マリさん「イタリア料理は基本的に庶民の食文化として育まれてきたもの」(写真提供:Photo AC)

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2023年下半期(7月〜12月)に配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします。(初公開日:2023年11月24日)*****レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなど、世界的にも有名な芸術家を数多く生んでいるイタリア。美術館も多く、素敵な街並みに一度は訪れてみたいという方も多いことでしょう。そのようななか、17歳でイタリア・トスカーナ州にあるフィレンツェに留学し、「極貧の画学生時代に食べたピッツァの味が、今でも忘れられない」と語るのは、漫画家・文筆家・画家として活躍するヤマザキマリさん。マリさんいわく「イタリア料理は基本的に庶民の食文化として育まれてきたもの」だそうで――。

【書影】ヤマザキマリ「味覚の自由」を追求する至極のエッセイ!『貧乏ピッツァ』

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私の貧乏メシ

今から25年ほど前に遡るが、フィレンツェで産んだ子供を連れて日本へ戻ってきた直後からしばらく、札幌のローカルテレビ局のワイド番組でイタリア料理のコーナーを担当していたことがある。

当時はまだ漫画だけで生計をたてていくのが難しく、幼い子供を育てることを踏まえると仕事をあれこれ選り好んでいる場合ではなかった。

学生時代のチリ紙交換に始まり、イタリアに渡ってからの道端での似顔絵描きに高級宝飾店の店員、そして貿易商の通訳から店の経営まで実に様々な職種を手掛けてきたおかげで、職業に対する私の意識は開かれている。どんな仕事でも何でも来い、という気構えでいた。がしかし、まさかテレビ番組で自分の料理コーナーを持つことになるとは想像もしていなかった。

私が日本に戻ってきた1990年代後半はすでにバブルも終わっていたが、イタリアで11年間世知辛い暮らしを続けてきた私の目に映る日本はそれほど景気の悪いようにも見えなかったし、人々は相変わらず日々の消費生活を謳歌しているように思えた。私にプライベートでイタリア語を習いに来ていた奥様たちは高級な外国車に乗っていらしたし、海外旅行にも足繁く出向いていた。

当時、私がイタリアで暮らしていたと知ると誰しも「あら、素敵、羨ましい!」という反応を示していたが、絵の勉強をする傍らで、一生分の貧乏と社会で味わうべき辛酸を体験させられた国という印象しか無かった私には、裕福な彼らの「素敵」や「羨ましい」が何を意味しているのかがさっぱりわからなかった。

この人たちは、イタリアのことがよく解っていないのかもしれない、と、街中にいくつもあったイタリアンの店先ではためくトリコロールの国旗を見ながら、毎日感慨深くなっていたものだった。

料理コーナーを担当するように

そんな数あるイタリアンの中でも当時評判だった高級店へ友人に誘われて行った時のことだ。メニューを開くと、私が貧乏時代に毎日食らっていた、“素うどん”ならぬオリーブオイルにニンニクと鷹の爪と塩コショウだけで味付けした“素パスタ”が、1500円で振る舞われている。「ありえない……」と心中の思いを隠すことのできない私は、目の前で美味しそうにスパゲッティを食べている友人に向かって吐露していた。

「これはおそらくイタリアでも最もコストの掛からない一品で、原価はおそらく100円を切っていると思う」

私の発言に戸惑いが顕わになった目で私を見ていた友人だが、咀嚼中のパスタをワインで流し込み、周囲に店員がいないことを確かめて、「ほんと? それ」と小声で問いただした。

私はかつて自分が週に3度以上もこのパスタを食べていたこと、自分たちと同じようにお金の無い友人の家へ行ってもこのパスタが出てきたこと、少しゆとりがある時は50円くらいのトマト缶を買ってトマト味にすると最高にゴージャスな気持ちになれたことなどを機関銃のような勢いの喋りで放出した。

店の人に聞こえようが聞こえまいが、とにかく日本における表層的なイタリアのイメージに同調できずにいる私のストレスは、それらの言葉に変わって放たれ続けた。

すると、隣のテーブルに座っていた立派な身なりの紳士が突然私を振り向き、「どうしてもあなたの声が耳に入ってきてしまうので、すっかり聞いてしまいましたが、もしあなたの言っていることが本当ならば、ぜひテレビで“簡易ローコストイタリアン”というのを紹介してもらえないでしょうか」と声を掛けてきた。

その札幌のテレビ局のプロデューサーとの出会いがきっかけとなって、私のイタリア料理コーナーがテレビで設けられることになったのである。

イタリア料理は基本的に庶民の食文化

とにかく私は、日本に蔓延(はびこ)るゴージャスなイメージのイタリアという違和感を払拭したかった。なので、その番組において私が作った料理の品々は、全て家賃もインフラ使用料も支払えずにいた私と同棲していた詩人の彼氏を飢え死にから救ってくれたものばかりだった。

生放送なのでうっかりプロセスを間違ってもつぶしがきかず、それでも強引に押し切って仕上げた料理は必ず推定原価を伝える。すると、北海道に暮らす多くの主婦から「あのガサツなひとのイタリア料理、とても参考になりました」「ローコストで簡単なのは助かります」などといったコメントのファックスが届き、一方イタリア料理店からは「あの女をテレビに出すのをやめてください」という苦情が届きまくったという。


「これはおそらくイタリアでも最もコストの掛からない一品で、原価はおそらく100円を切っていると思う」(写真提供:Photo AC)

とはいえ、私は嘘を伝えていたわけではないし、たとえばカテリーナ・ディ・メディチを経由してフランス料理の礎になったのがフィレンツェの宮廷料理などとされてはいても、イタリア料理は基本的に庶民の食文化として育まれてきたものである。

フィレンツェという土地では豚でも牛でも羊でも、モツから脳みそ、そして骨髄に至るまであらゆる部位を食する傾向があるが、私が感受してきたイタリア料理というのは東京の赤羽や十条あたりの立ち飲み屋で出される料理に近い感覚がある。

それ以前に、そもそも私はイタリアに限らず日本だろうと世界のどこであろうと、貧乏や困窮した社会を反映しているような、慎ましい食べ物が好きなのである。

貧しい南イタリアの社会を支え続けてきた

イタリア貧乏時代に私がよく食べていたのは、先述した「アーリオ・オリオ・エ・ペペロンチーノ」以外にも、例えば「パッパ・アル・ポモドーロ」という硬くなったパンをトマトと煮込んだパン粥や、茹でたジャガイモにバターと塩コショウと安価なチーズをかけて溶かしたもの。

ミネストローネもローコストな一品だが、ある程度作り置きさえしておけば、そこにやはり硬くなったパンを入れてさらに煮込むと「リボッリータ」という立派なトスカーナ料理となる。

リゾットだってグリンピースを入れて、上にオリーブオイルを振りかけただけで春らしい一品になるし、ショートパスタもバターとパルメザンに塩コショウだけでも十分に美味しい。

イタリアンパセリを大量にみじん切りにしたものを溶き卵に入れて焼いた卵焼きもよく作っていたし、トスカーナ名物の豆と煮込んだパスタも空腹と困窮した生活の疲れを胃壁から癒やしてくれるご馳走だった。ピッツァも窯やオーブンなど焼ける装置さえあえば、シンプルな材料で経済的かつ満腹感をもたらしてくれる、貧しい南イタリアの社会を支え続けてきた大切な料理である。

ブラジルの「フェイジョアーダ」など南米のクレオール圏でよく作られている屑肉と黒豆の煮込み料理の類も、チリビーンズ系の料理も、手間は多少掛かっても食材費はそれほど掛からない上、腹持ちがするので立派な「貧乏メシ」と言えるし、インドや中東で食べ続けられている煮込み料理にナンやご飯というパターンも庶民の食文化発祥だ。

タイ北東部で空腹時に屋台で買って食べたコオロギの炒ったやつは染み入るような旨さだったし、中国の飯屋で食べた卵と白米だけのチャーハンとザーサイの付け合わせも、旅で蓄積した疲れを解してくれるような優しい旨さだった。

材料が安価だというだけではなく、生きる大変さを支えてくれる素直な優しさや、激励してくれるような力強さが感じられるところが、「貧乏メシ」の特徴といえるかもしれない。

※本稿は、『貧乏ピッツァ』(新潮社)の一部を再編集したものです。