皇室で最高齢の101歳だった三笠宮妃百合子さま(時事通信フォト)

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 三笠宮妃百合子さまが11月15日午前6時32分、入院先の聖路加国際病院で亡くなられた。皇室で最高齢の101歳だった。2016年に100歳で上皇の叔父にあたる夫の三笠宮さまが亡くなって以降は、百合子さまが当主として宮家を支えた。皇族としての仕事に対して、日々力を注がれていたという。

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「母子愛育会の総裁を務め、退任されるまで約60年間にわたり母子保健の向上に尽力されていました。

 崇仁親王がご存命だった頃は、常にお二人で国内外の公務に出席されていました。そのほか、崇仁親王が古代オリエント史を研究されていたことは有名ですが、研究資料のまとめ、ノート整理、清書なども百合子さまが手伝われていたのです。妻としての内助の功がある方。最後まで皇室のために尽力された方でした」(宮内庁担当記者)

 務めを果たされるだけでなく、5人の子供を育てられる母としても尽力されていた。

「5人のお子さまの誕生から20歳まで『暁乃柊』と呼ばれる育児日誌を毎日欠かさずお書きになっていらっしゃいました。その日記を見ると、百合子さまの戦前、戦中、戦後の生活までをうかがい知ることができます。5人の子育てが重なっているにもかかわらず、日誌を書くことできちんと世に残そうという意思をお持ちでした」(同前)

 晩年の百合子さまについて宮内庁担当記者はこう話す。

「100歳になっても毎日、漢字の書き取りで脳トレをされていた努力家でいらっしゃいました。今回の入院直前まで、その習慣を続けられていたと聞きます。100歳を過ぎても判断力は極めてクリアでした。宮邸の事務については、すべて百合子さまが判断をされていた。ご自身でしっかりしなければという強い思いをお持ちだったようです」

 母親、妻、そして皇族として見事に生涯を全うされた百合子さま。その軌跡は、女性皇族たちの見本として脈々と受け継がれていくだろう。