「あの男だけは、誰もが嫌っている」…石破茂新政権は長続きできるのか

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石破氏は還暦を過ぎて変わることができるのか

さて後半は、石破新首相の「政治家としての資質」に立ち入ってみたい。「前編」の冒頭で述べた「還暦を超えて人は変われるのか」という命題である。

9月27日の午後に行われた自民党総裁選挙の議事進行は、おおむね前例を踏襲したが、いくつか細かい変更が行われた。その一つが、決戦投票の前に、勝ち残った二人の候補者に、それぞれ5分間ずつ「最終スピーチ」の時間を設けるというものだった。それは、1回目の投票で2位の候補者、1位の候補者の順で行われた。

つまり、1回目154票だった石破候補が、181票だった高市候補よりも、先に壇上に上がった。石破候補にとっては、1回目の投票で敗退した7人の候補、及び7人の候補の支持者たちに「直訴する」最後のチャンスだった。

私も、石破候補が何を話すのかと、固唾(かたず)を呑んで見守っていた。すると、壇上の選挙管理委員会の面々に向かって、3度も丁寧にお辞儀した後、訥々と、こう切り出したのだった。

「私は、至らぬ者であります。議員生活38年になります。多くの足らざるところがあり、多くの方々の気持ちを傷つけたり、いろんな嫌な思いをされたりした方が多かったと思います。自らの至らぬ点を、心からお詫びを申し上げます……」

何とあのプライドの塊のような石破氏が、「過去のお詫び」から入ったのである。NHKの生中継を見ていた人は、「何のこっちゃ?」と思われたかもしれない。

自民党議員の根強い「石破アレルギー」

だが実際に、自民党議員たちの「石破アレルギー」は相当なものがある。私も少なからぬ議員たちから、様々なエピソードを聞いたものだ。今回の自民党総裁選の間も、永田町界隈では、「石破茂の裏切りの歴史」なる文書が拡散されていたほどだ。

コロナ禍の前のことになるが、ある自民党本部の幹部職員が定年退職し、数名の記者で退職祝いをやった。その中で、「自民党職員たちから見て、総理総裁になってほしい政治家は誰ですか?」と、記者の一人が質問した。すると元幹部職員は、赤ら顔を和ませ、たちまち10人近くの名前を挙げて、「わが党は人材の宝庫だ」と胸を張った。

そこで私が、「では逆に、自民党職員から見て、総理総裁になってほしくない政治家は?」と水を向けた。すると即座に、こう答えたのだ。

「石破茂! あの男だけは、党職員の誰もが嫌っている」

その後は、酔いも回ってか、呆れるようなエピソードを次々に披歴した。重ねて言うが、酒席の話で裏を取ったわけではないので、事実かどうかは不明だ。

渡した名刺を投げ、せせら笑う石破氏

だが、実は私にも、苦い経験が一つある。2012年9月の自民党総裁選で、「安倍vs石破」の自民党史に残る対決となった時のことだ。当時所属していた『週刊現代』で、「2強の誌面対決」のページを作るべく、両者にインタビューを申し込んだ。すると、両候補とも「30分だけなら」と快諾してくれ、同日に時間差でのインタビューとなった。

まずはカメラマンと二人で、国会議員会館の石破事務所を訪ねた。少し早く着いて、応接間で待たされたが、書棚には重厚な本がぎっしり並んでいた。失敬して何冊か取り出してみたら、どの本にも要所に赤鉛筆で波線が引かれ、文字の上の隙間には、本人の所感が書かれていた。

さすが政界一の勉強家と、尊敬の念を深くして待っていると、まもなく本人が現れた。私とカメラマンは、立ち上がって名刺を差し出し、「本日はよろしくお願いします」と頭を下げた。

すると石破氏、「言っとくけど、きっかり30分だよ」と言って、われわれの名刺を見もせずに、ポイと机上に投げ捨てた。そのうち一枚が床に落ち、慌ててカメラマンが拾って机上に置いた。

「君たちが聞きたいのは、キャンディーズのことかい? でもそんなこと聞いてると、時間が経っちゃうよ」

そう言って、ヘラヘラ笑い出した。そのうち、われわれの名刺を、まるでルービックキューブでも遊ぶように、両手でクルクルと回し始めた。そして5分経つごとに、「ハイ、あと20分!」などと言って、せせら笑う。

こちらは、当時問題になっていた中国との尖閣諸島の問題などを聞きたかったのだが、常に「上から目線」で、まるで初心者相手のように説くので、噛み合わなかった。一度だけ、石破氏の回答が事実関係と異っていて突き詰めたら、キッとなった。そして書棚に駆け寄り、関連関書を開いて「そうだな、アンタの言う通りかもな」とつぶやいた。

最後は、「ほらほら、ラスト5分だよっ、キッキッ」と冷笑した。そしてほどなく、おもむろに立ち上がると、無言のまま離席してしまった。27分が経ったところだった。

私はトイレにでも行ったのかと思い、しばし待ったが、ついぞ戻ってこなかった。カメラマンが三脚を片付けて、事務所を出た。石破氏の名刺は、受け取らずじまいだった。

出口まで見送りにきた安倍氏

続いてインタビューした安倍氏は、仏様のように映った。「週刊現代には過去に、いろんなことを書かれたけど、よく勉強させてもらっていますよ。今日は短い時間しか取れなくて、すみませんね」。そう言って安倍氏は私とカメラマンに会釈しながら、自分の名刺を差し出した。

安倍事務所の応接室の書棚には、本が1冊もなく、代わりに世界の著名人と撮った写真ばかり飾り立ててあった。

それでも、熱意と誠意が感じられる30分のインタビューだった。「これからの日中関係は、きっと厳しいものになると思いますよ」などと、率直に語った。終わると、わざわざ事務所の出口まで送りに来てくれて、「下へおりるエレベーターはあっちの方ですから」と笑顔で言い添えた。

帰路、私とカメラマンの意見は一致した。

「どちらが賢いかと言えば、石破さんだろうが、もし自分が自民党議員で、どちらに投票するかとなれば、絶対に安倍さんだな」

かくして、1回目の投票では石破候補が首位だったが、議員票がものを言う決選投票で、安倍候補が逆転。同年12月に発足した第2期安倍政権は、7年9ヵ月続いて歴代最長政権となった。反面、石破氏には「長い冬の時代」が続いたのである。

石破政権は「割りばし政権」?

それで、「還暦を超えて人は変われるのか」という命題である。「高市候補に投じた」というある自民党議員に聞くと、石破新政権について、決して楽観視はしていなかった。

「どうせ来たる総選挙用の『割りばし政権』だろう。総選挙が終われば、また石破は例によって独りよがりになり、『裸の王様』と化し、周囲が離反していく。あげく、内閣支持率が低迷して、総辞職ではないか」

「割りばし」とは、「1回きりの使い捨て」という意味だそうだ。

9月27日の夕刻、自民党総裁選は、9人の候補者全員が壇上に上がり、連なって握手して万歳するシーンでお開きとなった。互いの手を離すと、8人の敗者たちは、そのまま壇上を去ったが、石破氏だけは、向かって右奥の選挙管理委員会席に歩み寄っていった。そして、逢沢一郎選挙管理委員長を始め、選挙管理委員を務めた議員たち一人ひとりと握手し、頭を下げて労をねぎらったのだった。

こうした行動は、「人格が丸くなった」ことを示す証左と言える。だが週明けの30日には、「前編」の冒頭で述べたように、「天に唾する自民党総裁による解散宣言」をやってのけ、国民を唖然とさせた。

一つ言えるのは、石破新首相は間違いなく、今世紀に入ってから首相を経験した12人の中で、最も頭脳明晰な首相であるということだ。人間関係まで含めて、その「賢明さ」が前面に出たなら、長期政権の可能性もないとは言えない。何と言っても、「時の流れ」を掴んでいるのだから。だが同時に、「時の流れ」は移ろいやすいのも事実だ。

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