「やっている感を出しているだけ」…いま能登で広がる、馳浩石川県知事への絶望「もう期待していない」

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最大震度7を観測した能登半島地震のあと、なおも多くの人が避難生活を続けている当地を記録的な豪雨が襲ったのは、9月21日から22日にかけてのことだった。

10月10日までに14人の死亡が確認され、浸水した建物の復旧作業はいまも継続している。遅々として進まない復興に、たび重なる災害…。現地を取材で訪れてみると、能登半島の人々の馳浩知事に対する不満の声と失望が止まらなかった。

前編記事『「馳は何もやっていない!」前田日明も猛批判…馳浩石川県知事に被災地の住民が激怒「もう、次はない」』に続けて詳報する。

公式に被災地を訪問した回数は……

「馳は何やってるの、馳は! 何やってるか、動向が全然わからない!」

そう痛烈に批判するのは馳知事のプロレスラー時代の先輩、前田日明氏だ。被災地の声を代弁するかのように、10月1日に公開した自身のYouTube動画内で馳知事を痛烈に批判した。

憤るのは前田氏ばかりではない。馳知事に対する失望感は、被災地を中心に広がり続けている。

「危機感の乏しさ、被災した人々に寄り添う発言ができないのも、実際に多くの人と会っていないからだと思います」(石川県の県政関係者)

石川県が公開している知事公務日程によると、馳知事が「能登半島地震に係る現地視察」もしくは「能登半島地震に係る被災地視察」という名目で公式に被災地を訪れた回数は、9月の豪雨災害発生前までの約8ヵ月で18回。市町村別にみると輪島市が一番多くて10回。次に珠洲市、七尾市、穴水町がそれぞれ6回だった。

しかし、震災2ヵ月が過ぎたころから、その回数が減った。

5月の被災地視察はゼロ

復興関連行事や地域の催し、市町村長らとの意見交換などを抜かした公式の被災地視察は、3月、4月は2回ずつ。うち、それぞれ1回は天皇皇后両陛下に随従したもの。

5月はゼロ。6月は1日と能登半島で震度5強を観測した翌日の4日の2回。7月は4日に輪島市を訪れた1回。8月は連休に白山登山をキャンセルして奥能登各地を視察して回っていたが、それ以外はない。

9月に関しては豪雨災害前の19日、岸田文雄首相(当時)に同行して輪島市などを訪れた1回だけだった。

一方で、同じ期間、自宅のある東京都には泊まり含めを含めて10回以上訪れている。

「3月以降、多い月で1泊2日含め3回、ほぼ毎月1回は訪れている。プライベートではなく、支援の要請や関係者のお礼など公務での上京としていましたが、輪島市の視察回数とさほど変わりません」(防災ジャーナリスト)

多様性が重視される昨今、プライベートとのバランスに関する考え方はさまざまだ。しかし、自宅を別の自治体に構える知事に、どこまで将来を見据えた県政ができるのか。

そもそも元日に能登半島地震が起きて以降、馳知事が被災地を訪れたのは1月14日になってから。しかもこの時は、岸田首相(当時)の被災地視察に同行する形だった。

あまりの遅さに、被災地域の与党議員から批判が相次いだのも当然だろう。

被災者や地元議員からは、発災以降『もっと早く被災地に来れなかったのか』との批判や不満の声が多く上がっていた。ただ、知事は発災時には東京の自宅で正月休み中。甚大な被害がもたらされたのに、長い時間、県を離れていることも問題だったが、被災地入りしたのはさらに2週間経ってから。当時、そのことを指摘されると『検証していきたい』と言っていたが、発生半年たっても肝心の検証は行われていない」(前出の防災ジャーナリスト)

「翌日にはヘリで視察した」と反論

6月27日、定例会見で地元メディアからこの問題について問われると、馳知事は「元日に東京の自宅に滞在していたということは事実であります。評価のしようがありません」と弁解した。

しかし、そのあとには「現地入りしたのは2週間目ではありません。翌日、現地入りしております。地上で入ったのが2週間後だが、発災翌日にはヘリコプターで視察していた」と苦しい言い逃れを続けたのだ。

「インフラが寸断していると人命救助が最優先というふうに申し上げております。(中略)一時間たりともこの拠点である県庁を離れることができなかったという私自身の判断については、私は正しいと思っています(中略)私は、人命最優先、1人でも命を救うために、関係機関に連携を求め、庁内に指示を出し、対応していたということでありますし、私は1月中は知事室に24時間ずっと詰めておりました。夜中でも、各大臣と連携をとったり、決裁を求められて、こういう方針でいこうというふうに申し上げておりました」(馳知事の会見より)

この発言では、検証の有無について説明していない。発災直後は混乱したとしても、2週間待たずして被災地を訪れる方法はあったはずだ。

「結局、そうした姿勢が初動の判断を遅らせる結果になったとの指摘もあります。あの規模の被害が出ていれば、最初の時点で自衛隊の投入含め、もっと多くの救援や支援の要請があってもおかしくはなかったと思うんです。知事は直接、現場を見てない。だから、その判断ができなかったのではないでしょうか」

そう話す石川県議の佐藤正幸氏は、「馳知事はやってる感をだしているのでは」と批判する。

知事はできない理由を探す

「私たちが支援や県の対応で不十分なことや、足りていないことに対する要望を出したり質問すると、知事はまず、できない理由を出します。その上で、『こういうふうにやってます』と主張するんです。

確かにやってはいるんでしょうが、足りないから指摘しているんです。知事は震災半年を振り返っていた時もそうでした。『(被災地の支援について)必要と思われる策をできるだけ早く手を打つことができた』と話していたんですね。僕はその言葉に対して、非常に強い違和感を覚えました」(佐藤県議)

震災半年といえば、2000人以上が避難所で生活をしており、倒壊した建物の多くが残されたままのころ。仮設住宅の完成も遅れており、被災者からは「何も変わっていない」という不満の声もあがっていた。

「『できる限りのことをやった。でも、不十分さが残っているから、国も支援を強化してほしい』という内容の振り返りだったらまだわかります。でも、知事は『必要と思われる策をできるだけ早く手を打てた』というのは、ちょっと違うんじゃないのか、と感じたんです」(同)

つまり「しているフリがうまい」ということだ。

もともと富山県出身で、金沢市立千坂小学校3年から星稜高校卒業までを石川県で過ごし、「校内模試で一位だった」(「少年はせ浩物語」)馳知事は専修大学に進学。同大学を卒業後、母校の高校教員やプロレスラーを経て、1995年の参議院選挙に初当選。以来、25年以上国会議員を務めていた。

そんな馳知事が能登に思いを馳せ、傷ついた地元を励ましたいという「郷土愛」はないのか。

「馳知事は参院選で初当選後、鞍替えした衆院選は石川1区選出。つまり金沢から出た代議士でした。なので、能登のことはあまりよくわかっていないのではないか。小学生から高校生までを過ごした金沢は地盤でもあり、思い入れがあるかもしれないけど、能登はそれほどでもないのでしょう」(石川県在住の県政関係者)

むしろ目線の先は石川県というよりは、自宅を構える中央、東京を向いているようにも見える。

いまひとつ能登への愛着が感じづらい馳知事には、県政与党の議員たちからも不満が沸き上がっている。

もう知事には期待していない

「知事の働きに期待できるか、と聞かられたら、なかなか厳しいものがある。災害対応にしても、知事に対して『よくやっている』というのは、地盤である金沢やその周辺の人たちだけ。能登の人たちは知事のことをあまりよく思ってないし、言っていない。

ただ、与党議員の場合、腹の中ではいろいろ思っていても、公然と知事にたてつくことはできないんです」(前出の県政関係者)

そうした風通しの悪さが、馳知事の被災者への無関心、復興の遅れにつながっているのではないか。

「『私たちは見捨てられているね』と話す能登の人は少なくないです。実は輪島市では、市長も住民も知事とはあまり仲が良くない。だから、市政関係者が知事に提言してもなかなかその声が届きづらい、という事情があると聞いています。そうした人間関係も、復興や支援の遅れの一因となっているのかもしれません」

輪島市に住む木村武さん(仮名)は、「知事も輪島市長も震災当時からあてになんてしていませんよ。もう諦めています」とため息をつく。馳知事に現状の不満や将来の心配を訴えようにも、その気力すら起きないからだ。

もう、気力もありませんよ

「元日の震災のあと、金沢へ避難していた人も『やっぱり住みなれた地元の輪島がいい』と帰ってきた。しかし、この大規模水害を機に輪島を捨て、拠点を金沢に移す人が増えました。私も輪島を離れて金沢にいこうと思っています。

水没は震災とは違います。床に溜まった泥やらを出すだけじゃすまないんですよ。壁も床も、泥水がしみ込んだところはすべて剥がさないといけない。震災でやられて、水害でやられて…この先、どうなるかなんて考えている余裕はないです」(木村さん、以下「」も)

そして「今回の水害でトドメを刺された」と肩を落とす。

「職を失った人もたくさんいます。私も震災後にどうにか(営んでいた飲食店の)調理器具やら全部入れ替えることができた矢先に、今度は水没です。廃業です。気力もなくなり、どうすればいいのか…。輪島市には、もう解体業者しかいないんじゃないかと思うくらいです」

被災地はこれから雪と冷たい海風が吹き荒ぶ厳しい冬を迎える。

「復興は地域に合わせた仕方があります。住民の意見をきかないととてもできない。被災した奥能登の場合、高齢化も進んでいますし、そうした事情を踏まえたうえでの対応が必要なんです。地域の特徴と実態を知らなければできない。

単に少子高齢化という表面的な捉え方だけではなく、そうなってしまった要因を検証して復興を進めることが大事だと痛切に思っています。能登は能登なりの支援と復興の在り方を探っていかなければならない」(前出の佐藤県議)

次の石川県知事選挙が行われるのは2年後。馳知事は被災した人々の「思い」にどう応えていくのだろうか。

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【詳しくはこちら】『「馳は何もやっていない!」前田日明も猛批判…馳浩石川県知事に被災地の住民が激怒「もう、次はない」』

「馳は何もやっていない!」前田日明も猛批判…馳浩石川県知事に被災地の住民が激怒「もう、次はない」