ホームラン量産の秘密は「腰痛」!? 広島カープのレジェンド “ミスター赤ヘル”山本浩二氏が語る内角打ちのコツ

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昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアウンサー界のレジェンド・紱光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”を、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!

昭和50年に4番打者として広島カープを初優勝に導いたのが山本浩二氏だ。4度のホームラン王に輝き、18年の現役生活の間に放ったホームランは歴代4位、大卒選手では最多となる536本。「ミスター赤ヘル」と呼ばれた広島カープのレジェンドに紱光和夫が切り込んだ。

【中編】からの続き

5年連続40本塁打の秘密は「腰痛」

山本氏は30代になってからの方がホームランを量産している。初優勝から2年後の昭和52年、31歳のシーズンで40本を超え、それから5年連続で40本超え。5年連続40本塁打は王氏と山本氏しか達成していない。
30歳を超えてのホームラン量産のきっかけのひとつが、盟友・田淵幸一氏が昭和50年に、王貞治氏の連続本塁打王を13年で止め、ホームラン王のタイトルを獲得したことだという。
そしてもうひとつが…。

山本:
田淵が王さんを抜いたんですよ。それで、自分もひょっとしたらという思いがありましたね。

紱光:
30本くらい打っていた20代と、40本超えを達成した30代では何を変えたんですかね。

山本:
バッティングフォームは変わってないんですが…、実は腰痛持ちだったんですよ。
腰が痛いときは、外角のボールを見逃して三振してでも、インサイドしか腰が回らないんですよ。
シュート打ちの名人、山内和弘さんからインサイドのシュートを打つにはどうすればいいかを若い頃に教えられていたいんですけど、全然できなかったんです。

山本:
ところが、打席に立ってステップしたら、腰を痛めてるから内側でバットがクルッと回ったんですよ。そしたら、ちょっと詰まり気味なんですがスタンドインした。これが山内さんが言ってたインサイド打ちかと。
普通は力が入るじゃないですか。力を入れてガーッと打ちに行くと差し込まれる。力を入れずにボールを待って、後ろに重心を貯めてバットをクルッと回す。若いときに言われたけど全く分からなかった。

紱光:
山内和弘さんの打ち方が頭の中に残っていたんですね。それが腰痛のおかげで30にして開花した。

山本:
そういうことだと思います。

その後、山本氏とホームラン王のタイトルを争ったのはミスタータイガースこと掛布雅之氏だ。1978年から1984年までの7年間、山本氏が4度、掛布氏が3度と2人でホームラン王のタイトルを分け合った。

山本:
掛布が確か広島市民球場で出てきて2本ぐらいホームラン打ったんじゃなかったかな。こいつは間違いなく良くなる。ライバルになると思いましたよ。
その通りになりましたけどね。
あの打ち方とかフォローの大きさとかですね。素晴らしいものを持ってましたね。

投手の球種を見抜く“読みの浩二”

山本氏は「読みの浩二」と呼ばれるほど、球種を読んで打つのを得意としていた。その秘密はピッチャーの癖を見抜くことにあったという。

山本:
相手のグラブに手を入れるときの癖とか、そういうのを見て自分なりにチャートつけてましたね。

山本:
例えばフォークボール、ボールを指で挟むんですが、どこで挟むか。クラブにボールを押し付けて挟むとグラフが一瞬開くんです。これはもう毎試合毎試合見てました。
セットで投げるピッチャーの場合、グラブに入れる手の角度、真っすぐとカーブで違うとか。
バッターから見える指の本数とか。1本なのか2本なのか。
全く癖が分わからないピッチャーは、当然たくさんいるんですよ。でも、それを見ているときにそういう集中力というのが自分なりについてきたとは思うんですね。

山本氏は中日・ロッテで活躍した好投手、牛島和彦氏を通算打率3割6分4厘と打ち込んでいる。実はこれも…

山本:
牛島はね、フォークボールをどこで挟むかだったんです。投げる寸前にボールを腰に押し当てて挟むこともあったんですよ。

ジャイアンツのエース、江川卓氏との相性も良かった。通算打率3割4分6厘、14本塁打。

山本:
江川は全く癖が分からなかった。ただ、性格ですね。江川は相手のクリーンナップに対しては力を入れてくる。打つなら打ってみろと。ということは、変化球で逃げないんですよ。ツーストライクまでは間違いなく真っすぐを投げてくる。
あのジャイアンツへの入り方が気に入らないじゃないですか。こんなクソ生意気な奴は打ちのめしてやろうと思って、それが1年目に出てきたらめっちゃ速かったんですよ。これは打てないと思った。ボールが伸びてくるし。それほどいいピッチャーでした。
今までの経験で、右の江川、左の江夏はやっぱり凄かった。

ホームラン27本で引退…その真相

紱光:
浩二さんは40歳で引退されたんですけど、その年のホームランが27本。考えられないでしょう。2割8分ぐらい打ってましたよねえ。

山本:
なぜ引退したかと言いますとね。4番を打ってまして、膝と腰に来てて何試合か欠場してるんですよ。
全試合に出て4番を打つっていうのが、あの頃の自分の考えだったんじゃないかと思いますね。今だったらこの成績なら、やってたかもわかりませんね。しつこく。
だから、やっぱりあの時代だから辞めたのかもわかりませんね。

山本氏は自身のプロ野球人生をこう振り返る。

山本:
幸せ者です。これはやっぱり好きな球団、応援した球団に入った。
その一員で、優勝することができた。優勝にほぼ絡んでる。そういったことを考えると、カープのおかげで、人生をここまで来させていただいて、本当幸せ者ですっていう感じですね。

(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/4/2より)