互い何事もなかったかのように元の雰囲気に戻り、結婚話が再び登場しないまま何日も過ぎていった。

僕の中では、これがプロポーズだったと認識しているのだ。

確かにドラマや映画のような「一世一代の劇的なプロポーズ」というわけではなく、ありふれた日常の中の普段と変わらない会話という感じだったのかもしれないが、男が結婚の意思を打ち明け、女がそれを快諾するという大義は同じである。

実際そのやりとりがあったからこそ、僕は具体的に結婚の準備を始め、それから数か月後には両親に報告したのである。

そして、こういうプロポーズこそ、ある意味では理想的なのではないか、という思いもある。

たとえば、テレビのバラエティ番組などでは「一世一代のプロポーズ、果たして成功するのか!?」などといった企画をしばしば目にするが、よく考えてみれば、結婚するほど順調に付き合っている男女の間には、そもそも「劇的なプロポーズ」なんてものが生まれにくいような気がする。

ある一定の年齢を超えた男女の付き合いが順調であるということは、すなわち特に大きな障害や問題もなく愛を育んでいるということであり、それがやがて結婚につながるのは、言わば自然の流れだろう。

要するに大人の男女の場合は、その付き合いが順調であればあるほど「劇的なプロポーズ」よりも「自然な結婚話」を生む可能性が高いということだ。

人生の転機にロマンティックなイベント感覚を求めたいのは女性の心理なのかもしれないが、それはあくまでオマケであって、本来のプロポーズとは日常会話の中にこそ生まれてしかるべきなのだ。

とはいえ、それが妻の記憶に残らないほどの自然さだったとは、さすがに想定外だ。

なんとなく、妻に悪いことをしたなあ、と思う今日このごろである。