「ゲームとしての仕事」が幅をきかせるビジネス社会にあって、「道としての仕事」に邁進できる人は幸福である。そこには自分を十全にひらきたいという祈りが必然的に起こってくる。

◆正倉院宝物がもつ時空を超える力
 奈良出張に合わせ、第63回『正倉院展』(奈良国立博物館:2011年10月29日〜11月14日)を観てきた。私は小学校の時から、奈良県へは遠足やら社会見学やらで何度も行ったが、大人になってからの奈良はほとんど初めてといっていい。大人になってから観る寺院や仏像、そしてこうした宝物(ほうぶつ)工芸品は何とも新鮮で、驚きの再発見が絶えない。
 展示物を観て感嘆するのは、その生々しさである。1200余年を超えても、その物自体が発する息が聞こえてきそうな感じだ。色、紋様、形状、構造、素材の質感、細部に至る技……それらは現代のデザインと比較しても、まったく古臭くないどころか、啓蒙的ですらある。
 天平文化がもつ大陸文化への憧憬と初々しさの残る国風文化との融合具合がえも言われぬ表現となって造形され、一品一品、いま、21世紀に生きる私たちの目の前にある。古人は何とも素晴らしい贈り物をしてくれたものだと感謝をする。

 さて、これらの宝物は、なぜ、いまだ私たちを魅了する力をもっているのだろう───?
 確かに、1200余年という時間が横たわっていることはある。そして、ものづくりの卓越さもある。制作のための化学知識や技術は7世紀にしてすでに驚くべき水準をもっていた。
 しかし、それ以上に私が感じたことは、作り手の「祈り」である。一点一点の物からは、単に技巧的に美しく見せるという以上に、人の真剣さや敬虔さ、畏怖の気持ちからしか醸し出てこないような美のオーラがあるのだ。

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