美輪明宏「メディアに美少年もてはやされていたが、同性愛を公表するとブームは1年で終了、差別を受けて」
歌手、俳優の美輪明宏さんがみなさんの心を照らす、とっておきのメッセージと書をお贈りする『婦人公論』に好評連載中「美輪明宏のごきげんレッスン」。9月号の書は「秋の色哀し そはうす紫よ 二人で歩まむ 都のはずれを」です。
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私の「うす紫」という曲
私はシンガーソングライターの先駆けとして、20代の頃から作詞作曲をし、歌ってきました。リサイタルなどで歌う「うす紫」も、その一曲です。
秋の色哀し そはうす紫よ
「うす紫」は、そんな一節から始まります。愛し合っているのに結ばれることのない相手への切ない思いを紫色に託し、秋の街の風情と重ねました。この曲を書いた時代、同性愛者は世を忍ばなくてはいけなかった。男女の恋人のように、大手を振って共に生きることは叶わなかったのです。
差別を受けた不遇の時代
1957年、22 歳だった私は、シャンソン「メケ・メケ」を日本語でカバーして世間の注目を浴びました。元禄時代のお小姓の出で立ちを取り入れたファッションなどーー自ら考案した衣装やメイクも、ずいぶん話題になったものです。自分で言うのもおこがましいのですが、マスメディアからは、「神武以来の美少年」などともてはやされました。
ところがブームは1年で終わりました。また、同性愛者であることを公表したため、世間から糾弾され、差別を受けるように。歌手としてまったく売れない、不遇の時代が続きました。でも、その苦しかった時代に多くの曲を作ったのです。「うす紫」も、そのなかの一つです。
振り返ってみると、どん底状態でもあきらめず、人様の情けに助けられながら自身の生き方を貫いたからこそ、今に至る道が開けたのだと思います。みなさんにもこの先、試練が訪れるかもしれません。でも、希望を失わず、前を向いて堂々と生きていれば、きっとまた人生の春が訪れます。
●今月の書「秋の色哀し そはうす紫よ 二人で歩まむ 都のはずれを」