古き街と新しい住宅地が混在 廃駅の名を留める路線 JR片町線(学研都市線)『松井山手』〜『京橋』

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“鉄っちゃんアナ”としても親しまれる鉄道通のフリーアナウンサー・羽川英樹さんのラジトピコラム「羽川英樹の出発進行!」。今回、羽川アナが現地取材したのは、JR片町線(学研都市線)の『松井山手』〜『京橋』です。それでは、出発進行!

◇「羽川英樹の出発進行!」

 正式名称“片町線”を名乗る「学研都市線」は、京都の『木津』と大阪の『京橋』間の約45キロを結ぶ路線。けいはんな学研都市に由来するという愛称は1988(昭和63)年から使われ出しました。その後、1997(平成9)年に東西線が開業して、片町線の起点だった片町駅が廃止され、今に至ります。(※)

 今回の取材でスタート地点となる『松井山手』(京都府京田辺市)は、誕生が1989(平成元)年と、この路線で一番新しい駅。JR沿線ですが京阪電鉄が開発した「京阪東ローズタウン」の住宅地が広がり、駅前にはおしゃれな商業施設やマンションが立ち並びます。駅の建設費の一部を京阪が負担した珍しい請願駅となっています。

 また、ここからは京都駅までの直行バスが出ているのも便利ですし、北陸新幹線の大阪延伸時には南ルートの場合に新駅設置も計画されています。では、そんな発展著しい『松井山手』から『京橋』を目指して、7両編成の区間快速で出発進行!

 学研都市線は『木津』から『松井山手』までは単線ですが、『松井山手』からは複線になり、昼間は1時間に区間快速が4本走っています。

 駅を出てしばらくすると京都府から大阪府に入り、乗降客の多い枚方市の東の玄関『長尾』に。1989年までは『木津』からここ『長尾』までは非電化の区間でした。

 島式ホームの『藤阪』は1979(昭和54)年に地元負担で誕生した駅です。そしてここから北へ700メートルのところに、枚方市民が誇る山田池公園があります。1200年前にすでにため池だった山田池は1周3.3キロという広さ。周囲は里山の風景をしっかり残しており、この池を中心に広大な緑地が73ヘクタールにわたって広がる市民のオアシスです。

『津田』は、今は高層マンションも見受けられますが、かつてSLが走っていた時代には給水タンクも設置され、陸軍演習場への専用線も敷設された歴史ある駅。

 交野市に入って『河内磐船』は、300メートル離れた京阪交野線『河内森』との接続駅です。

『寝屋川公園』は1979年に「東寝屋川」として開業した掘削駅。5年前に地元負担で今の駅名に変わりました。すぐそばには2つの野球場や、15面のテニスコートもある広大な府営寝屋川公園が広がります。

『忍が丘』を過ぎて中間拠点の『四条畷(しじょうなわて)』に。1895(明治28)年、片町線は、片町からまずこの四条畷までが開通しました。ここで普通列車・西明石行きと接続します。駅の真ん前には四條畷学園の大学・短大、そして小中高校が立ち並んでいます。ただしこの駅の所在地は四条畷市ではなく、なんと大東市なんです。ちなみに駅名表記は四条畷ですが、正式な市の表記は古い字体の「四條畷」が使われます。

『野崎』は区間快速は通過しますが、野崎詣りで有名な野崎観音、ならびに、大阪産業大学や大阪桐蔭高校の最寄り駅になります。この野崎を過ぎると、左側に生駒山頂が姿を現します。

『住道(すみのどう)』は大東市の中心駅で、学研都市線の途中駅では一番利用客が多い駅です。かつては貨物の取り扱いもあり、鐘紡への引き込み線もありました。

 東大阪市に入って大阪モノレール延伸時には接続駅となる『鴻池新田』を通過。そして『徳庵』の手前で、近鉄やJRの車両製造を手掛ける近畿車両の本社が姿を現します。車窓の左側に新幹線0系や塗装前の近鉄車両も見ることができます。

 大阪市内に入って、かつては“ハナテン中古車センター”でおなじみの難読駅名『放出(はなてん)』に到着。隣のホームにはおおさか東線の大阪行きが停まっており、この駅では同一ホームでスムーズに乗り換えができるんです。

『放出』を出るとしばし、おおさか東線と並行して走りますが、通過駅『鴫野』を過ぎて寝屋川を渡るとまた離ればなれになっていきます。

『松井山手』から区間快速は32分で『京橋』に到着。大阪環状線・京阪電車・大阪メトロ鶴見緑地線は“お乗り換え”です。

『京橋』は駅をはさんで東西でコントラストがはっきりしています。西には近代的なOBP(大阪ビジネスパーク)、東には庶民的な商店街や飲み屋街に名物・グランシャトービルも健在です。そしてダイエーの跡地は、いまFULALl KYOBASHI(フラリキョウバシ)というフードエリアと駐車場を併設するイベント広場に変わっています。

 ちなみに片町線の由来となった旧片町駅は、『京橋』の500メートル先、現在駐車場になっているところの先端辺りにありました。かつては京阪電車の片町駅や大阪市電の停留所も設けられていましたが、今は東西線の『大阪城北詰』が近くに設置されています。

 私がパーソナリティーをつとめるラジオ番組のリスナーさんから提供された写真には、40年前の様子や、27年前の廃止当日の状況が留められていました。

1984年の様子(写真提供:『一人親方』さん)
1984年の様子(写真提供:『一人親方』さん)
1997年廃止当日(写真提供:「さくらしおり」さん)
1997年廃止当日(写真提供:「さくらしおり」さん)

 このように、かつての片町線の面影もしっかり残しながら、ニュータウンも混在する学研都市線。片町駅はなくなっても、その名は「片町線」という正式路線名でしっかりと継承されているんです。(羽川英樹)

(※)学研都市線の愛称が使われ出したのは1988年でした。当初の記述から修正を行いました。(ラジトピ編集部)