【小林 一哉】総事業費62億円の静岡市「歴史博物館」の大失敗…「どうする家康」効果むなしく目標を大きく下回る来場者

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どうする家康」効果もむなしく

静岡市は10月2日、総事業費62億円をかけた「歴史博物館」の2023年度の有料入館者は8万人余にとどまったことを明らかにした。

本来は、入場者数を年50万人と見込んで、歴史博物館を観光誘客の中核施設とする計画だったが、大失敗の結果となった。

目標の6分の1以下という惨憺たる入場者となった大きな理由は、目玉展示となるのが久能山東照宮所蔵の歯朶具足(国の重要文化財)レプリカなどというお粗末な代物しか用意できなかったことである。

静岡市の歴史博物館は2022年7月にプレオープンして、翌年1月から始まるNHK大河ドラマ「どうする家康」の放映が決まっていた。

絶好の機会ととらえ、駿府(現・静岡市)と関係の深い徳川家康の企画を全面に打ち出せば、入場者数は大きく伸びると期待した。

大河ドラマ「どうする家康」人気にあやかって、家康が埋葬された静岡市根古屋の久能山東照宮は、過去最高となる約60万人もの参拝客が訪れた。

一方、鳴り物入りで新設された歴史博物館は約8万3千人とあまりにも対照的な結果となってしまった。

リニア中央新幹線の南アルプストンネル計画に、さまざまな言い掛かりをつけた川勝平太・前知事は歴史博物館の計画でも「いったん棚上げすべき」と厳しい意見を何度も繰り返し、2度も意見書を静岡市に送った。

「本物の鎧は東照宮にあるのに、歴史博物館にどういうソフトを持ち込むのかが問われる」などとレプリカ展示に問題があることも指摘していた。

歴史博物館建設地のすぐ近くでは、家康の最後の居城だった駿府城跡の天守台発掘が行われた。

その結果、駿府城天守台は約68m×約61mで、約45m×約41mの江戸城天守台をしのぐ、「日本一の天守台」であることがわかっている。

静岡の未来は真っ暗に

1607年家康は江戸城から駿府城に移り、亡くなる1616年まで外交・金融財政を担当した。江戸の2代将軍秀忠が全国3百諸藩を支配する二元政治を行った。

当時、海外使節団は駿府の家康を「エンペラー(皇帝)」と呼び、日本の最高権力者と見ていた。

駿府城は江戸初期に焼失したため、一般にはほとんど知られていないが、まだ残っていた家康時代には駿府が外交の舞台となっていたのだ。

1609年オランダと初の通商条約を結び、1613年にはイギリスとの通商条約を取り交わした場所でもある。

英国との初の通商条約の際、締結を記念して、家康は英国王ジェームズ1世に甲冑2領を贈っている。

これらの甲冑は現存して、日本と英国との交流を示す重要な証拠となっており、1領は、英国王室ゆかりのロンドン塔に展示され、連日訪れる多くの観光客に親しまれている。

静岡市はこの甲冑のレプリカ制作に約7千万円もの多額の費用を掛けたという。

いくら何でもすぐ近くに本物がある甲冑レプリカではなく、英国王室の許可を取ってロンドン塔にある甲冑レプリカをつくるくらいでなければ、わざわざ入場料を支払う価値はないだろう。

「歴史から静岡の未来をつくる」というキャッチフレーズを歴史博物館につけた。

しかし、江戸時代の礎を築いた家康の輝かしい10年と言われる駿府城時代はこのお粗末な展示内容では何も伝わらない。

今後、新たな手を打つことができなければ、「静岡の未来」は真っ暗になってしまうだろう。

駿府城跡地が上手く活用されてない今の状況はいかにしてできたのか。後編記事『静岡市歴史博物館の大失敗の要因…展示物に足りない「意外な視点」』に続く。

静岡市歴史博物館の大失敗の要因…展示物に足りない「意外な視点」