「熱愛後にモー娘。を脱退しドサ回り」「焼肉屋は食中毒で閉店」…それでもママタレ女王・藤本美貴が「ハロプロ最強の勝ち組」になれた理由

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ミキティこと藤本美貴が「歌手」としての実力を久々に示した。

10月18日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)でのこと。「スナック金スマ」という店の設定で着物姿の「ティママ」に扮し、番組の最後に『時の流れに身をまかせ』(テレサ・テン)を歌った。

ここ数年、バラエティー番組での本音トークや、自身の動画チャンネルでの前向きな人生相談が人気だが、彼女の原点は歌手。ネット上では「さすが元モーニング娘。!」という声も飛び交った。

しかし、彼女はただグループの一メンバーだっただけではない。「最後のソロアイドル」とも呼ばれる“あやや”こと松浦亜弥のライバルになるはずだった人物だ。

デビュー後は紅白のトップバッターも

2001年にソロデビューした松浦が旋風を巻き起こすなか、藤本は同じく「ハロー!プロジェクト」から2002年にソロデビュー。『会えない長い日曜日』『そっと口づけて ギュッと抱きしめて』『ロマンティック 浮かれモード』『ボーイフレンド』と、この年、4作のシングルを発表し、それなりの結果を残した。大みそかには『NHK紅白歌合戦』にも出場して、前年の松浦に続き、全体のトップバッターを務めている。

翌年2月には、5作目のシングル『ブギートレイン'03』を発表して、初のコンサートツアーを開催。ただ、この年の半ばからモーニング娘。に加入してその活動がメインになった。

個人的に、この路線変更というか配置転換にはさびしさを感じたものだ。これにより、ソロアイドルブームへの期待感が一気にしぼんでしまったからである。

ゼロ年代に萌芽した「ソロアイドル」の新時代

1970年代から80年代にかけて、アイドルの基本だったソロスタイル。90年代にも1997年デビューの広末涼子がその伝統をつないだが、同年に結成されたモー娘。が大ブレイクしたことで、グループアイドルの時代が開幕する。

そんななか、ゼロ年代の初めに松浦が登場して、ソロアイドルのルネサンス的な機運も高まることになった。広末が女優寄りだったのに対し、松浦は歌手活動がメインであり、そのアイドル性と歌唱力は「松田聖子の再来」とまで評価された。これを機に、ソロアイドルのブームがまた始まるのではという空気が生まれたのだ。

しかし、ブームはひとりでは作れない。2000年以降だと、AKB48が売れたあと、公式ライバルとして乃木坂46が続いたことで、グループアイドルの長いブームが実現した。

80年代の場合、松田聖子以外にも、同年にデビューした岩崎良美や河合奈保子、翌年デビューの薬師丸ひろ子、翌々年デビューの中森明菜といったライバルの出現が大きかった。特に明菜は、歌謡界の女王の座をめぐって聖子としのぎを削り合い、それがシーンをいっそう活性化させたわけだ。

一方、ゼロ年代においては、松浦がデビューした翌年に、藤本とSAYAKA(のち、神田沙也加)がデビューした。「聖子の再来」もいれば「聖子の娘」もいて、さらに声質が明菜にちょっと通じる感もある藤本もいて、ということで、かなりワクワクさせられたものだ。

ソロではなく「グループスタイル」の潮流へ

ところが、SAYAKAは年1作のシングルリリースにとどまるなど、歌手活動を本格化させないまま女優業や声優業へと移行。アニメ映画『アナと雪の女王』の挿入歌でブレイクするのは、デビューから12年後のことだ。

そして、前述のように、藤本もモー娘。での活動がメインになった。ハロプロ及び、プロデューサーのつんく♂としては、停滞期に入っていたグループのテコ入れという理由以外に、もはやソロの時代ではないという感覚もあったのではないか。

実際、男性アイドルの世界ではグループスタイルが完全に主流になっていた。シーンを牽引するジャニーズ事務所(当時)も、80年代初めに田原俊彦と近藤真彦を成功させて以降は、グループスタイルへと舵を切る。2000年前後にデビュー前ながら絶大な人気を誇った滝沢秀明については、さすがにソロで行かせるのではとの見方もあったが、結果的に「タッキー&翼」としてデビューさせた。

これはグループのほうがさまざまなファンを取り込めるとか、ファンもメンバーたちが仲良く頑張っているのを見るのが好きといった、ソロにはないメリットが以前より大きくなってきたからだろう。

と同時に、アイドル自身もソロよりグループでの活動を志向するようになった印象がある。AKB系や坂道系といった大人数グループのメンバーや卒業生が、昔のソロアイドルの映像などを見て「私はひとりでは無理」「他に仲間がいるから頑張れる」などと言っているのを、テレビなどでちょくちょく耳にするからだ。つまり、ファンの好みもアイドル本人の意識も、ソロでなくグループ寄りに変わったといえる。

熱愛スキャンダル後の「ドサ回り」が転機

では、藤本はどちらに向いていたのか。おそらく、2年目にモー娘。入りとなったのは、松浦ほどはソロで弾けないと見なされたからだろう。ただ、グループ活動が合っていたかどうかはよくわからない。モー娘。加入の4年後、彼女は5代目リーダーに就任したが、その直後に庄司智春(品川庄司)との熱愛が発覚。わずか25日間で、グループからも脱退することとなった。

それこそ、代表作のタイトルのように、ロマンティック浮かれモードだったのだろう。しかし、この失敗が『金スマ』で歌った『時の流れに身をまかせ』との出会いにつながる。本人いわく、

「庄司とフライデーされたあと『ひとりになって、何やるんだ』って半年間くらい言われ続け、地方をいろいろ回るんですよ(苦笑)。この曲と『置き手紙』っていう歌謡曲を歌いに」

『置き手紙』は、モー娘。脱退翌年に発表されたソロとしての最後のシングル。これと『時の流れに身をまかせ』を歌いながら、禊としての意味もある「ドサ回り」をやったわけだ。

この期間が転機になったことは想像に難くない。というのも、彼女は最近、人生相談についてこんなことを言っている。

「ずっと同じ場所で足踏みしていたり、今いる一本の道の上しか見ていない人が多いなと感じています。顔をあげて視線をちょっと動かすだけでも視界は広がるのに……。(略)心の底から『前に進んでおけば大丈夫』って思うんです。反省もしなくていい。同じことが二度起きることは少ないですから。前だけ向いていれば、すぐ明日は来ます。悩んでいるより前に進みましょう」(フィガロジャポン)

こうした人生観は、モー娘。脱退の一件以降、いろいろあっても幸せな方向に進んでこられたという実感によって育まれたのではないか。

「悩んでいるより前に」不屈の精神で苦難を乗り越え

2009年に庄司と結婚してからも、彼女はスキャンダルに見舞われている。2011年にはイメージキャラクターというかたちで外食事業(焼肉美貴亭)に乗り出し、順調に展開しているかと思いきや、翌年に食中毒で全店閉店という事態に追い込まれた。

また、これはスキャンダルではないが、2020年には夫の庄司がコロナに感染し、かなり重症に陥ったりもしている。そのつど「悩んでいるより前に」の精神で乗り越えてきたことが、この人生観に自信を持つに至ったのだろう。そのおかげでトークや人生相談にも説得力が生まれ、現在の人気につながったわけだ。

そういえば『金スマ』で歌以上に感心させられたことがある。「最後はこの曲で締めたいと思います」と言ったあと、彼女はおもむろに立ち上がり「私が」とつなげて笑いをとってから『時の流れに身をまかせ』を歌い始めた。この動きと間が絶妙で、芸人顔負けだったのだ。このスキルは庄司から学んだというより、長年のバラエティー経験で身につけたものだと思われる。

「あややのライバル」を期待されただけあって、もともと華はあるし、そこにこうしたスキルも加わっている。いまやハロプロ随一の勝ち組となっているのも当然なのだ。個人的には、ソロアイドルとしての彼女が未完に終わったことが今も残念ではあるが――。

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