仕事とは「IN→THRU→OUT」の価値創造である/村山 昇
仕事とは端的に、「何かをINPUT〈入力〉し、THRUPUT〈処理・加工〉し、何かをOUTPUT〈出力〉する価値創造である」と言える。そこからきょうは「仕事・よい仕事」とは何かについて考える。
◆「いただきます」は“生命”をいただくこと
東京もいよいよ本格的に冬が来たとあって明け方は霜が降りるまで冷え込むようになった。朝から冷たい雨が降って、鈍曇りの日中、気温は1ケタ台。そんな日の散歩途中、近くの畑で栽培されている野菜に目が留まった。野菜の種類には詳しくないので名前は分からないが、凛としたその青菜は、凍える中でも生命力を漲らせ鉛色の空に葉を広げていた。
生長の具合からすると間もなく土から引き抜かれ、出荷されるのだろう。そして私たちはこれらの野菜を店頭で買い、食する。そのとき私たちは、単にその野菜の成分・栄養価を食しているのではなく、その野菜の“生命(いのち)”を食している。言いかえれば、他の生命と引き換えに、自分の生命を継続させている。このことは、生きている間じゅう、ずっと心に留めておきたい事実だ。
私たちは、食前食後に「いただきます」「ごちそうさま」と言うことを教わった。感謝の心を表すために。もちろんその感謝は、食材となる動物や植物を育ててくれた生産者への感謝がある。そして運んでくれた人・加工してくれた人・売ってくれた人への感謝がある。また、料理してくれたお母さんか誰かへの感謝がある。あるいは、食べ物を買うお金を稼いでくれたお父さんか誰かへの感謝もあろう。しかし、最も忘れてならないのは、生命をくれた動物や植物に対しての感謝である。
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◆「いただきます」は“生命”をいただくこと
東京もいよいよ本格的に冬が来たとあって明け方は霜が降りるまで冷え込むようになった。朝から冷たい雨が降って、鈍曇りの日中、気温は1ケタ台。そんな日の散歩途中、近くの畑で栽培されている野菜に目が留まった。野菜の種類には詳しくないので名前は分からないが、凛としたその青菜は、凍える中でも生命力を漲らせ鉛色の空に葉を広げていた。
生長の具合からすると間もなく土から引き抜かれ、出荷されるのだろう。そして私たちはこれらの野菜を店頭で買い、食する。そのとき私たちは、単にその野菜の成分・栄養価を食しているのではなく、その野菜の“生命(いのち)”を食している。言いかえれば、他の生命と引き換えに、自分の生命を継続させている。このことは、生きている間じゅう、ずっと心に留めておきたい事実だ。
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