浸水した船から逃げ遅れた船長が奇跡の生還
当時32歳の大石恒雄さんは砂利を採取する船の船長だった。ある日海底に沈む船の中に閉じ込められてしまう。
大石さんは博多湾で砂利採取作業を終え、呼子湾に戻ろうとしていた。
これから帰る港では、防波堤を作るためケーソンと呼ばれる大きな箱状のものが設置されていた。それを大石さんは知らず、入港する時にぶつかってしまう。
目に飛び込んだのは大量の浸水。このままでは沈んでしまうと乗組員は海へ出るが、大石さんは大切な資料を持ち出そうと船長室へ行き、戻ろうとしたとき船内最後部の部屋まで押し流されてしまった。そして部屋のドアが閉まってしまい、そのドアはびくともせず。そんな状況のまま、船は大石さんと共に呼子湾の底に沈んだ。
海底の船の中に逃げ場はないが、ドアが閉まったおかげで部屋の中に少しだけ空気が残り、顔が水面から出た。とはいえその酸素も限られていて絶望的な状況であることは変わらないが、大石さんは絶対助けにくると諦めなかった。
海上保安庁の潜水士と民間の潜水士が合同で行うが、船は水深24mの海底、視界はわずか2mしかなかった。しかも、水中にいられる一回の時間は限られている。
刻々と時は過ぎ、酸素も減り続ける。船長は発見されないまま12時間、部屋の中の空気は限界に近づいていた。そのときオモリのついた靴の足音が船内に響いた。潜水士が固く閉じられた扉をバールで必死にこじ開けたのだ。そしてそこには奇跡のような空気の層があった。
船長の顔は酸素がないことを物語っており、潜水士はヘルメットの空気孔を開け、部屋に酸素を放出した。
大石さんは船内から救出され、この救出劇は大きく報じられた。17時間耐え抜いた、海底24mからの奇跡の生還となった。