なぜ布陣は流行するのだろうか。なぜ4―2―3―1や4―3―3は、瞬く間に世界に広がったのか。前述の解説者が言うように、布陣に適した選手が、急に揃ったからだろうか。 
 
守備的サッカーが衰退し、攻撃的サッカーが台頭した時代背景を無視するわけにはいかない。欧州は98年から2002年にかけて、守備的サッカーと攻撃的サッカーが拮抗する関係で混在していた。両者は、かつての東西の冷戦構造ではないけれど、睨み合う関係にあった。5バック然とした3バックは、いまより圧倒的に多かった。3―4―1―2はすなわち守備的サッカーを代表する布陣として存在したのである。 
 
監督も、守備的か攻撃的かに分かれていた。監督就任記者会見では、自分の色を鮮明に表明するのがお約束になっていた。攻撃サッカーの色を鮮明に打ち出す監督が就任すれば、布陣も当然、攻撃的なものが採用された。3―4―1―2が採用されることはまずなかった。
 
つまり、布陣という名の「数字」ありきではない。まず問われたのは色。主義主張、理念文化。戦略、戦術がその次にあって、最後に布陣が決まる。布陣は主義や主張、理念や文化をアピールするための道具と言える。
 
布陣に適した選手が存在するか否かの判断基準は、この場合、絶対的なものではなかった。最優先されたのは色。3―4―3も言ってみれば色だ。超攻撃的な色そのものだ。3―4―3にはそうした意味での力がある。アドバルーンを大々的に打ち上げたも同然のインパクトがある。3―4―3を宣言すれば途端、人々の心は高揚する。攻撃的精神に拍車が掛かる。バルサの場合で言えば、攻撃的な色はより鮮明になる。その元祖としての存在感、カリスマ性は増す。

抱えている選手の特性が適しているか否かは二の次だ。例えば、マスチェラーノに3バックの真ん中を任せることは、後から考えたことだ。悪く言えば苦肉の策。だがそうしたリスクを冒しても、グアルディオラはしたかったのだ、3―4―3を。

日本のサッカーは気がつけば4―2―3―1に変わっていた。誰から何の説明もないままに3―4―1―2は終焉を迎えた。3―4―1―2全盛の時代に、4―2―3―1のメリットを原稿にすれば「まず布陣ありきの発想だ」と、揶揄されたものだ。それに適した人材が、日本には不足している。机上の空論だと反論されたものだ。ではなぜ、ほどなくすると4―2―3―1が日本で最もメジャーな布陣になったのか。

時の代表監督、岡田武史氏が判で押したように、4―2―3―1を用いたからだ。その岡田サンにしても、その少し前まで、3―4―1―2で当たり前のように戦っていた。代表監督に就任しても、突如、3―4―1―2を用いることがあった(W杯3次予選対バーレーン戦)。欧州のサッカー史に準えれば、大転換に値する変更を、一夜のうちに行った。具体的な説明がないままに。「数字」の背景に潜むものを語ることなく、布陣を変更した。「数字」ありきとはこのことを指す。布陣に適した選手がいるかいないかという議論も盛り上がらなかった。日本の常識に照らしても、辻褄の合わないことが起きてしまった。監督に不可欠なカリスマ性は、これでは生まれない。
 
こうしたことが平気で起きないためにも、テレビ解説者には本場の常識を積極的に伝えて欲しいものだ。日本の常識を物差しで、海外サッカーを見つめないで欲しい。
 
求められているのは、「嘘でしょ、それ」と、良くも悪くも視聴者に違和感を抱かせるような、現地感だ。かつての「ダイヤモンドサッカー」が、名番組と言われた所以は、現地の常識を解説の中でどんどん紹介した岡野俊一郎さんの解説にあった。氏はいくつもの違和感を視聴者に提供した。視聴者を良い感じで混乱に陥れてくれたことだ。好奇心を喚起された人は、僕だけではないはずだ。

海外サッカーは、違和感を抱けば抱くほど、カルチャーギャップを覚えるほど面白いものに見える。奥の深いものに見える。夢や浪漫は増す。画面でメッシのスーパープレイを見るよりも、なのである。

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