警察庁の元暴力団対策部長が回顧する「警察vs.暴力団」の実像
かつて20万人もの構成員を擁した暴力団。
覚せい剤の輸入や賭博、みかじめ料の徴収で莫大な収益を上げ、1980年代の年間収入は推計8兆円に達したと言われる。だが平成に入って以降、暴対法の制定や警察の行き過ぎた捜査、メディアによる批判的な報道が原因となり、暴力団は衰退の一途をたどってきた。
では、暴力団が社会から消えていくことは、我々一般国民にとって「良いこと」だけなのだろうか?しばし「必要悪」として語られてきた“やくざ”の実態を、『やくざは本当に「必要悪」だったのか』より一部抜粋・再編集してお届けする。
警察庁暴力団対策部長・林則清の回顧
話は変わるが、警察庁に林則清という暴力団対策部長がいた。非常に優秀で、暴力団事情に通じた警察官僚であり、筆者も一度だけ彼と飲食をともにしたことがある。会った際、林部長は『組織暴力の一断面 或る捜査官の軌跡』(立花書房)という著作を筆者に贈呈してくれた。
書かれている内容は今から30年ほど前までのことだが、いかに警察がやくざ、暴力団を追い詰めていったかを如実に教えてくれる本である。以下煩雑になるが、その本から数ヵ所を引用させていただく。
一方、〔昭和30年代〕法制面においても、凶器準備集合罪、証人威迫罪の新設、刑事訴訟法中の権利保釈制限規定の強化(昭和33年)、東京都をはじめ全国多数の地方自治体におけるいわゆる愚連隊防止条例の制定(同37〜40年)、暴力行為等の処罰法の改正(同39年)等取締り関係法規の強化、充実が図られた。
こうした諸施策は、それぞれの時期における国民の間の暴力排除気運の高まり、報道機関による相次ぐ暴力追放のキャンペーン、なかでも国会における暴力排除決議(同35年)等が大きな力となっていた。
暴力団に対する警察の勝負
警察は、このような国民の強い支持を背景に、昭和30年代末以降、首領、幹部級をねらう第1次頂上作戦を推進し、関東会、柳川組等多数の連合組織及び単位団体を解散、壊滅に追い込むなどの成果を収めた。
こうした流れの中、山口組の3代目組長・田岡一雄だけは山口組の解散を頑強に拒み続けたことが広く知られている。
昭和52年は、各種知能暴力事犯の検挙を重点の一つとして資金源犯罪の取締りを推進し、多数の潜在事犯を発掘、検挙した。特に、最近暴力団の総会屋等への進出が著しく、企業から直接、間接に多額の金が暴力団に流れ、その新たな有力資金源となっている。このような実情にかんがみ、総会屋等の徹底検挙と併せて、企業自身の手による総会屋等の締め出しを促進するよう積極的な働きかけを行った結果、総会屋等の検挙は、昭和50年に100人であったのが、同51年310人、同52年419人と急増し、また、企業自身の自主防衛組織が各地で拡充、新設され、総会屋等に対する賛助金の打ち切り、削減が相次ぐなどの成果を収めた。
こうした記述に目を通すと、警察が暴力団に対してがっぷり4つで勝負を挑んでいたことが分かる。しかも、警察は総会屋排除やみかじめ料拒否などに典型的に見られるように企業や商店主など、民間側の協力を半ば義務づけ、暴力団への利益供与を断つ作戦を導入し始めていた。暴力団はこの間、依然きょとんとして真剣に対応しようとはしなかった。戦略に欠けることおびただしく、ほとんどがその日暮らしを続けていたのだ。
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