時間を効率化して使うことは問題ではない。むしろ奨励されるべきだ。しかし、そこには常に「即席文化」を生む力がはたらく。そしてもっとも恐るべきは、時間に人間が使われるようになることだ。

悪神のささやき───

  「人間というのは実に勤勉な動物であることよ。
  太陽の巡りで1年に1回しか収穫できない作物を
  ハウスをこしらえて2回の収穫にしてみたり、
  工場の中に水を流し、電灯を点けて10回にしてみたり。

  24時間365日は動かないけれども、回転数を上げることでそれを何倍にも使う。
  人間たちはそうして現在を圧縮することに成功したわけだな。

  いや、それにしても、
  パーソナルコンピュータの処理速度をどんどん上げていった先には、
  自分たちが“ラクでヒマができる”生活があるはずじゃなかったのかい?
  これまで1日かけてやっていた作業が半日になり、2時間になり、1時間になった。
  そりゃめでたいことだが、はて、そこで浮いた時間は何処へ行った……?

  さ、そこに置いてあるワインとチーズを食わせてもらうことにしようか。
  ほほぉ、「10倍効率もの」か。
  10年熟成のワインを1年でこしらえ、
  10か月熟成のチーズを1カ月でこしらえたものなんだな。
  いや人間の知恵は素晴らしい。
  さぞ美味(うま)いにちがいない……」


* * * * * *

 私たちはスピードを上げること、回転数を上げることで、有限の時間に対し、生産性向上・効率というものを手に入れた。だからこそ、戦後の日本は、人口増加にも対応できる消費財の量を供給することができ、また、低価格を実現させて、国内外に売り、国富を獲得してきた。

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