同じ大国のロシアと中国は独裁的なのに、インドは民主主義の王道です(写真:xtrekx/PIXTA)

IT企業が増え、経済も発展しているインド。多様性の国ならではの絶妙なバランス感覚を持つインドが新時代の国際的リーダーになる日も近いと見る向きもあります。元外交官として、そして個人として世界97カ国を見てきた山中俊之氏が、地政学に「政党」という切り口をプラスして分析します。

※本稿は山中俊之著『教養としての世界の政党』から一部抜粋・再構成したものです。

民主主義大国・インドの基盤

「世界最大の民主主義国」、インドはしばしばこう言われます。国家元首は大統領ですが政治的には形式的な役割に留まり、政府を動かすのは首相。議院内閣制で多党制、選挙結果で政権交代があります。下院は小選挙区制の直接選挙で、最大議席数を獲得した政党の党首が首相となる……。

「えっ、無茶苦茶、普通じゃない?」という人は、インドの巨大さを知りません。世界7番目の面積を有し、人口およそ14億人で世界1位。地方ごとに異なる言語、宗教、民族が入り乱れる連邦国が、憲法に則って滞りなく選挙を行うのは、たやすいことではありません。

同じ大国のロシアと中国は独裁的なのに、インドは民主主義の王道です。その第1の理由として、「ガンジーを筆頭に、独立時に民主主義を理解していた卓越した政治家がいたことがとても大きい」と私は思っています。

第2の理由は、インドは歴史的に統一的な巨大な国家としてまとまっていた時期があまり長くなく、民族・言語が異なる多様性を維持してきたこと。

たとえばマウリヤ朝やグプタ朝がインドを統一しているようで実はいくつもの国に分かれていたり、イスラム王朝が13世紀初めから4世紀にもわたって支配しても南は支配下から外れていたり。ムガール帝国(1526〜1858年)の統一も英国によって統治権が制限されていました。

つまり、2000年にわたって巨大なインド文化圏・経済圏として繁栄しているにもかかわらず、言語・宗教・民族の違いが大きく、それゆえに絶対的な強権支配が成立しにくかった。この土壌があったからこそ、民主化しやすかったと感じます。

少数民族はいたものの漢字と儒教で価値観を統一した中国、スラブ民族が多数派でロシア正教があったロシアとは、成り立ちが異なるのです。

この多様性は、今のインドの政党に反映されています。地域政党も多く、「インドを知るには政党を知れ」と言えます。

民族、言語、宗教が政党に表れる

インドの主要な政党を見ていきましょう。まずは現在の与党であるモディ首相のインド人民党(BJP)。人民党は、モディ首相の出身州であるグジャラート州をはじめとした北部で根強い支持があります。北部はヒンディー語話者が多く、ヒンドゥー教を重視する同党の主張が受け入れられやすい面があるのです。

「インド人民党は、経済はグローバル志向ですが、政策的にはナショナリズムが強い……というか、ヒンドゥー教至上主義とも言われます」

もしも私がインド人民党の人の前でこう説明したら、激しく否定されると思います。実際、2023年に訪米したモディ首相はジャーナリストからイスラム教弾圧を指摘され、「我々は民主主義国家であり、そんなことはあり得ない」と啖呵を切っていました。

モディ首相が断言するのは政治家として当然で、インドの憲法は世俗主義の原則に基づき、宗教と政治を切り離すように定めています。しかしインド人民党はヒンドゥー教に優しくイスラム教に厳しいのは事実ですし、他の政党も宗教の影響は多分に受けています。

たとえばモディ首相の政策で、社会的活動を行う多くのNGOが解散を命じられています。解散の理由の一つは、宗教。キリスト教やイスラム教がバックにある場合は、免許取り消し・解散になることが増えています(Economist2024年2月24日―3月1日)。

インド人民党に対抗しうる政党が、インド国民会議派(Indian National Congress)。インド人民党よりはリベラルな志向を持ちます。2つの政党が交代で政権をとっていたために、国民会議も財界との関係も深く、インドは「小さな政府か、大きな政府か」どちらを志向するか、一概には言えないところがあります。

いくつかの地域政党も存在する

広大な国土を誇るインドには、いくつかの地域政党もあります。「地域性が強く、言語も多数」というのはスイスやベルギーと似ていますが、彼らの多くは複数の言語を話します。しかしインドは国会でも通訳が必要な時もあるほどですから、それぞれの地方を代表する政治家が不可欠なのでしょう。

インド最大の商業都市ムンバイを抱えるマハーラーシュトラ州で強いのがシヴ・セーナー。ヒンドゥー教を重視する保守色が強い政党で、ムンバイの市政を担い、移民に対して厳しい姿勢を取っています。ムンバイは多くの日本企業が拠点を置いている地。排外的な政党が影響力を持っていることは知っておいたほうがよいでしょう。

南部のタミル人が多いタミル・ナードゥ州で強いのが、州議会で与党となっているドラヴィダ進歩同盟。当たり前と言えば当たり前ですが、ドラヴィダ系であるタミル人の民族性を尊重。宗教的にはヒンドゥー教が中心ですが地方色が強く、仏教やジャイナ教、キリスト教徒もいます。

アーリア系の人たちは「母語のヒンディー語が話せれば、インドで生きていける」というところがあるので、英語はあまり得意ではありません。しかしタミル語が母語のドラヴィダ系の人たちは、「ヒンディー語を学ぶなら、英語のほうが良くない?」と考えるのか、南部では英語教育が比較的盛んであることもあり、英語話者が相当数います。

昔ながらのインドの中心は西部、北部ですが、最近は南部にIT企業が増えて活気付いており、経済も発展しているのは、こんな影響もあるでしょう。

開放的で経済発展が続く南部では、モディ首相のインド人民党はあまり支持を広げられていません。ヒンドゥー教至上主義的な政治は、南部では受け入れられにくいのです。


『教養としての世界の政党』P.324より

インドでもう一つ重要なのは、カーストの最下層でかつては不可触民といわれた「ダリト」の人たちを中心とする政党が複数あるということ。ダリトの解放などを政策に掲げる大衆社会党などが国会に議席をもっています。

カースト最下層のダリト出身の大統領も誕生

ダリトに属する人々の数は2億人とも言われます。少なくとも千数百年以上にわたり社会の最下層で不浄とされた職業に就き、差別されてきました。

その解放運動は主として20世紀から。1920年代から弁護士としてダリト解放運動に取り組んできたアーンベードカルは、初代首相ネルーの下で法務大臣に就任し、インド憲法の起草に取り組んだ人物。彼は、インド憲法17条にダリト差別禁止条項を設けることに成功します。

また、ダリトを指定カーストとして、教育、公的雇用、議会議席の3分野において優先枠を設けました。米国のアファーマティブアクションのインド版、といったところです。このような議会での優先枠の存在が、ダリトの政党が議会で勢力を持つ一つの理由になっています。 

このような社会的改革の結果、1997年には、ついにダリト出身の大統領も生まれました。ケラーラ州出身のナラヤナン氏は、苦学の末にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス留学。外務省に入省して駐米大使まで務め、下院議員を経て大統領になりました。

インドの大統領は、両院の議員及び州議会議員の間接選挙によって選ばれます。政治的な実権は首相に委ねられていますが、大統領が国家元首です。

20世紀の終わりくらいから、首相は北部出身ヒンドゥー教徒が就任することが多いのに対して、大統領には、南部出身者、ムスリム、ダリト、先住民族出身者などマイノリティ出身者が就任しています。このあたりに、多様性の国インドの絶妙なバランス感覚があります。

激しい社会的差別と刻苦勉励による社会的な上昇の可能性、それを許す政治的仕組み。インド社会を見るうえで重要な視点です。 

こうした政党の動きから、インドの人権意識がどう変わっているかも、見て取ることができます。

モディ首相もカーストとしては下のほうの出自ですが、インドの首相としてグローバルサウスを率いて10年になります。インドは世界最大の人口大国となり、ひょっとしたらモディ首相の在任中に、世界第3位の経済大国になるかもしれません。

「ムスリムを差別している。ヒンドゥー至上主義だ」と非難されながらも、経済発展を実現させていますし、テクノロジーの発展にも尽力。たとえば銀行口座が持てなかった貧困層でも、スマホの生体認証で商売ができるようにしたことは、新たなビジネスを生んだと評価されています。

新時代の国際的リーダーとなり得るポテンシャル

もともとが多様なインドは、地理的には西洋でも東洋でもない元祖中庸の国。民族としてはアーリア系というヨーロッパ系とも近しい血もあれば、ドラヴィタ系の人もいます。宗教としては東洋系のヒンドゥー教、仏教の国。さらにウパニシャッドという最古の教えをもち、ゼロの概念を生み、量子力学にも通じるという哲学的な深みが底力となっています。


私の個人的な経験を振り返っても、インド人の多くはコミュニケーション能力が抜群に高く、いわゆるマルチと言われる国際会議の場ではすぐに「場の中心」になります。あらゆる要素を内包しているためか、インドという国そのものが、国際社会で独自の立ち位置を確保しているのです。

「インドのポテンシャルを考えた場合、新時代の国際的リーダーになるんじゃないか」

この難しい国際情勢で「中国ともロシアとも、ほどほどに付き合いつつ近寄りすぎない」という巧みなスタンスを見ていると、新リーダー・インドも現実になりつつあると感じます。

ただし中国とはカシミールをめぐる国境問題がありますし、国内では格差と貧困が深刻です。インフラを整えようといってもトイレもない人々が未だいるのは、大きな課題といえます。女性首相も存在したとはいえジェンダー・ギャップ指数は低く、女性への性暴力もたびたび報道されているので、見聞きしている人も多いでしょう。また、先に述べた通り、モディ政権の政策でムスリムが権利を奪われるなど、宗教対立及び人道上の問題が深刻化しています。2024年6月に結果が出た総選挙では、モディ首相の率いるインド人民党は第一党を維持したものの、議席を減らしました。

そして人々は、国政を握る二大政党よりも地元の地域政党にシンパシーを感じることもあるように思います。

インドは投票しないことに罰則はないのですが、国政選挙でも州選挙でも60〜70%程度の投票率を誇ります。おそらく「政治がちゃんとしないと、自分たちの生活が困る!」という切実さを反映しているのでしょう。これからの世界で、インドがどう頭角を現していくか注目したいところです。

(山中 俊之 : 神戸情報大学院大学 教授、国際教養作家、ファシリテーター)